ブックマーク / d.hatena.ne.jp/aureliano (91)

  • 砂上の楼閣の上に立って良い気になって下にいる者を叩いていると、それが崩れた時に真っ先に喉元に食らいつかれる - ハックルベリーに会いに行く

    ネットでは――取り分けはてなでは、似非科学や似非科学批判批判、つまり似非科学を声高に攻撃することに疑問を呈した人に対して、これを科学という立場に依りながら叩くような言説がよく見受けられる。また最近では、ネットのモラルについて無断ブックマーク禁止などを主張した人に対し、常識やらWWW(World Wide Web)の理念だかを盾に取って、よってたかって攻撃するような場面があった。 そういう時、ぼくがいつも不思議に思うのは、なぜ叩く側はああもまあ自信満々に攻撃的になれるのかということだ。自分がもしかしたら砂上の楼閣の上に立っていて、それが一晩で跡形もなく崩れ去ってしまうかも知れないということを考えたことはないのだろうか? 自分がもしかしたら日帝国軍やナチスのように、信じていたものにいともあっさりと裏切られるかも知れないという想像力を働かせたことはないのだろうか? あるいは自分はもしかしたら異

  • ある若きテレビプロデューサーのマネジメントの記録 - ハックルベリーに会いに行く

    これは、ぼくがテレビ関係の仕事をしている知人から聞いた、ある若きテレビプロデューサーの、彼のマネジメントした伝説的なテレビ番組の記録である。 あるテレビ局(仮にF局としよう)に若きプロデューサーがいた。彼の名はMだ。彼は新しい番組のプロデュースをすることになった。しかしその番組は曰く付きのものだった。始まる前からいくつもの問題を抱えていた。政治的な思惑が絡み合った、複雑な生い立ちの番組だった。 その頃のF局のバラエティ制作部には、大きく分けて二つの勢力があった。Y班とI班である。両者はお互いに反目し合っていた。良きライバルと言うよりは犬猿の仲だった。お互いがお互いを快く思ってなかった。水と油で、これまで一度も交わったことがなかった。時々、局の全ての番組が一堂に会するような場所ですれ違うことはあったけれど、そういう時でもお互いに目を合わそうとはしなかった。同じ局とはいえ、いや、同じ局だからこ

  • やはり思いやりに欠けると、どんなに努力しても結果は上手くいかない - ハックルベリーに会いに行く

    この前30歳くらいの女性と話す機会があったのだけれど、彼女の言葉で印象に残ったのは、「こっちはそれだけのものをこれまで詰んできたのだから、男性にも最低限それと同じようなものを求める」というようなものだった。まあ何と言うか、彼女はすごい美人というのではなかったが、それでも十分きれいと言って差し支えないルックスをしていた。ファッションもビシッと決まっていたし、お化粧もバッチリで、濃すぎず薄すぎず、自分がどうすれば引き立つかをよく分かっていた。キャリアの方は詳しく聞かなかったけれども、会社でもそれなりの地位にいるのだろう。けっこう自信満々な感じで、自分と自分の努力に大きな自負心を抱いているようだった。さらには、もっと上を目指してやろうという意気込みも強く感じられた。 聞くところによると、彼女は(当か嘘かは分からないけど)彼氏はいないらしい。しかしどうやらつき合う男性には確固たる基準と言うか、理

  • 目標を作り、与えられる人間こそ本当のマネジャーだ - ハックルベリーに会いに行く

    これまで生きてきて思うのは、「目標を作る」というのはそんなに簡単なことではないということだ。むしろ難しい。みんな目標を作れなくて苦労しているんだ。目標が上手く作れなくて、日々の生活が生き生きとしたものになっていないということはままある。 この目標というのは、誰にでも作れるものではない。それは努力とかとも無関係のような気がする。努力したからといって目標を作るのが上手くなるとも限らない。第一、そんな方法は誰も教えてくれない。目標は、やはり作ることの上手い人と下手な人がいるのだ。そして目標を作るのが上手い人というのは、これはもう圧倒的に上手い。彼は自分の目標を作るだけではなく、他人の目標までをも作ることができる。彼はビジョナリーなのだ。彼は他人のビジョンまで見通すことができる。そして他人の目標を作ることができる。他人の目標を作って、それを与えることができるのだ。 目標を作り、与えられる人間こそマ

