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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (19)

  • 海野十三 生きている腸

    医学生吹矢隆二は、その日も朝から、腸(はらわた)のことばかり考えていた。 午後三時の時計がうつと、彼は外出した。 彼の住んでいる家というのは高架線のアーチの下を、家らしい恰好にしただけの、すこぶる風変りな住宅だった。 そういう風変りな家に住んでいる彼吹矢隆二という人物が、またすこぶる風変りな医学生であって、助手でもないくせに、大学医科にもう七年も在学しているという日に一人とあって二人とない長期医学生であった。 そういうことになるのも、元来彼が課目制の学科試験を、気に入った分だけ受けることにし、決して欲ばらないということをモットーにしているのによる。されば入学以来七年もかかっているのに、まだ不合格の課目が五つほど残っていた。 彼は、学校に出かけることは殆どなく、たいがい例の喧騒の真只中にある風変りな自宅でしめやかに暮していた。 いまだかつて彼の家をのぞいた者は、まず三人となかろう。一人は大

  • aozorablog » 青空文庫の蔵書構成

    カテゴリー:,青空文庫 | 投稿者:おかもとAuthor: おかもと About: 青空文庫分野別リストの管理人、など。See Authors Posts (10) | 投稿日:2014年2月28日 | はじめに 青空文庫、インターネット上の電子図書館。2014年2月22日の時点で、12,400点の作品を公開している。 こんなにたくさん作品があると、中にどんなものがあるか、よくわからないだろう。また、よその図書館と比べて多いのか少ないのか、そのあたりもよくわからない。 そこで、青空文庫の蔵書構成がどうなっているか、数値を元に、よその図書館と比較しながらみていくことにしよう。 1. 青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/) まず、青空文庫からダウンロードできる「公開中 作家別作品一覧」(※1)のデータを元に、作者別の傾向をみてみよう。 このデータによると、青空文庫に収録

  • 青空文庫:黒死館殺人事件

    この作品には、今日からみれば、不適切と受け取られる可能性のある表現がみられます。その旨をここに記載した上で、そのままの形で作品を公開します。(青空文庫

    青空文庫:黒死館殺人事件
  • 作家別作品リスト : 夢野 久作

    名・杉山泰道。右翼の大物・杉山茂丸の子として生まれ、はじめ農園経営に従事。僧侶、新聞記者などを経て、作家に。死の前年に書かれた大作『ドグラ・マグラ』をはじめ、怪奇味と幻想性の色濃い作風で日文学にユニークな地歩を占める。 「夢野久作」 公開中の作品 青水仙、赤水仙 (新字新仮名、作品ID:937)     →海若 藍平(著者) 悪魔祈祷書 (新字新仮名、作品ID:2382) 虻のおれい (新字新仮名、作品ID:46716)     →香倶土 三鳥(著者) 雨ふり坊主 (新字新仮名、作品ID:914)     →香倶土 三鳥(著者) あやかしの鼓 (新字新仮名、作品ID:531) 縊死体 (新字新仮名、作品ID:2377) 医者と病人 (新字新仮名、作品ID:46717)     →香倶土 三鳥(著者) いなか、の、じけん (新字新仮名、作品ID:919) 犬と人形 (新字新仮名、作品ID

  • 図書カード:ドグラ・マグラ

    名・杉山泰道。右翼の大物・杉山茂丸の子として生まれ、はじめ農園経営に従事。僧侶、新聞記者などを経て、作家に。死の前年に書かれた大作『ドグラ・マグラ』をはじめ、怪奇味と幻想性の色濃い作風で日文学にユニークな地歩を占める。 「夢野久作」

    図書カード:ドグラ・マグラ
  • 神州纐纈城 (国枝 史郎)

    小説家。長野県茅野市生まれ。早大英文科中退。在学中自費出版した戯曲集「レモンの花の咲く丘へ」を契機に、劇作活動から朝日新聞記者を経て松竹座の座付作者となる。しかし、バセドー氏病に罹患し活動なかばで帰郷。各地を転居しながらの療養生活中、「講談雑誌」(博文館)に寄稿した連載時代小説「蔦葛木曽棧」(つたかずらきそのかけはし)(大正11年)執筆を機に小説へ転じる。複数の筆名を用い探偵小説なども手がける一方、奔放な空想力で描かれる時代小説は現代にいたる伝奇小説のさきがけとなる。とくに代表作と言われる「神州纐纈城」(しんしゅうこうけつじょう)(大正14年)は、陰惨怪奇、神秘的色彩の濃いその特異な作品世界が高く評価され、三島由紀夫からも「文藻のゆたかさと、部分的ながら幻想美の高さと、その文章のみごとさと、今読んでも少しも古くならぬ現代性とにおどろいた。(中略)その気稟の高さは比較を絶している」と絶賛され

