北米大陸の最高峰マッキンリー山の正式名称は2015年、「デナリ」に変更されました。さて、デナリとは先住民の言葉、アサバスカ語でどういう意味? 金の山 神聖 高きもの
北米大陸の最高峰マッキンリー山の正式名称は2015年、「デナリ」に変更されました。さて、デナリとは先住民の言葉、アサバスカ語でどういう意味? 金の山 神聖 高きもの
水中写真の第一人者、中村征夫さん。このたび沖縄の伝統漁法、アギヤー漁とそれに携わるウミンチュたちの暮らしをモノクロ写真で描いた新刊『遙かなるグルクン』を上梓した。およそ30年の歳月をかけて追い続けた力作の秘話を聞く。(目次ページはこちら) (聞き手:芳尾太郎 構成:高橋盛男 写真:中村征夫、田中良知) ――新作写真集『遙かなるグルクン』の中で、中村さんにとってとくに印象深い写真があればご紹介ください。 印象に残っている人は何人もいるし、これが特別という写真も選びにくいけれど、あえてひとつ挙げるなら福里さんのフィンかな。 福里健三さんは伊良部島のウミンチュで、撮影したのは51歳のとき。まだミーカガンを使っていましたね。 昨年、伊良部島に行ったら、福里さんは83歳でまだアギヤー漁に出て潜っていましたよ。彼のフィンがサバニの上に置いてあったのですが、それが片方しかないんです。潜水病にかかって右足
定員に達したため受付を終了いたしました 水中写真の第一人者である中村征夫氏が、30年にわたり取り組んできたライフワークの一つである沖縄のグルクン漁。今年、その集大成となる写真集『遙かなるグルクン』を発表した筆者が、沖縄の県魚として長く食卓で親しまれている魚「グルクン」と、勇壮な伝統漁を守り、過酷な海の世界に生きる「ウミンチュ」たちの魅力を語ります。 Photograph by Yoshitomo Tanaka プロフィール 中村征夫 (なかむら・いくお) 1945年秋田県昭和町(現・潟上市)生まれ。19歳のときに神奈川県真鶴岬で水中写真を独学で始める。撮影プロダクションを経て31歳でフリーランスとなる。1977年東京湾にはじめて潜り、ヘドロの海で逞しく生きる生きものに感動、以降ライフワークとして取り組む。数々の報道の現場の経験を生かし、新聞、テレビ、ラジオ、講演会と、さまざまなメディアを通
中国の大河、怒江はチベットの氷河に端を発し、アンダマン海へと流れ込む。写真は、雲南省丙中洛付近を蛇行する怒江。この川に予定されていた連続ダム建設計画は、現在棚上げ状態になっている。(PHOTOGRAPH BY ADAM DEAN, NATIONAL GEOGRAPHIC) ミャンマーとの国境に近い中国、怒江(ヌージャン)の川沿いを走る道路脇で、熊向南(シォン・シァンナン)さんは観光客を相手に魚を売る。オールバックにした髪、ジーンズに白のクロックス、肩からは現金の入ったバッグを下げている。たむろしてタバコを吸う友人たちの横で、熊さんは魚を売り込む。 魚を獲るのは大変なんだ、と熊さんは言う。夜のうちに網を張り、獲物を確認するために朝早く出て行く。バケツの中で一番大きな魚を240元(約4000円)という高値で売るのはそのためだという。 「ダムのことはあまり考えないようにしています」 熊さんの背後
オランダ、ハールレムのデ・コポル刑務所。アフガニスタンから来た19歳の難民が、自室のドアから顔をのぞかせる。(PHOTOGRAPH BY MUHAMMED MUHEISEN, AP) オランダの政府機関は、亡命を希望して流入する難民や移民の宿泊施設として、空になった刑務所を昨年から提供している。 オランダでは近年、犯罪率も刑務所の受刑者数も目に見えて減少しており、それに伴って刑務所などの施設が数十カ所も閉鎖されている。代わって増えているのが移住者の数で、去年だけで5万人以上がオランダに入国した。この状況に、同国の中央難民機関(COA)は一石二鳥の方策を見出した。(参考記事:「戦火を逃れ 国境を越えるシリア難民」) 写真家のムハンマド・ムヘイセン氏は、ピュリツァー賞を2度受賞した実績を持ち、現在はAP通信で中東担当カメラマンのチーフを務める。この数年は、人々が大陸から大陸へと移動する難民問題
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く