  • 説得とは - ハックルベリーに会いに行く

    好きな言葉昔、師匠から言われた言葉。 「説得とは『得』を『説く』と書く。そこに相手の得をしっかりと見出だし、それを根気強く説くことができて、初めて相手を説得することができる。しかるに、ただ言い負かそうとしているだけでは、説得することは叶わない。例えそこで言い負かせたとしても、相手はむしろ絶対に言うことを聞くまいと思うだろう。そして離れていくだろう。その言い負かした相手とは、二度と関わり合いになるまいと思うだろう。それは果たして、相手を言い負かしと言えるのだろうか?」

  • TBSが「発見」したイノベーションのアイデア - ハックルベリーに会いに行く

    友人Mから聞いた話。テレビ局のTBSは、前年度の視聴率が民放各社の中でも際立って悪く、特にゴールデンはさんざんだったらしい。レギュラー番組はおしなべて低調で、スペシャル番組もちっとも当たらなかった。それに伴って売上げは落ち込み、テレビ全体の売上げが落ちていたこととも相まって、深刻な状況に陥っていた。そのためTBSは、局としての大きな改革を必要としていた。そこで経営陣は、編成局を新たな体制に移行させ、色々と施策を打ったらしい。そのうちの一つに、スペシャル番組の大きな改革というのがあった。そこでTBSが打ち出したのは、「4時間番組」という新たなコンセプト=アイデアだった。 テレビのスペシャル番組というのは、これまでは2時間が一つの単位であった。通常は、7時から9時までの枠と、9時から11時までの枠というふうに、この時間を2つの2時間番組枠ととらえていた。そうしてこの7時から11時までを横断する

  • 居留守を使ってはいけない - ハックルベリーに会いに行く

    淀みというのは、最初は当に小さな流れの滞留から始まる。小さな異物の詰まりから始まる。しかしその詰まりを取り除くのが少々面倒なところにあると、人はそれを軽視する。放っておこうとする。舐める。それくらいの異物の詰まりは別に大したことないだろうと。そのうち取れるだろうと。だから無視する。そのうち忘れてしまう。しかしこれが誤りの元なのだ。滞留の始まりなのだ。淀みの始まりだ。小さな異物を舐めてはいけない。小さな異物こそ舐めてはいけない。そうした小さな異物の詰まりこそ、当に大きな厄災の元になるからだ。 小さな異物の詰まりというのは、例えば「電話の居留守」だったりする。会社にいると、色々な電話がかかってくる。その中には、都合の悪い相手からかかってくることもあるだろう。諸々の駆け引きがあって電話に出られない時もあるし、遠回しな断りの意味で居留守を使うこともあると思う。しかしこうした行為が、小さな異物の

  • 殺されるという死に方 - ハックルベリーに会いに行く

    Masa19800822
    Masa19800822 2010/03/02
    もっとも悲惨な状況
  • 素直さと勇気は、ネガティブな感情さえも状況を前進させる大きな力と変える - ハックルベリーに会いに行く

    羨望や嫉妬といったネガティブな感情は、えてして状況をこじらせがちですが、それを素直に認め、勇気を持って表現することができれば、状況を前進させる大きな力になります。例えば、ぼくの知人にこういう状況がありました。 AくんとBくんという二人の男の子がいました。Aくんは成績優秀。一方Bくんは劣等生で、クラスの最下位です。ある時、AくんとBくんが二人で話しをする機会がありました。そこでBくんは、Aくんに「Aは成績優秀で羨ましいな。ぼくはバカだからどうしても成績が上がらない」と言いました。するとAくんは、こう答えました。「人間は誰しも得意不得意がある。BにはBにしかできないことがある。そしてBにしかできないことは、ぼくにはできない。だから、そんなBが、ぼくも羨ましいんだ」この言葉は、Bくんの胸に刺さりました。自分が羨ましいと思っていたAくんから、逆に羨ましいと言われたのです。この言葉は、Bくんにとって

    Masa19800822
    Masa19800822 2010/02/24
    素直さと勇気を保持しているか?
  • 甲虫王者ムシキングの話 - ハックルベリーに会いに行く

