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2007年4月14日のブックマーク (6件)

  • 罵倒や揶揄に順序もレベルもへったくれもあるものか! - novtan別館

    罵倒や揶揄やその他の明らかなネガティブワードには相対性はない。絶対的なものだ。そこに相対性を認めるとしたら、それは発した側の評価ではなく、受け取った側の評価であり、発するほうがそこにはじめから相対的な価値を置くこと自体がナンセンスであると言えよう。 また、ボーダーライン的な言葉に対して、ネガティブに受け止められたとき、当にそこにネガティブな意思がなかったときにまず反省すべきなのは文脈が明らかでない状況でどちらにも受け止められる言葉を発した自分の行為に対してであり、相手が誤解したのであれば正せばよい。 罵倒に対して罵倒で返す。こちらが後の側だからその罵倒は正当化されるのか。そうではない。罵倒は罵倒であり、ただ罵倒をしたという事実のみが重要である。その罵倒が正当であり、また自らの意見の表明であるならば、それは順序性や相対性には全く関係ない*1。 同様に、「あっちの方がより酷いことを言った」と

    罵倒や揶揄に順序もレベルもへったくれもあるものか! - novtan別館
    NOV1975
    NOV1975 2007/04/14
    aozora21さんに引用していただく部分はtypoがあることが多くていつも申し訳なく思っています…
  • Krafty | はてなを(また)辞めました。

    思うところがあって、はてなで取得していたアカウントであるid:Regretを抹消することにしました。以前にid:iduru名義でメインの日記を書いていた時に実はサブアカウントを取得していて、そちらの方はごくパーソナルなことをはてなダイアリの書式に則って書いたのでそれを再生させたいと思ったことやあとは断片部というところに興味を抱いて加入してみたかったというのもあったのですが、これ以上だらだら続けていても面白くないなと思ったこととあとはVoxというブログサーヴィスを知ってそっちの方が自分にとってしっくりきそうだなと思ったこともあって――語弊のある言い方になりますが、結局は別にはてなダイアリの過去ログは書式に囚われずにブラッシュアップして使い回せばいいだけの話なので――思い切って退会しました。行き当たりばったりな性格の人間なのでもしかしたらまた下心が働いてしまうかもしれませんが、はてなが今の調子

    NOV1975
    NOV1975 2007/04/14
    ※欄見て死にそうになった。そのメンタリティーには脱帽するしかない。当事者じゃなくても不快だ。
  • タバコ部屋は僕らのパラダイスなのさ! - フランシーヌの場合は

    mixiのノンスモーカーコミュニティに、あるトピックが立った。 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=17269536 非喫煙者より喫煙者の方が、仕事が良くできているように見える。多分それは、タバコ部屋のコミュニケーションがあるからだろう。非喫煙者の自分はどうしたらいいだろうか。 超共感したので、これに関するエントリーを書く。 タバコ部屋ってうらやましいよね。 たとえば仕事で接点のない部署の人と、たとえば普段話すことのない上位上司と、話ができる。仕事に関係あることないこと話しているうちに、他の部署の仕事が見えてきて、互いの得意分野が見えてきて、会社全体の方向性が見えてくる。 こういうことは、ぺーぺーのウチはへーそうなのかで終わるけれども、自分の責任範囲が広がるにつれて、手を動かす側から仕切る側にシフトしていくにつれて、少しずつ有益な情報になる場面が増えてくる。 今困っ

    タバコ部屋は僕らのパラダイスなのさ! - フランシーヌの場合は
    NOV1975
    NOV1975 2007/04/14
    吸わなくても遠慮せずに突入だ。問題は自分がタバコ臭くなることだな。非喫煙者のために必要なのは喫煙させない法律じゃなくて強力無比な浄化装置だと思うんだ。
  • 2050年の2ちゃんねる

    youkoseki.com 2050年の2ちゃんねる2ちゃんねる」という言葉を聞いてピンと来た人は、私を含めてもう若くないということを自覚しなければならない。 2ちゃんねるは2000年前後に人気を集めた「巨大掲示板」で、今でいうCPOTからEMN機能だけを抜き出したようなものである。老若男女に幅広い人気を集め、当時は日人の三人に一人が2ちゃんねるの熱心なユーザーであったという統計も残っている。また、その圧倒的なエネルギーで「祭」や「田代砲」といった多くの社会的現象を巻き起こした。近代日文学に詳しい人は、中野独人の奇妙な処女作「電車男」の舞台としてご存じかもしれない。 2ちゃんねるは二つの問題により、2010年に閉鎖された。すなわち違法行為を容認したことに対する法的制裁、およびまだ一民間企業だったGoogleの「巨大掲示板」業界参入である。(但し「1ちゃんねる」「2ch2」「3ちゃん

    2050年の2ちゃんねる
    NOV1975
    NOV1975 2007/04/14
    用語のセンスがイカスな。
  • おさかな日記: 元731部隊員吉村氏「私がマスコミに責められるのはお門違い」

    シンポジウム「戦争と医の倫理」ならびに「戦争と医学」展に行ってきたことは先日述べた。シンポジウムの発言内容は、もう少し後で紹介することになりそうだが、とりあえず、「戦争と医学」展のパンフレット(展示内容とまったく同じものが載っている。一部500円だった)も持っていることだし、そのなかから興味(?)を持ったものを紹介する。 いちばん僕がびっくりしたのは、下記の資料である。 ---吉村寿人の弁明 私が属していた部隊に戦犯事項があったことが最近、森村誠一氏「悪魔の飽」に記載され、それがベストセラーになった為に国内の批判を浴びるようになった。しかし私の属した部隊は細菌戦の事を研究していたのであるが、最初に記したように私は生理学者であった為に部隊来の仕事とは別の研究をやっていたのである。 従って、此らの新聞やマスコミは世間の耳目を引く為に私に無関係の事をいかにも私が責任者であった様に書くのは全く

    NOV1975
    NOV1975 2007/04/14
    マスコミが責めるべきポイントはどこかと言う話かな。お門違いの部分はあるよ、確かに。
  • uumin3の日記 - 道徳的詐術

    G★RDIAS:「当は、できるでしょう?」の原初的風景より たとえば、私がコンビニで200円のおやつを買おうとするという状況を想定する。 目の前に、募金箱がある。そこには「アフガニスタンの人達は、4人家族で200円あれば1日暮らしていける」と書かれてある。 それでも、その文字が目に入りながらも、私はおやつを買うとする。 このときに、私が「募金できない」と言うのは端的に誤っている、ということである。ただ単に私は「募金しない」だけである。 仮に、その200円がないために、アフガニスタンの家族がその1日を生き延びられず、死んだとしよう。すると、事実として「間接的ではあろうが、私は人殺しである」と言えよう。 私は、そういうことを「まずは」嘘をつつみ隠すことなく言おう、と提起している。 これは、「正論の倫理学」なら主張するであろう、「その200円を募金すべきだ」という主張とは全く違う。 ただ、私は

    uumin3の日記 - 道徳的詐術
    NOV1975
    NOV1975 2007/04/14
    ↓でもさ、その無限責任って「人間は生き物を喰らうと言う原罪を持っているから毎日罪の意識を感じながら生きよう」って言っちゃうくらい重くて軽いと思うよ。