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笑いに関するMiki-Teaのブックマーク (3)

  • 笑いを巻き起こす下半身のこっけいな営み:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン (前回から読む) ラブレーの笑い 「一六世紀は笑いの歴史の頂上であり、その頂上のピークがラブレーの小説である」[1]。ラブレーは中世的なカーニバルの笑いをその極限にまで高めて表現した。バフチンはその特徴を、第一に民衆の祝祭の表現、第二に祝祭のうちでも人々が集まって事をする饗宴の表現、第三に饗宴のうちでも、べる営みをする肉体の特異な表現、第四に肉体のうちでも腹部とその下の下半身の部分の強調のうちにみいだしている。その主なものを順に調べてみよう。 王の奪冠 第一のカーニバル的な要素が顕著なのは、『第四書』でパンタグリュエルの一行の代理委任島での祝祭的な殴打である。ここには法院族という一族がいる。この国の修道士や司祭などがある貴族を痛めつけよう

    笑いを巻き起こす下半身のこっけいな営み:日経ビジネスオンライン
  • 笑いの精神をうけついだ文学の巨匠と「笑いの思想史」:日経ビジネスオンライン

    気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン (前回から読む) キリスト教と笑い これまでみてきたように、中世の世界には民衆のカーニバル的な笑いと祝祭の伝統が残っていた。ただしこの祝祭は、日常の生活のうちで特別な機会にかぎられていた。「中世の民衆の笑いの文化は、根的には祝祭や気晴らしの小島に局限されていた」[1]のである。 中世の世界を支配していたキリスト教は、最初から笑いに敵対的だった。『福音書』でイエスが一度も笑わないのはよく知られている(ほほ笑んでいたのはではないかと思われる節はある。イエスが譬えで語り始めるときなどだ)。初期のキリスト教の教父たちの多くは、見せ物や民衆の祝祭には敵対的だった。 バフチンが語るように、「テルトゥリアヌス、キュプリアヌス、クリュソストモスは公然と見せ

    笑いの精神をうけついだ文学の巨匠と「笑いの思想史」:日経ビジネスオンライン
  • 笑いを擁護する : sociologbook

    以下は、2011年1月9日に奈良女子大でおこなわれたシンポジウム「社会運動で語ること/伝わること/繋がること」で私が話した内容をもとに書いて、シンポの報告書に掲載してもらった文章です。一部細かい間違いは直しましたが、だいたいそのままです。 このシンポジウムは、奈良女子大の鶴田幸恵さん、名古屋大学の渡辺克典さんたちが中心になって企画されたもので、それぞれ関西の有名な運動家(という言い方が正しいのかどうかいまだにわからないけど)の、土肥いつきさんと上野久美さんのお話を中心にして、それになにかコメントしてくださいということだったので、だいたい以下のようなお話を……するつもりが、土肥さんのトークに引きずられて結局あっちゃこっちゃ脱線し、自分自身のカミングアウトもおりまぜながら、何かようわからん話になっちゃったので、以下に文章をあげときます。 テーマは「関西らしい社会運動について語る」ということだっ

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