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ブックマーク / yuhka-uno-no-nikki.hatenadiary.jp (17)

  • 「若者には金が無い」ということが、世間一般的には決して「常識」ではないという現実 - yuhka-unoの日記

    NHKスペシャル「仕事と子育て 女のサバイバル 2013」という番組の中で、宇野常寛氏が「核家族でこどもを育てるなんて無理ゲー。超裏ワザとか使わないと攻略不可能。それを今まで専業主婦っていうどうみてもジェンダー的にだめでしょってものを導入してなし崩し的にやってきた」と発言していて、「そうそう!」と思った。 よく少子化の原因について、「女性の社会進出が進んで、選択肢が増えたから」という言い方がなされることが多いけど、それはちょっとどうなんだと思う。実際は、「今まで専業主婦っていうどうみてもジェンダー的にだめでしょってものを導入してなし崩し的にやってきた」からなんだよね。 例えば、今までは奴隷制によって社会システムを維持してきたのが、それがうまくいかなくなったからって、「奴隷が解放されたことによって、社会の生産性が低下したんだ」と言うのは、それはあまりにも元奴隷層に対してデリカシーがないんじゃ

    「若者には金が無い」ということが、世間一般的には決して「常識」ではないという現実 - yuhka-unoの日記
  • 同調圧力と世代間コミュニケーション - yuhka-unoの日記

    どうする?40代からのファッション&生き方 「年齢差による居心地の悪さ」って何だ? 周囲との年齢差を意識する(特に若い人との)ということは、 その場における自分の異質さを意識する、 ということなのです。 「おばちゃん」たちがあちこちで賑やかなのも、 常日ごろ、他世代(特に若い世代)との間に 自分の「異質性」を感じて居心地が悪いから、 同世代・同性で集まると思いきり弾けてしまうのかもしれない。 女子高生みたいに。 同世代のおっさんたちが遠い - 24時間残念営業 ま、いずれにせよ同世代のおっさんとはノリがあわないわけなんだが、そうすっと外見や年齢としゃべってることのミスマッチってのが発生する。店のなかにいるときはいい。俺は「そういう人間」ということで通用してるわけだから。でも外に出るとそうはいかない。つまり、会議で俺と似たような年代のおっさんが集まってる場所だ。 実はこういう「ミスマッチ」に

    同調圧力と世代間コミュニケーション - yuhka-unoの日記
  • 「俺を傷つけないような言い方をしろよぉ!」という、抑圧者の甘え - yuhka-unoの日記

    少年アヤちゃん @omansiru のピル(OC)に関するつぶやきと反響 - Togetter 「ベビーカーで電車の乗るな」という傲慢さ!それなら他人が産んだ子に将来の年金や社会福祉の負担を押しつけるな  | 川口マーン惠美「シュトゥットガルト通信」 | 現代ビジネス どちらの記事についても、「言い方が悪い」「書き方が不快」「憎悪に満ちている」などのブコメがついているが、ああこれは典型的な差別あるあるだな、と思った。まずそもそも、マジョリティのマイノリティに対する抑圧があるせいで、マイノリティが不快な思いをさせられたり苦痛に耐えたりしてきて、マジョリティに対する「配慮」を強いられ続けてきたにも関わらず、そこをすっ飛ばして、「俺らを悪く言う被害を感じる」とは、典型的な差別あるあるだ。こういった差別あるある的態度を取る人は、これまで自分たちがマイノリティにしてきたことを丸ごと無視して、今現在、

    「俺を傷つけないような言い方をしろよぉ!」という、抑圧者の甘え - yuhka-unoの日記
  • 「若者は、物が溢れた豊かな時代に生まれて、苦労も不満もなく育ってきた世代」というイメージ - yuhka-unoの日記

    デジタルネイティブじゃない1989年生まれのわたしの話 1979年生まれのデジタル原人の話も聞いていっておくれよ | LUNATIC PROPHET 89年生まれの人と、79年生まれの人の、インターネットとの関わりについて書かれた記事。この二つの記事が書かれた当時は、自分の世代とインターネットとの関わりについて話す人が沢山出てきて、なかなか面白かった。 それらの話を読んでいて思ったことは、若者は年長者世代から「デジタルネイティブ世代」と言われているけど、実際はそうでもないということだった。上の89年生まれの人は、親御さんのPCをバレないようにこっそり使っていたそうだけど、私の親なんて、全くネットにコミットしない人だったので、私がインターネットに触れたのは、学業を終えて自分で稼ぐようになってからだった。だから、けっこうネットにコミットするのは遅かったのだ。 ネット普及初期の頃にネットにコミッ