    もう今は全くちっとも読んでないのだが、昔は「CONTINUE」という雑誌が好きで、舐め尽くすように読んでいた。その頃、ぼくはもうほとんど雑誌というものを読まなくなっていたのだけれど、ただ一冊読み続けていたのがこの「CONTINUE」だった。 その頃の「CONTINUE」には、流行を先取りするような興味深い記事が色々あった。中でも、まだ世間的にブレイクする前の木村カエラやGTAに言及していた記事は白眉だった。おかげでぼくは、ぼくの周りの人間よりはちょっとだけ早く、木村カエラやGTAのことを知ることができたのだった。またこの雑誌ではずいぶん前からPerfumeを数多く誌面に登場させていて、その意味でもずいぶんアンテナが立っていた。 この雑誌に、読んだ当時強烈なインスパイアを受け、今でも時々読み返す記事がある。Vol.25に掲載されていた「甲虫王者ムシキング」の特集だ。中でも、そのプロデューサー

  • 自己顕示欲と差別意識が入り込む心のスキマ - ハックルベリーに会いに行く

    こういうニュースがあった。「ヤングガンガン」編集部員が未成年タレントと「飲んでる」と日記に スクエニが処分 - ITmedia News話の内容を要約すると、スクウェア・エニックスから出版されている「ヤングガンガン」というマンガ雑誌の男性編集部員(契約社員らしい)が、ヤングガンガンが催したグラビアアイドルのサイン会に、会場整理の手伝いか何かで行った。その時のことをmixiの日記に書いていた。 ところが、その日記には主に二つの問題があった。一つは、その催しに来たファンのオタクを「キモイ」と書いていたこと。もう一つは、そのサイン会の打ち上げで、未成年のタレントがいる席でお酒を飲んだこと(飲んだのは記事を書いた人で、タレントが飲んだとは書いてなかった)。 このできごとを見て思ったのは、「なぜ今さらこうした事態が起こったのか?」ということだ。この編集者も、記事を読む限りではいい大人なのだから、お

    Masa19800822
    Masa19800822 2010/02/24
    リーダーに求められる素質。自己制御の能力。ってことね。
  • ネットにはまだテレビのような機敏さやえげつなさがない - ハックルベリーに会いに行く

    昨日、テレビ業界で働く友人と久しぶりに事をした。その友人とは、前に「アムウェイの人たちが集まるカフェ」に関する記事を書いたことがあるのだが、そのことを教えてくれた後輩のMである。そのMと、回転寿司をべながら四方山話に花を咲かせていたのだが、その中で色々面白い話を聞くことができた。なんでも今、テレビには「イケメンブーム」が沸き起こっているらしい。 このところ、「イケメン」をテーマにしたドラマがいくつも作られ、それぞれヒットを記録している。フジテレビで2007年に放送された「花さかりの君たちへ〜イケメン♂パラダイス〜」を筆頭に、「ごくせん」「ROOKIES」そして最近では、テレビ東京で「Cafe吉祥寺で」という昼ドラが放送されたりしている。さらには、ドラマではないけれど「クイズ!ヘキサゴンII」の「羞恥心」が流行しているというのもある。これらの番組には共通した特徴があるという。一つは、無名

    Masa19800822
    Masa19800822 2010/02/24
    人気商売だけに、ブルーオーシャンを見つけるのが早いってことね。
  • 親切は難しい - ハックルベリーに会いに行く

    今日の帰り道、電車に乗っていたら関西弁のよく喋る二人連れの女の子が乗ってきた。ぼくの隣が一席だけ空いていたので、一人の女の子が座り、一人の女の子が立っていた。ぼくは座ることにそれほどこだわってなかったので、思わず立ってもう一人の女の子に席を譲ってやろうかとも考えたけれど、変に譲るとその後ちょっと気まずい雰囲気というか、変にぎこちない空気になるのは目に見えていたので、結局譲るのはやめにしてしまった。人に親切をした後に普通にしていられるなら良いのだけれど、ぼくは自意識が強いので、その後何か見返りを求めてるんじゃないかと勘ぐられるのが嫌で、どうしても普通にできないのだ。みっともない話だが、例えば「ナンパしようとしてるんじゃないかと思われてるんじゃないか」などと考えてしまうのである。あるいはお年寄りに席を譲るのも、「年寄り扱いされて嫌な気分になるんじゃないだろうか」とか、考え始めるともう席を譲れな

