伊勢湾を望む知多丘陵の貯水池、佐布里(そうり)池(愛知県知多市)の湖畔に小さなほこらがあります。知多市の農家、久野庄太郎さん(一九〇〇〜九七年)が五十六人の霊を慰めるために寄進した愛知用水観音堂です。 大きな山も河もない知多半島は長く水不足に悩んでいました。久野さんは米作りから養豚や養鶏、のり養殖に手を広げ、一九四六年、天皇陛下に県の農業事情を進講するほどの篤農家でした。翌四七年、大干ばつが襲います。久野さんは戦争で男手をなくした家を回り、自分の田でとれた米を配り、水くみも手伝ったそうです。 木曽川の水を運ぼう−。そう思い定めた時、戦前は南満州鉄道の技術者だった浜島辰雄さん(一九一六〜二〇一三年)と運命的に出会ったのです。二人は現地調査を重ねて水路の概要図を作り、地元や役場、政治家を訪ね歩きます。地縁や人脈を生かし、四八年末には吉田茂首相(当時)に直談判。浜島さんの著書によると、当初五分の
![流れる水は腐らない 週のはじめに考える:中日新聞Web](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/3d036e238fab90375810ad62984c173ba839b2ef/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fstatic.chunichi.co.jp%2Fimage%2Farticle%2Fsize1%2Fa%2F4%2F6%2F8%2Fa46882eb77fc5e24a5dd56a2f6f5a65f_1.jpg)