    「若者は、物が溢れた豊かな時代に生まれて、苦労も不満もなく育ってきた世代」というイメージ - yuhka-unoの日記
  • ティファニーのオープンハートよりも贅沢な数千円のプレゼント - yuhka-unoの日記

    NEWSポストセブン|今の若い世代は外車とティファニーの良さを知らずに可哀想の声 あーティファニーのオープンハートネックレス流行ってたよねー。私が小学校高学年か、中学校か、それぐらいの時期までは流行っていたと思う。確か、当時友達から借りたかして読んだGTOの小説版に、若い理科教師が、自分と関係を持ってる中学生女子にプレゼントして、「この程度のもので飼えるのなら安いものだ」と思ってるとか、そんなシーンがあったような気がする。だから、私にとってのティファニーのオープンハートネックレスは、GTOがセットで思い出されるものになっている。 で、ティファニーのオープンハートネックレスって、私はそんなに欲しいとは思わないんだよね。同じプレゼントされるなら、何万円かするティファニーのオープンハートネックレスよりも、数千円の私好みのとかCDとか画集とか資料集とか、ヴィンテージアクセサリーとか、そういうもの

    ティファニーのオープンハートよりも贅沢な数千円のプレゼント - yuhka-unoの日記
  • 社会は虐待の加害者です。 - yuhka-unoの日記

    しんどいよな|くわばたりえオフィシャルブログ「やせる思い」 by Ameba くわばたりえさんの、子育てのしんどさについての話。 ここで言う「手を抜く」というのは、「キャパオーバーしないように最適化する」という意味だろう。自分ができる範囲を把握して、物事に優先順位をつけて、手を抜けるところは抜いて、自分自身をコントロールするというのは、自分が壊れてしまわないために大事なことだ。これは育児でも仕事でも何でもそうだと思う。 になってしまう過程としてよくあるのが、世間や周囲の人が言う正論を、非常に真面目かつ素直に受け取って、その結果、「このレベルのことをしなければならないんだ」と思い込んでしまい、それらほぼ全てを実行しようとしてしまうケースだ。しかし、それは自分にできる範囲を超えているため、段々追い詰められ、「自分にはできない。自分はダメな人間なんだ」と思い込み、とうとうキャパオーバーしてしま

    社会は虐待の加害者です。 - yuhka-unoの日記
  • 失敗を恐れ過ぎる人は、失敗したこと自体を「なかったこと」にする - yuhka-unoの日記

    何か言ったりやったりすると突っ込まれ、失敗が許されない家庭で育ってしまうと、失敗したらもう自分は相手に失望されたものと思い込むようになる。より深刻な場合は、自分が失敗したこと自体を「なかったこと」にしてしまおうとするようになる。そのために、取り繕ったり場当たり的な言い訳をしたり、事前にどうとでもとれる曖昧なことを言っておいて、後から「そういう意味で言ったんじゃない」と、失敗を回避できるようにしておく癖がついてしまったりする。 人にその自覚がある場合はまだマシだが、失敗自体を「黒歴史」として、記憶を捏造してしまったりする人の場合は、自覚がない。こうなると、結果的に嘘をついたり相手のせいにすることになる。だから、不誠実で無責任な人になってしまう。 失敗が許される家庭に育つと、自分が失敗したことを認められる。だから、挽回したり謝ったりできるようになる。失敗した時の「気持ち」を受け止めてもらって

    失敗を恐れ過ぎる人は、失敗したこと自体を「なかったこと」にする - yuhka-unoの日記
  • 成長してはいけないパフォーマー、AKB48 - yuhka-unoの日記

    なんかAKBのメンバーに元彼がいたことが発覚して「左遷」されたらしい。とりあえず、この件に対する私の認識は、この程度である。特にそれ以上知ろうという気にはならない。 AKBは「成長過程を見せていくパフォーマー」ということらしい。しかし、実際は「成長してはいけないパフォーマー」だよな、ということを、前々から思っていた。恋愛禁止なども含めて。 「成長過程を見せていくパフォーマー」の「成長」というのは、奴隷としての成長であって、人間としての成長じゃない気がする。奴隷拳闘士としての成長過程を見せていくパフォーマーだ。 「恋愛禁止」というのは、当は恋愛だけではなくて、もっと色々なものを禁止しているような気がする。具体的に言うと、自分の意思を表明することとか、人間として成長することとかだ。いや、彼女たち自身は自分の意思を持ってると思う。ただ、それを表明するなという抑圧が「恋愛禁止」に集約されているの