    Masa19800822
    Masa19800822 2010/02/23
    あえて何も考えず、今まで通り続けよう
  • 事実は小説よりも奇なりというわけではない - ハックルベリーに会いに行く

    人間の質今日たまたま見たテレビのバラエティ番組で、将棋の豊川孝弘六段(当時)が2004年のNHK杯で二歩を打って反則負けした時の映像を紹介していた。 番組では、「二歩(という反則)をおかすのは棋士にはあり得ないこと」として、「サッカー選手が手でボールを扱うようなものだ」とかなんとか説明していた。またその時の映像を見たスタジオのパネリストたちは、天を仰ぐ豊川六段はもちろん、勝った田村康介五段の苦虫を噛み潰したような顔にも大きな反応を示し、「これは勝った方も複雑だろうなあ」と大笑いしていた。しかし将棋のことを少しでも知っている者ならば、これは特別大笑いするようなものではないというのはすぐ分かる。なぜなら「二歩」という反則は、確かにNHK杯では珍しいことだけれども、プロの試合でも全くないわけではないからである。棋士がおかす反則の中でも二歩というのは比較的多い部類に入る。理由はいくつかあるが、一

    Masa19800822
    Masa19800822 2010/02/23
    なぜ、そうなったか、の方が安易なバラエティーの笑いより、断然面白い
  • 教育することの面白さって何だろう? - ハックルベリーに会いに行く

    面白いとは何だろう?「りんごアンテナ日記」さんというニュースサイトがあって、よくぼくの記事を紹介してくれている。りんごアンテナ日記 とてもありがたいことだ。ところで「りんごアンテナ日記」さんの管理人さんは塾を経営なさっているらしい。とても素晴らしいことだ。ぼくも最近どうにも教育というのに興味があって仕方ない。ぼくの場合は誰かに何かを教えることを仕事にしているわけではないのだけれども、それでも人と接することがあって、そういう時に教育欲がむくむくと頭をもたげたりする。そうなったのは比較的最近からだけれども、もともと誰かに何かを教えるということは好きだった。ぼくにはぼくの大好きなものというのがたくさんあって、それを誰かと共有したいという思いがとても強いのだ。そしてできればそれをぼくと同じように面白いと思ってもらえたら最高だ。 教育ではないが、誰かに何かを教えるということはずっとしてきた。自分の大

    Masa19800822
    Masa19800822 2010/02/23
    三つ子の魂百まで。本人が変わろうとしなければ換わらない。
  • Hくんが府中で体験したリアル逆転裁判 - ハックルベリーに会いに行く

    知り合いのHくんの話。Hくんは駐禁に駐禁を重ねるチュウキニストで、免停の前歴が過去2回を数えるまでになった。この状態だともうあと2点でも失えばすぐまた免停で、しかも今度は3回目だからいきなり免停3ヶ月をらうというような崖っぷちの状態に陥った。そうなって初めてHくんも反省した。これから1年間はもう違反はしないでとにかく堪え忍ぼうと(1年間無事故無違反だと過去の免停は勘案されなくなる)、いつでもそろりそろりとおっかなびっくり運転していた。ところが、それは前の免停明けから8ヶ月ほどが経過した冬の真っ直中の2月半ば、走っていた中央高速を高井戸で降りた道と甲州街道とが合流する陸橋の頂上付近で、後ろから追跡してきた白バイにスピード違反を見咎められ、あわれにも23キロオーバーで捕まってしまい、2点減点で三度免許停止処分をらってしまったのである。 ※この先の陸橋の頂上付近で捕まったのだそうです。 大き

    Masa19800822
    Masa19800822 2010/02/22
    杓子定規でも困るが、ゆるすぎても困る
  • 説教をたれるから痛いのではない - ハックルベリーに会いに行く

