脚気に関して、森鴎外に対して批判的な意見、もっと言えば薬害エイズの時の安部教授の様な「お前がいたから脚気で何万人も死んだんだよ」という意見が目立つのだが、それはいささか不当な批判ではないかと思う。 例えば、よく見かける批判が、森鴎外が脚気感染症説に固執していたと言うものである。 当時軍事衛生上の大きな問題であった脚気の原因について細菌による感染症との説を主張し、のちに海軍軍医総監になる高木兼寛(及びイギリス医学)と対立した。 森鴎外 - Wikipedia しかし、私が調べる限り、森鴎外が感染症説を主張した事実は無いように思えるのだが。 森の上官である軍医監石黒忠悳は、早く1878年に『脚気論』を出版して細菌説を唱えていた。1885年に海軍の高木、陸軍の堀内らの麦飯説(栄養障害説)が有力になり始めると、それに対抗してあらたに『脚気談』(1885)を出版して、栄養説は信ずるに足らないと主張し