    成長してはいけないパフォーマー、AKB48 - yuhka-unoの日記
  • 無意識に理想が高い人 - yuhka-unoの日記

    死にたくなるぐらいなら何々しろと言う人々へ。 上の増田のエントリとそのブコメを読んで、色々思ったこと。 私は、病や精神破綻を起こしやすい人は、無意識に理想が高い傾向があると思う。もう少し正確に書くと、人の認識している「普通レベル」が、実は一般的にはかなり高レベルで、その高レベルなことをしなければならないと思い込んでいるということだ。 だから、我侭というわけではなく、むしろその逆で、人は頑張りすぎるほど頑張っているのだが、人の認識では、自分は「普通レベル」に達することのできないダメ人間なんだと思い込んでいる。(ただし、その高い「普通レベル」を他人に押し付けると、他人をスポイルすることになり、我侭になってしまうが。) 私の場合は、気遣いと生真面目さについて、無意識に理想が高かった。『他人に対して気を遣って丁寧に接する母と、それができない私の話』で書いたように、家の外の人に対して気を遣い

    無意識に理想が高い人 - yuhka-unoの日記
  • 母と伯母とインターネット - yuhka-unoの日記

    加藤諦三ホームページ / 加藤諦三の言葉 甘えることのできなかった子は、そのままき真面目な大人になっていくことが多い。き真面目にしている限り、局囲の好意が期待できるからである。き真面目な大人は、甘えたくても甘えを表現できないで、いつも他人に対して気がねしていることが多い。 これはまさしく母のことだ。そして、母に洗脳されていた昔の自分でもある。 兄弟構成で、母は「真ん中の子」だ。上は気にかけられ、下は可愛がられて、親から一番無視された立場だったらしい。 祖母は母のことについて、「あんたが一番手のかからない子だった」と言っていたそうだ。実際、実家に帰った時に一番よく動いているのは母だ。子供の頃は、手伝いをよくして、自分のことは自分でして、早くに自立して稼いでいたのが、母の自信やプライドみたいになっていた。 私も、「お姉ちゃん」として表面上上手くいっていた時は、そんな感じだった。 母には妹が一人

    母と伯母とインターネット - yuhka-unoの日記
  • いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主張してみる - yuhka-unoの日記

    格差と若者の非活動性について (内田樹の研究室) Q1.現在、世界では、経済格差(世代間格差ではなく、金持ちとそうではない人との格差)や社会への不満に対して、多くの若者たちが声を上げ、デモを起こし、自分たちの意見を社会に訴えようと行動しています。翻って日ではここ数十年、目に見える形での若者の社会的行動はほとんど見られません。これだけ若者たちにしわ寄せが行く社会になっているのに、そして政策的にも若年層に不利な方向で進んでいるのに、若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのでしょうか? それは特に不満を感じていないからなのか、それともそうした行動に対して冷めているのか。あるいは社会的に連帯するという行為ができないのか。ネットにはけ口が向かっているだけなのか。内田さんはどのようにお考えでしょうか? なぜ若者が何も言わないのか? 答えは単純。「言っても無駄だと思っているから」。

    いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主張してみる - yuhka-unoの日記
  • 自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。 - yuhka-unoの日記

    『相手のための気遣いと、自分が嫌われないための気遣い』に、予想外にブックマークが沢山ついた。で、 id:ekirei-9 理屈はわかるけど具体例がほしい という意見を頂いたし、ちょうど書きそびれたなと思っていたこともあったので、続きを書こうと思う。 母は、家に人が来るとなると、家の中を完璧に片付けていた。私の担任になった先生は、大抵誰でも「yuhka-unoさんの家は綺麗だね」と言ったものだし、その中の一人は、「yuhka-unoさんの家は、生活感がない感じやね」と言った。 学校の先生が来る時に家の中を綺麗にするのは当然として、母は消防署の人が火災報知器の点検に来る時や、電気屋の人が家電を修理しに来る時でさえそうだった。 母が留守で、私が火災報知器の点検に立ち会うことがあった日、私は布団を押入れに仕舞わず、畳んで部屋の角に置いておいた。火災報知器は、押入れの中にも設置されているからだ。押入

    自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。 - yuhka-unoの日記
  • 相手のための気遣いと、自分が嫌われないための気遣い - yuhka-unoの日記

