manuals (h.b.準備室)
・杉田敦『境界線の政治学』(岩波書店、2005年)の研究会@早稲田大学 の続き(完)。 研究会では、この杉田氏の著書に対して、谷澤氏から以下のような問題が提起された。 【谷澤氏のコメント】 谷澤正嗣 「杉田敦という境界線――杉田/非杉田の二分法は越えられるか」 ・「杉田的なるもの」……自明-自然であることへの問い直し「ポスト・モダン」的批判の身振り。 ・「非杉田的なるもの」…… ウォルツァー的な「境界線」を曖昧にすることへの批判;「あれかこれか」を決断する身振り。 ・杉田氏の身振りがこうした両義性を帯びていること、そのことの意味。その「境界」を越えることは可能か。 ・ウォルツァーと杉田氏との差異について……ウォルツァーが「境界線を曖昧にする」ことによって「境界線自体を守ろう」とするのに対して、杉田氏が「境界線を注視する」ことにより「境界線の恣意性・可変性を指摘」するのが可能であること。 ・
革命についてposted with amazlet on 07.03.01ハンナ アレント Hannah Arendt 志水速雄 筑摩書房 (1995/06) 売り上げランキング: 100470 Amazon.co.jp で詳細を見る 「なんとなく現象学」という読書の道を諦めて、読み出したのがハンナ・アーレントの『革命について』――これは「アメリカ革命*1」と「フランス革命」の比較が試みられている大著である。この本を手に取ったのは、1年ぐらいアドルノ(およびホルクハイマー)を読んでいたら自然と「暴力」について考えてみたくなったからである(こういうのは性格に起因していると思うんだけど、私はそういう風にテーマをもっておかないと上手く思想の本など読めない)。 2つの革命の比較に入る前に、アーレントは革命の意味について議論をしている。そこで彼女は「革命家が目指すものは自由である」と定義するのだが、
started on 17, Dec., 1998// → 1998年度知識情報論に戻る ニューエイジ運動とは? ◎ ヒッピー運動とアクエリアス……先のパートの末尾に、1970年代におけるオールターナティヴ知識論の時代背景として、1960年代の米国で公民権運動、ヴェトナム反戦運動と並ぶ対抗文化(カウンターカルチャー)運動であったヒッピー・ムーヴメントを指摘していた。これらの対抗文化運動のうち、とくにヒッピー・ムーヴメントは、反産業社会、反科学−都市文明の方向性を有し、都市から離れた場所でコミューンを形成する文化実験という趣を持っていた(例:反ハリウッドの「ニューシネマ」として60年代末に作られた映画『イージーライダー』←二人の主人公は、髭や長髪のような外見が米国の若者らしくないという以外にはとくに理由もなく、深南部の保守的な初老男に撃ち殺されてしまう!)。また、ヒッピーたちは、東洋的なも
このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネット(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 ※1 日本のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 ※1 レジストラ「GMO Internet, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 ※1 2020年8月時点の調査。
『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』(日本語版)のあとがきには、翻訳、監修した木下誠氏によってこう書かれている。 『ア ンテルナシオナル・シチュアシオニスト』には、その扉あるいは裏表紙に常に「『アンテルナシオナル・シチュアシオニスト』に発表された全てのテクストは、 出典を明記しなくても、自由に転載、翻訳、翻案することができる」と書かれている。しかし、シチュアシオニストにとってこの銘記は、ブルジョワ的私有概念 を無視した、運動に資する「海賊出版」を自由に行ってくれという意味であり、資本主義システムに嬉々として組み込まれた大出版社がこれを利用することに対 しては、彼らは「事実行為」によってあくまでも闘うという態度を貫いた。(……)したがって、本書もまた「出典を明記しなくても、自由に転載、翻訳、翻案 することができる」。そのようにして本書が活用されることを願う。 以下にアップするのは『オン
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く