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2013年8月1日のブックマーク (4件)

  • 大江戸美人揃え 二之巻 笠森 お仙 - 落書福太郎の部屋

    二之巻 笠森 お仙 (一) 時は明和五(一七六八)年秋、おろくの話の十七年後である。江戸の外れ谷中の笠森稲荷の水茶屋’鍵屋’に一人の武士が、入った。 この侍、太田南畝と言い、十九歳で幕臣として御徒(歩兵:将軍が外出するとき乗り物の前後左右の警古にあたり、平日は、要所の持ち場に詰めるのが仕事で、七十俵五人扶持の薄給)を務めていた。幼少の時は、盛んな知識欲そして、異常なほどの記憶力に皆は、南畝を神童と言っていた。今は、独学で和漢の故事典則を学び、江戸風俗に通じまた、狂歌にも長じていた。 娘が茶を運んできた。 (お、なんて美しい娘なんだろう) 南畝は、見とれてしまった。 この天才男、生まれてはじめて一目ぼれをしたようだ。 茶を何杯か飲み、腹がいっぱいになった。客が席を求めて、待っているのに気づき、南畝は、未練を残し店を出た。 (春信さんに、教えてやろう) 南畝は、知り合いの浮世絵師鈴木春信(四十

    大江戸美人揃え 二之巻 笠森 お仙 - 落書福太郎の部屋
  • 実在した江戸時代の人気No.1アイドル・笠森お仙は垂涎ものの美人

    いつの時代もアイドルたちの笑顔は可愛らしく、そしてまばゆい。 松田聖子に安室奈美恵、AKBや乃木坂グループなどなど。 トップアイドルが世にでるときは、テレビだけではなく映画にドラマ、CMへと、あらゆるメディアを巻き込みブームが作られていく。 しかし、そんな彼女らでも到底勝てないスーパーウーマンが江戸時代にいた。 【明和三大美女】の一人・笠森お仙(1751-1827年)。 1827年2月24日(文政10年1月29日)はそんな彼女の命日である。

    実在した江戸時代の人気No.1アイドル・笠森お仙は垂涎ものの美人
    Moonlightdance
    Moonlightdance 2013/08/01
    官僚の人は、昔はよかったって慨嘆するだろうなぁ。
  • アイドルの元祖?―笠森お仙

    江戸時代の明和年間(1764~72)に「明和の三美人」と持て囃(はや)された、江戸っ子たちのアイドルが居ました。 浅草・二十軒茶屋「蔦屋」で働く「蔦屋およし」、浅草・奥山の楊枝(ようじ)屋「柳屋」で働く「柳屋お藤」、谷中(やなか)・笠森稲荷門前の茶屋「鍵屋」で働く「笠森お仙」、 の3人がそうです。これら3件の店は、彼女たちの姿をひと目見ようとする男たちであふれ返り、ひきもきらない賑わいを見せていたのです。 その中でも、「笠森お仙」の人気は群を抜いていて、江戸中期の文人・大田南畝(なんぽ)(蜀山人)の『売飴土平伝(あめうりどへいでん)』によれば、 社前には参詣の人もなく、賽銭箱に投げ入れられる銭の音も無い。俄かにして一朶(だ)の紫雲下り、美人の天上より落ちて、茶店の中に。座するを見る年は十六七ばかり、髪は紵糸(しゅす)の如く、顔は瓜犀(うりざね)の如し。翆(みどり)の黛(まゆずみ)、朱き唇、

    アイドルの元祖?―笠森お仙
  • 「世田谷ナンバー」反対で提訴 NHKニュース

    車のナンバープレートに地元の地名を表示するいわゆる「ご当地ナンバー」を東京・世田谷区が要望していることに対し、反対する住民が「『世田谷ナンバー』ではなく、今の『品川ナンバー』のままがいい」と裁判を起こしました。 ご当地ナンバーは、地元の地名を車のナンバープレートに表示する制度で、東京・世田谷区はことし6月、現在の品川ナンバーから世田谷ナンバーに変更したいという要望書を国に提出しました。 これに対し、世田谷区の住民23人が「今の『品川ナンバー』は多くの人が愛着を持っていて、強制的に変えるべきではない。区はアンケートで80%が賛成だというが、回答は高齢者が多いなど公正ではない」などと主張して、1日、ナンバーを変えないよう国に求める訴えを東京地方裁判所に起こしました。 原告は会見で「ご当地ナンバーを導入したほかの地域と比べても世田谷区は面積が極端に狭く、自分の住所を公表しながら車を走らせることに