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2007年3月12日のブックマーク (7件)

  • くるさりんど -  自薦他薦は問い詰めません

    何日か前から自分の「RSSリーダー」をプライベートモードにして非公開にしました。 まぁ、理由は恥ずかしくて言えないのですが、気に入ったところを考えずにぽこぽこ登録していましたら、あれだ、なんだ、どうだ、あの、えっと、女性ばっかりになっていた。 12件の登録のうちの6件が女性だ。半分が女性で、残りの半分の男性のうち、4件が非モテ関係だ。さすがにどうなのよ? これに気づいて慌ててRSSをプライベートモードにしたというわけだ。 厳密に言うと、はてな界隈のことはよく知らないから、女性と思ってるだけで男性の人もいるのかもしれないけれども、なんぼなんでもちょっと恥ずかしかった。 だからこっそりプライベートモードにしました。 好きなものを選んだだけだと言い張りたいんですが、たぶん、好きなものが女性なんですわ。 で、ブックマークを始めます、とは言ってみたものの、気が付いたら私、あまり他人のページを見ないん

    くるさりんど -  自薦他薦は問い詰めません
    NOV1975
    NOV1975 2007/03/12
    あんまり期待しないでね。適当が身上なので。
  • 暗算の達人 - 煩悩是道場

    私は、暗算が苦手だ。そんな私がこのに出会う事によって暗算を楽しいと感じるようになった。計算もパズルなんだという、数学好きの人にとってはアタリマエでしかない感動を味わっています。 こので私が驚いたのは「左から計算する」という点。例えば  125+ 15という足し算があった場合、百の位から足していこう、というのがこので書かれている事の基の一つ。うーん、そんなやり方学校では教わらなかったぞ。でも、実際にこのやり方でやると早いんだな。というよりアプローチが異なるだけで「面白さ」が倍増する。それだけじゃない。「じゃあ、こんなアプローチもアリなんじゃない?」と自分なりのアプローチを考えついたりする。脳の中で「何か」が弾ける。興奮の瞬間<それは言い過ぎ 加減乗除なんて電卓があれば良い、大切なのは計算ではなく答えだ、と思っていた私にとって頭を使って計算をするという事がこんなに楽しいと思ったことは

    NOV1975
    NOV1975 2007/03/12
    え、暗算するときって左から足すのがスタンダードだと思っていたよ…
  • 柳沢答弁と15人のユダ - 新小児科医のつぶやき

    昨日は予算院会ネタを1回休みましたが柳沢大臣と安倍総理の答弁の拠り所とした聖書である医師の需給に関する検討会報告書をやっと読み終わりました。この検討会に名を連ねた委員は、 池田康夫慶應義塾大学医学部長 泉 陽子茨城県保健福祉部医監兼次長 内田健夫社団法人日医師会常任理事(第13回〜) 江上節子東日旅客鉄道株式会社顧問 川崎明徳学校法人川崎学園理事長、社団法人日私立医科大学協会長 小山田恵社団法人全国自治体病院協議会長 水田祥代国立大学法人九州大学病院長 土屋隆社団法人日医師会常任理事(第1〜12回) 長谷川敏彦日医科大学医療管理学教室主任教授 古橋美智子社団法人日看護協会副会長 田麻由美読売新聞東京社編集局社会保障部記者 矢崎義雄 (座長) 独立行政法人国立病院機構理事長 山修三社団法人日病院会会長 吉新通康東京北社会保険病院管理者、社団法人地域医療振興協会理事長 吉村

    柳沢答弁と15人のユダ - 新小児科医のつぶやき
    NOV1975
    NOV1975 2007/03/12
    なんともかんとも。確かに資料も悪いけど、どうやったら鵜呑みに出来るのか。政治家としていちばん問われる資質が欠けとるな。
  • DotsPressニュースアーカイブ

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    NOV1975
    NOV1975 2007/03/12
    納得出来ないのは過剰に(疑似)体験を得られるから想像することを止めてしまったのが原因のようにも思える。プリミディブな体験をする機会がないのはかわいそうだけど、もともと全てを体験することは無理なんだから。
  • 好意と悪意の狭間 - novtan別館

    ブログなどで表明した自分の意見や感情についてのコメント・ツッコミに対して必要以上に善意・好意であるとか悪意であるとか考えるのはしんどいよなあと思ったりする。お互い背景を書かれていること以上には知りえない程度の関係において、期待できることは限られているわけだし。 だからコメントは常に冷静な批評として受け止めることにしている。明らかに悪意が放出されていたとしてもそれを受け止めなければならない義務はないし、それよりはその悪意の部分をフィルタリングした結果として残ったものについての意味を考えた方が建設的ではないか。 と、冷静な人格を装っている自分が主張しているわけだ。ここに何かを書くときに既に自分の思考のかなりの部分がそぎ落とされているからそう思えるのかもしれない。もっと心の赴くままに、あるいは心の奥底までを書き連ねているのであればそんなことを言っていられないかもしれない。 それでもやはり他人の真

    好意と悪意の狭間 - novtan別館
    NOV1975
    NOV1975 2007/03/12
    ↓いや、こんなことを書いているけれど、僕自身は実際にはほとんど気にならなかったりします。じゃあなんで書いたかというと過剰に反応しすぎても疲れるだけだよ、と言いたいだけなのです。
  • 浅田彰【セゾン文化を継ぐ者は誰か】

    去る2月、セゾン美術館が閉館した。セゾン美術館の前身である西武美術館が開館した1975年は、堤清二のもとで西武グループの文化戦略が格化した年でもある。それから四半世紀にわたって時代をリードしてきた西武/セゾン文化が、ついに中核のひとつを失う。感慨深い出来事である。 それまで、デパートの文化事業といえば、売り場の片隅で「泰西名画展」のたぐいを開くのが精々だった。ところが、西武/セゾン美術館は、内外の現代美術を積極的に紹介していったのである。世界の流れから取り残された公共の美術館を尻目に、それは一時期には同時代の世界に開かれた日最大の窓として機能したのだった。同じことは、劇場・映画館・ホール・出版社・書店・レコード/CD店などを通じて多角的に展開された西武/セゾン文化全体に当てはまるだろう。そこでは、世界中で話題になっている舞台や映画音楽に触れ、世界のどこよりも簡単に前衛的な美術書やレコ

    NOV1975
    NOV1975 2007/03/12
    こういうのをちゃんと評価することは必要ですね。
  • 抽象化するということ - 勝虫日記

    さきに告白すると、抽象化するというのは、どういうことか、はっきりとは分からない。というより、分かるというレベルをちょっと高く置いておきたい。抽象化されたモノ、ふつうは、概念とか観念とか言ったりするけれども、その実体が何なのか*1。 我々は、指でも自分の名前は書けるし、足でも自分の名前は書ける。これの意味するところは何か、生理学的、科学的興味がわく。何らかの神経プロセスとして物理的にどう実現されているかと。おそらく、何らかの幾何学的なモノとして実現されているだろうが、まだまだ分からないところだ。 少なくとも、この例から、記号というのは、一つの行動として現れるというのは、たしかだ。感覚によって捨象されて、ひとつのモノとして表現される「自分の名前」がプロセスとして存在しているまでを「抽象」だというよりは、行動として表すということを抽象だと考えたい。先の例で言うと、「名前を書く」ということ。表すと

    抽象化するということ - 勝虫日記
    NOV1975
    NOV1975 2007/03/12
    単純に言うとパラメータとValueに切り分けることなんじゃないのかなあ。