    毎日放送関西ローカルのお昼の時間帯に、「ちちんぷいぷい」という情報番組がある。良い意味でのゆるい雰囲気が持ち味で、私はけっこうこの番組が好きで見ている。 その「ちちんぷいぷい」の中に、大吉洋平という若手アナウンサーが、京都の様々な老舗で、一週間(五日間)修行をするというコーナーがある。前回が旅館で、前々回が和菓子屋だった。 和菓子屋での修行の回、従業員たちが新しい和菓子の案を出す時に、大吉アナは、「故郷を離れて働く子供が、親元を離れて初めて親のありがたみがわかって、親に感謝して贈るための和菓子」を提案したところ、和菓子屋の女将さんに、「悪いけど、お利口さん」と評されてしまう。一方、他の従業員は「焼肉を模した和菓子で、名前が『叙々苑』」を提案する。女将さん曰く、こっちのほうが面白い、と。その後、大吉アナは、ポッキーを木の枝に見立てた和菓子を作り、自分の殻を破ることができた。 次に行った旅館の

    相手のための気遣いと、自分が嫌われないための気遣い - yuhka-unoの日記
  • パターンではなく個人を見るということが、人格を尊重するということかもね - yuhka-unoの日記

    まさに「受け取り方は人それぞれ」で、「女性だから」と言ってひとくくりには出来ない。 「これが正しい女性への接し方です」などと言うものは存在しないのである。 もういっその事、男性は女性を相手にしない方が良いのかもしれない。そんな事すら思うがそうは行かない。 http://d.hatena.ne.jp/Paris713/20100526/p1 これを読んだ時の私の感想は、正直なところ「は?当たり前じゃね?」だった。 これは「女性」の部分が「男性」でも「日人」でも「若者」でも何でも当てはまることで、こんなことで「もういっその事、男性は女性を相手にしない方が良いのかもしれない。」とか言ってたら、女性どころか人間全員相手にしない方が良いということになってしまうのではなかろうか。 そもそも、人間関係の基は個人を見ることにある。何が嬉しくて何が嫌なのか、同じことでもどの程度傷付くのかということは、そ

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  • 「最近の大学生は九九もできない」と言うけれど - yuhka-unoの日記

    <特集ワイド>2010この現実 大学生/上 呉智英さん http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/life/20100513dde012040091000c.html サーセン実は私も九九ができませんwww 「最近の大学生は九九もできない」というのはよく言われる話だが、おそらく、九九が全部言えない人・九九を一端覚えても、覚えた端から忘れてしまう人というのは、実は世の中に常に一定数存在しているのだと思う。音楽の授業で楽譜の読み方を習っても楽譜が読めない人や、練習しても口笛が上手く吹けない人が一定数いるように。 そして、九九ができないからといって頭が悪いとか人間として劣っているとかいうわけではなく、九九ができなくても他の分野で高い能力を発揮している人もいるだろうし、九九ができなくても知能が低いとかそういうわけではない。九九ができない私が24歳の時に受けた知能

    「最近の大学生は九九もできない」と言うけれど - yuhka-unoの日記
  • 数学劣等生だった私 - yuhka-unoの日記

    大学でアルファベットを教えて何が悪い - bluelines http://d.hatena.ne.jp/gorotaku/20110219/1298093855 日の小中高ってのはトコロテン式で、学んだことが身に付こうが身に付くまいが次の段階に押し出されるシステムだ。学習内容は積み上げ式だから、当然「落ちこぼれ」が発生する。ある段階で何らかの理由によりつまづいたら、よっぽど幸運にすばらしい教師に巡り合う場合を除いて、その後ずっと落ちこぼれ続ける。積み上がらない。 (中略) これは学力低下の話ではない。高校卒業時点で小学校で学んだことが覚束ない学生なんて、これまでだって腐るほどいたんだ。そういう層にももう一度学び直せる機会が与えられるようになってきたということに過ぎない。これはどう考えても社会の成熟であり、今後の日には必ず必要になるシステムであり、その為のコストは老人の生涯学習なんかよ

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  • 他人に親切にして失敗するのが怖い日本人 - yuhka-unoの日記

    Togetter - 「蜷川実花さんのツイートからわかった日をまとめてみました」 http://togetter.com/li/52331 寝てる息子とバギーで出かけてたんだけど駅で階段しかなくて。15キロの息子だっこしてバギー持って階段。つーかそこのヒマそうな男子!手伝ってよ。なんでこんなに助けてくんないかなーーー??ちょっとびっくり。 上の記事のブコメ http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/52331 一般に、多くの日人は、相手や世間から完璧な正解を求められていると考え、失敗することは許されないと思い込む傾向があると言われている。こうした日人の心理は、一旦社会のレールから外れると復帰しにくいという、福祉問題の話として語られることが多いが、何も社会のレールに限った話ではなく、上の記事で挙げたような、赤ちゃんを抱いてベビーカーを持って

    他人に親切にして失敗するのが怖い日本人 - yuhka-unoの日記
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