    神州纐纈城 (国枝 史郎)
  • 生きている腸 (海野 十三)

    におけるSFの始祖となった小説家。名は佐野昌一。徳島市の医家に生まれ、早稲田大学理工科で電気工学を専攻。逓信省電気試験所に勤務するかたわら、1928(昭和3)年、「新青年」に『電気風呂の怪死事件』と名付けた探偵小説を発表して小説家としてデビュー。以降、探偵小説、科学小説、加えて少年小説にも数多くの作品を残した。太平洋戦争中、軍事科学小説を量産し、海軍報道班員として従軍した海野は、敗戦に大きな衝撃を受ける。敗戦翌年の1946(昭和21)年2月、盟友小栗虫太郎の死が追い打ちをかけ、海野は戦後を失意の内に過ごす。筆名の読みは、「うんのじゅうざ」、「うんのじゅうぞう」の二通りが流布している。丘丘十郎(おか・きゅうじゅうろう)名でも作品を残し、名では電気関係の解説書を執筆している。 「海野十三」

    生きている腸 (海野 十三)
  • 白蛇の死 (海野 十三)

    におけるSFの始祖となった小説家。名は佐野昌一。徳島市の医家に生まれ、早稲田大学理工科で電気工学を専攻。逓信省電気試験所に勤務するかたわら、1928(昭和3)年、「新青年」に『電気風呂の怪死事件』と名付けた探偵小説を発表して小説家としてデビュー。以降、探偵小説、科学小説、加えて少年小説にも数多くの作品を残した。太平洋戦争中、軍事科学小説を量産し、海軍報道班員として従軍した海野は、敗戦に大きな衝撃を受ける。敗戦翌年の1946(昭和21)年2月、盟友小栗虫太郎の死が追い打ちをかけ、海野は戦後を失意の内に過ごす。筆名の読みは、「うんのじゅうざ」、「うんのじゅうぞう」の二通りが流布している。丘丘十郎(おか・きゅうじゅうろう)名でも作品を残し、名では電気関係の解説書を執筆している。 「海野十三」

    白蛇の死 (海野 十三)
  • 下村千秋 飢餓地帯を歩く ――東北農村惨状報告書――

    また雪が降り出した。 もう一尺五寸、 手の指も足の指もちぎれそうだ。 しかし俺は喰いものをあさりに、 一人山へ登って行く。 俺はいつも、男だ男だと思って、 寒さを消しながら、 夢中で山から山をあさって歩く。 これは、青森県のある新聞に載せてあったもので、或る農村――八甲田山麓の村の一青年の詩である。詩としての良し悪しはここでは問題としない。只、この短かい詩句の中から、大飢饉に見舞われたこの地方の百姓達の、生きるための苦闘をはっきり想い浮べて貰えれば足るのである。殊に、 「俺はいつも、男だ男だと思って、寒さを消しながら、夢中で山から山をあさって歩く」という文句の、男だ男だと、ひとりで我(が)ん張っているところが、あまりに単純素朴であるだけ、哀れにも惨めではないか。 私も、常陸(ひたち)の貧乏な百姓村に生れて、百姓達の惨めな生活は、いやというほど見て来た。また、東京へ出てからは、暗黒街にうごめ

  • 時限爆弾奇譚 (海野 十三)

    におけるSFの始祖となった小説家。名は佐野昌一。徳島市の医家に生まれ、早稲田大学理工科で電気工学を専攻。逓信省電気試験所に勤務するかたわら、1928(昭和3)年、「新青年」に『電気風呂の怪死事件』と名付けた探偵小説を発表して小説家としてデビュー。以降、探偵小説、科学小説、加えて少年小説にも数多くの作品を残した。太平洋戦争中、軍事科学小説を量産し、海軍報道班員として従軍した海野は、敗戦に大きな衝撃を受ける。敗戦翌年の1946(昭和21)年2月、盟友小栗虫太郎の死が追い打ちをかけ、海野は戦後を失意の内に過ごす。筆名の読みは、「うんのじゅうざ」、「うんのじゅうぞう」の二通りが流布している。丘丘十郎(おか・きゅうじゅうろう)名でも作品を残し、名では電気関係の解説書を執筆している。 「海野十三」