    このエントリーを読んだ。「風俗嬢に説教たれる人々が痛い理由」と「売春を合法化し、厚生労働省売春管理局を作る案」 - 分裂勘違い君劇場 その中で、ここのところにちょっと引っかかった。 風俗嬢に説教たれる人々が痛い 「風俗嬢に説教たれる人々」というのは確かにいる。これは昔からいる。それはもうギャグにされるほどに。中には風俗店にやってくる客の中にさえいる。気持ち良くしてもらっておきながら、「こんな仕事して恥ずかしいと思わないのか? ご両親は泣いているぞ!」と説教を始めたりする。もう「じゃあお前はなんなんだ」というツッコミ待ちのような人…… 上記のエントリーでは、風俗嬢に説教をたれる人々が痛い理由を、 風俗嬢を見下すことで、その恥辱と罪悪をすべて風俗嬢に押しつけてごまかすのだ。彼女たちに密かに欲情する醜悪な自分を隠蔽して、自尊心を守ろうとするのだ。と説明していたけれど、それは一面的なものに過ぎない

    Masa19800822
    Masa19800822 2010/02/19
    いい意味でプライドを捨てられているか?昔は出来ていた。今も変わらず出来ているか?
  • Pくんがギャンブルで得たものと失ったもの - ハックルベリーに会いに行く

    友人Pくんの話。Pくんはまじめな高校生だった。高校までは勉強にクラブにとても忙しい毎日を送っており、受験勉強も頑張った。おかげでストレートで大学に合格することができた。さて、そうして大学に入ったわけなのだが、そこで驚いた。そこではありあまるほどの自由と時間があったからだ。自由はまず大学の新歓コンパで感じた。みんなで居酒屋に行ったのが、教授がいるにも関わらず、未成年者の自分がビールを一気飲みさせられたのだ。そんなこと、高校ではあり得なかった。酒など飲もうものなら軽く停学だし、二度くり返せば退学だ。Pくんは校則のとても厳しい学校の出だったのだ。それでPくんは、ああ大学とはなんと自由なところだと感じだ。校則どころか法律もへったくれもない感じだった。もう一つ感じたのは時間だ。大学では、なんと授業を上手くやりくりすれば週休3日は確保できた。これまで土日もなく暮らしてきたPくんにとってそれは衝撃だった

    Masa19800822
    Masa19800822 2010/02/19
    どんな経験だって考え方次第で財産になる、、はずだ。
  • もっと憎んで良いし、もっと恨んで良い - ハックルベリーに会いに行く

    人はもっと人を憎んで良いし、人をもっと恨んで良い。憎しみも、恨みも、それ自体はちっとも問題ではない。問題なのはそのやり方だ。憎み方であり、恨み方だ。憎み方も恨み方も、下手な人が多い。みんな、上手く燃焼できずにくすぶらせてしまう。だからみんな、憎しみや恨みをこじらせてしまうんだ。上手に燃やし尽くせば、これほど生きることへの力になるものはないのに。 それは愛となんら変わることはない。それは寛容となんら変わることはない。愛だって、こじらせればひどいことになる。寛容だって、こじらせたらとんでもないことになる。愛と憎しみは、二つで一つなのだ。恨みと許しは、コインの裏表だ。どちらも同じなのだ。どちらも同じだけ価値があり、またどちらにも同じだけ価値がない。それを、どちらか一方だけ認めたのでは片手落ちだ。両方だ。両方必要なのだ。人にとっては、両方ともがとても大切な生きることの燃料なのだ。 人はよく、人を憎

  • ぼくがぼくを助けてきた7つの方法 - ハックルベリーに会いに行く

    id:Blue-Periodさんが元気がないようだ。Blue-Periodさんはぼくのブログに何度も真摯なブックマークコメントをくれた方だ。そのコメントに、ぼくは何度も勇気づけられた。また大きな刺激ももらった。彼のコメントがきっかけになって生まれたエントリーもいくつかあった。 ぼくは、人を元気にしたいという気持ちを持っている。ぼくの書くものが、誰かの楽しい人生に必要な活力を提供できるならば、それはとても素敵なことだ。と言っても、人間が人間にできることなど限られているとも思っている。と言うより、ないに等しい。人間は人間を助けることはできない、というのがぼくの考え方だ。また、人が人を助けようと思うのはおこがましい、とさえ思っている。 手塚治虫の「ブラック・ジャック」に出てくる有名な台詞で「人間が生き物の生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね」というのがある。これは、患者を死なせ

    Masa19800822
    Masa19800822 2010/02/19
    掃除の件はちょっと心に響いた