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「データ3つで標準偏差を計算するのはおかしい」とする主張を私は物理の方法と呼んで、それだけが自然を正しく記述する方法だとする立場を強く批判した(追記参照)。そういう物理の方法としては他に、「正確でない数字の前にはかならず「約」をつけなさい」「結果は有効数字で表現しなさい」が、ある。 複雑な自然をそのまままるごと研究対象にする地質学(や生態学など)は、観察結果を数量で表現することの有効性をもちろん知っている。しかし、歴史性や地理的要因のため、データ取得がしばしば思ったようにはできない。そのとき、数量的表現をあきらめる立場があろう。 しかし私はその立場をとらない。どんなに精度が悪くても、言わないより言うほうがはるかにましだと思っている。精度が悪い数量を日常的に使っていると、数字の前に「約」をつけたり有効数字にこだわることに意味が認められなくなる。すべての観測数値に誤差がある。 日本語としても、
「データ3つで標準偏差を計算するのはおかしい」とする主張を私は物理の方法と呼んで、それだけが自然を正しく記述する方法だとする立場を強く批判した(追記参照)。そういう物理の方法としては他に、「正確でない数字の前にはかならず「約」をつけなさい」「結果は有効数字で表現しなさい」が、ある。 複雑な自然をそのまままるごと研究対象にする地質学(や生態学など)は、観察結果を数量で表現することの有効性をもちろん知っている。しかし、歴史性や地理的要因のため、データ取得がしばしば思ったようにはできない。そのとき、数量的表現をあきらめる立場があろう。 しかし私はその立場をとらない。どんなに精度が悪くても、言わないより言うほうがはるかにましだと思っている。精度が悪い数量を日常的に使っていると、数字の前に「約」をつけたり有効数字にこだわることに意味が認められなくなる。すべての観測数値に誤差がある。 日本語としても、
Narrにしか意味がわかんない可能性が高いが、それを前提として書く。 「社会生活を人々が営む上で、様々な判断の基盤となる共通の事実認識について、客観的な検証を経ずに、あたかも『客観的な検証を済ませた』という資格を取得したかのように、詐称していること」 「科学でないのに科学を装うこと」だけで、何が悪いのか、を理解できない人は、相当数いるらしい。 彼らの傾向は、「科学」を、「科学者たちが、科学者たちに共通した方法によって、自然界を捉えた事実認識」と捉えてること。大事なのは、「科学ではない事実認識」であっても、「自然界を捉えた事実認識」であることには全く違いがない、と見なしていること。 「科学」であろうと「非科学」であろうと、「自然界を捉えた事実認識」であることに違いはない。よって、社会的にどちらの価値が上だということは、あってはならない。科学者だけが偉いのではないのだから。 学校教育などの公的
今年に入ってから ごはんのおもしろ実験を 始めました。 経過はこうです。 障害者チームで インスタントコーヒーの空ビン3本を用意しました。 昼食のとき 皆でごはんを一口分づつ3本のビンに入れ フタをしました。 1本には、「バカやろう」 と書いたシールを貼りました。 1本には、「ありがとう」 と書いたシールを貼りました。 1本には、なにも書かないものを用意しました。 この3本のビンを毎日 気づいた者が シールに貼ってある言葉を 大声で云います・というよりは叫びます。 「バカやろう」 のビンには 「バカやろう」 「ありがとう」 のビンには 「ありがとう」 よその所では 1ヶ月ほど経過すると“無視されたビンのごはん”が 一番汚く・臭い。 その次が“ 「バカやろう」 ビンのごはん”が汚く・臭い。 “ 「ありがとう」 ビンのごはん”は、麹のような匂いになるらしいと 書かれていました。 さて当社ではど
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