    時限爆弾奇譚 (海野 十三)
  • 海野十三 遊星植民説

    「編集長、ではもう外に伺(うかが)ってゆくことは御座いませんネ」 「まアそんなところだね。とにかく相手は学界でも特に有名な変(かわ)り者(もの)なんだから、君の美貌(びぼう)と、例のサービスとを武器として、なんとか記事にしてきて貰いたい。その成績によっては、君の常々(つねづね)欲しいと云っておったロードスターを購(か)ってやらんものでもない」 「アラ、きっと御約束しましたワ。ロードスターを買って下されば、あの人との結婚式を半年も早めることができるんですの、まア嬉しい」 「嬉しがるのは後にして、一刻も早くぶつかって来給え。はイ、円(えん)タク代が五十銭!」 *   *   * 「ゴーゴンゾラ博士の研究室は何階ですの」 「第三十八階!」 「そこまで、やって頂戴(ちょうだい)」 「はい、上へ参ります。御用の階数を早く仰有(おっしゃ)って下さいまし、二階御用の方はございませんか。化粧品鞄ネクタイ

  • 牧逸馬 ヤトラカン・サミ博士の椅子

    1 マカラム街の珈琲(コーヒー)店キャフェ・バンダラウェラは、雨期の赤土のような土耳古(トルコ)珈琲のほかに、ジャマイカ産の生薑(しょうが)水をも売っていた。それには、タミル族の女給の唾(つば)と、適度の蠅(はえ)の卵とが浮かんでいた。タミル人は、この錫蘭(セイロン)島の奥地からマドラスの北部へかけて、彼らの熱愛する古式な長袖着(キャフタン)と、真鍮(しんちゅう)製の水甕(みずがめ)と、金いろの腕輪とを大事にして、まるで瘤牛(ジイプ)のように山野に群棲(ぐんせい)していた。それは「古代からそのままに残された人種」の一つの代表といってよかった。彼らは、エルカラとコラヴァとカスワとイルラの四つの姓閥(ケイスト)からできあがっていた。そして、そのどれもが、何よりも祖先と女の子を尊重した。祖先は、タミル族に、じつは彼らが、あの栄誉ある古王国ドラヴィデアの分流であることを示してくれるのに役立ったから

  • 柳田国男 遠野物語

    [#改ページ] この話はすべて遠野(とおの)の人佐々木鏡石君より聞きたり。昨(さく)明治四十二年の二月ごろより始めて夜分おりおり訪(たず)ね来(き)たりこの話をせられしを筆記せしなり。鏡石君は話上手(はなしじょうず)にはあらざれども誠実なる人なり。自分もまた一字一句をも加減(かげん)せず感じたるままを書きたり。思うに遠野郷(ごう)にはこの類の物語なお数百件あるならん。我々はより多くを聞かんことを切望す。国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。この書のごときは陳勝呉広(ちんしょうごこう)のみ。 昨年八月の末自分は遠野郷に遊びたり。花巻(はなまき)より十余里の路上には町場(まちば)三ヶ所あり。その他はただ青き山と原野なり。人煙の稀少(きしょう)なること北海道石狩(いしかり)の平野よりも甚(はなは)だし。或いは新道なる

  • 二葉亭四迷 余が言文一致の由來

    言文一致に就いての意見、と、そんな大した研究はまだしてないから、寧ろ一つ懺悔話をしよう。それは、自分が初めて言文一致を書いた由來――も凄まじいが、つまり、文章が書けないから始まつたといふ一伍一什(いちぶしじふ)の顛末さ。 もう何年ばかりになるか知らん、余程前のことだ。何か一つ書いて見たいとは思つたが、元來の文章下手で皆目方角が分らぬ。そこで、坪内先生の許へ行つて、何うしたらよからうかと話して見ると、君は圓朝の落語を知つてゐよう、あの圓朝の落語通りに書いて見たら何うかといふ。 で、仰せの儘にやつて見た。所が自分は東京者であるからいふ迄もなく東京辯だ。即ち東京辯の作物が一つ出來た譯だ。早速、先生の許へ持つて行くと、篤と目を通して居られたが、忽ち礑(はた)と膝を打つて、これでいゝ、その儘でいゝ、生じつか直したりなんぞせぬ方がいゝ、とかう仰有(おつしや)る。 自分は少し氣味が惡かつたが、いゝと云ふ

  • 夢野久作 東京人の堕落時代

    この稿は昨年末まで書き続けた「街頭より見たる新東京の裏面」の別稿である。記者は特にこの稿を作るためには、単に街頭観にのみ依らず、この方面に責任を持っている医師、教育家、司法官、興行者、その他多数の人々に御迷惑をかけて記事の正確を期した。そのような人々の意見とても、記者が実地に調査し且つ共鳴し得たところだけを記者の意見として責任を負うて書いたのであるから、一々氏名を挙げる事は遠慮した。人の御迷惑になる意味もあるし、さもなくとも不公平になる点が多いから一様に差し控えた訳である。ここに謹んでお詫びをすると同時にお礼を述べておく。只(ただ)その中に警視庁の不良少年少女係後藤四方太氏はこの稿のために非常に有力なヒントを与えてくれた。特に記して謝意を表する事を許して頂きたい。 [#改ページ] 東京人は今や甚だしい堕落時代を作っている。西洋風、支那風、日風のあらゆる意味で堕落腐敗し糜爛(びらん)して

