(承前) 「偽物」論がピークに達するのは、次の一節ではないだろうか。 ディクスン・カーの歴史ミステリをなんとなく読んでいる。わたしは西洋史にうとく、ずっと敬遠していたから、ほとんど初読である。 まず『ビロードの悪魔』(吉田誠一訳、ハヤカワ・ミステリ文庫)を読んだのだが、主人公ニック卿に仮託されたイギリス国王への強い敬意を感じとっ て、実に妙な気分になった。というのは、カーはアメリカ人だからだ。ヨーロッパに遊学したのが20歳前後、イギリスに移住したのが25歳ごろだから、それまではずっとアメリカ合衆国で暮らしていたわけで、これは完全にアメリカ人である。成人するまで生活していれば、気質も根本的にはアメリカ人のはず。 それでふと思ったのは、カーにとって過去のイギリスとは一種のファンタシーランドだったのではないか、ということ。実際、『ビロードの悪魔』はほとんどヒロイック・ファンタシーである。主人公の