  • 中島敦 名人伝

    趙(ちょう)の邯鄲(かんたん)の都に住む紀昌(きしょう)という男が、天下第一の弓の名人になろうと志を立てた。己(おのれ)の師と頼(たの)むべき人物を物色するに、当今弓矢をとっては、名手・飛衛(ひえい)に及(およ)ぶ者があろうとは思われぬ。百歩を隔(へだ)てて柳葉(りゅうよう)を射るに百発百中するという達人だそうである。紀昌は遥々(はるばる)飛衛をたずねてその門に入った。 飛衛は新入の門人に、まず瞬(またた)きせざることを学べと命じた。紀昌は家に帰り、の機織台(はたおりだい)の下に潜(もぐ)り込(こ)んで、そこに仰向(あおむ)けにひっくり返った。眼(め)とすれすれに機躡(まねき)が忙しく上下往来するのをじっと瞬かずに見詰(みつ)めていようという工夫(くふう)である。理由を知らないは大いに驚(おどろ)いた。第一、妙(みょう)な姿勢を妙な角度から良人(おっと)に覗(のぞ)かれては困るという。

  • 青空文庫 - 作家別作品リスト:種田 山頭火

    禅僧として各地を行乞の旅。旅のさなかに数多くの句を残した俳人。俳句は荻原井泉水に師事し、同門の尾崎放哉とともに「自由律」の句風で知られる。 「種田山頭火」 公開中の作品 赤い壺 (新字新仮名、作品ID:48234) 赤い壺(三) (新字新仮名、作品ID:48235) 赤い壺(二) (新字新仮名、作品ID:48236) 一草庵日記 (新字旧仮名、作品ID:50413) 英語対訳版草木塔抄他/Fire on the Mountain (新字旧仮名、作品ID:750)     →三浦 久(翻訳者)    →グリーン ジェイムズ(翻訳者) 片隅の幸福 (新字新仮名、作品ID:48237) 行乞記 01 (一)(新字旧仮名、作品ID:44913) 行乞記 02 三八九日記(新字旧仮名、作品ID:45386) 行乞記 03 (二)(新字旧仮名、作品ID:45387) 行乞記 04 (三)(新字旧仮名、

  • 太宰治 女生徒

    あさ、眼をさますときの気持は、面白い。かくれんぼのとき、押入れの真っ暗い中に、じっと、しゃがんで隠れていて、突然、でこちゃんに、がらっと襖(ふすま)をあけられ、日の光がどっと来て、でこちゃんに、「見つけた!」と大声で言われて、まぶしさ、それから、へんな間の悪さ、それから、胸がどきどきして、着物のまえを合せたりして、ちょっと、てれくさく、押入れから出て来て、急にむかむか腹立たしく、あの感じ、いや、ちがう、あの感じでもない、なんだか、もっとやりきれない。箱をあけると、その中に、また小さい箱があって、その小さい箱をあけると、またその中に、もっと小さい箱があって、そいつをあけると、また、また、小さい箱があって、その小さい箱をあけると、また箱があって、そうして、七つも、八つも、あけていって、とうとうおしまいに、さいころくらいの小さい箱が出て来て、そいつをそっとあけてみて、何もない、からっぽ、あの感じ

  • 夏目漱石 坑夫

    さっきから松原を通ってるんだが、松原と云うものは絵で見たよりもよっぽど長いもんだ。いつまで行っても松ばかり生(は)えていていっこう要領を得ない。こっちがいくら歩行(あるい)たって松の方で発展してくれなければ駄目な事だ。いっそ始めから突っ立ったまま松と睨(にら)めっ子(こ)をしている方が増しだ。 東京を立ったのは昨夕(ゆうべ)の九時頃で、夜通しむちゃくちゃに北の方へ歩いて来たら草臥(くたび)れて眠くなった。泊る宿もなし金もないから暗闇(くらやみ)の神楽堂(かぐらどう)へ上(あが)ってちょっと寝た。何でも八幡様らしい。寒くて目が覚(さ)めたら、まだ夜は明け離れていなかった。それからのべつ平押(ひらお)しにここまでやって来たようなものの、こうやたらに松ばかり並んでいては歩く精(せい)がない。 足はだいぶ重くなっている。膨(ふく)ら脛(はぎ)に小さい鉄の才槌(さいづち)を縛(しば)り附けたように足

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