前にも趣味の合わない人と旅行行ってキツかったみたいな話あったよね? ゴミ大の人じゃなくて
ニュースを知っていたところで、若者にとっては意味がないのかもしれない。 自分は新聞を読むのがマイブームになっている。 父が新聞を読まないと世の中の動きは分からないと言ったので、真に受けて読んでいる。 東京と朝日、日経をよく読むが、ウェブよりも情報が整理されていて良い。 とりわけ、京都住みであるのに電子版で購読している東京新聞は素晴らしいと思っている。 一般的に、若者の新聞離れはよく言われる。 おそらくだが、若者は経済や政治、文化のニュースを知ることにメリットを感じないのではないか。 若者は芸能ニュースや好きなアーティストの新作さえ知ることが出来たら満足なのだろう。 自分の通う頭の良くない大学を歩いていて感じることだ。 おそらく、加計学園問題も東芝が抱える問題も知らない人間が多い。 彼らにとってそんな問題はどうでもいいのだ。 バイトという小銭集めと恋愛という交尾しか考えていない。 小銭集めと
自分はセックスが出来たら、政治なんかに興味を持たないんだろうなぁと感じる。 最近は新聞の論説を比べるのが好きだ。 大学の図書館やデータベースでも東京新聞は読むことが出来ないので、わざわざ電子版を契約すらしている。 色々と新聞を読んでも若者の内閣支持率の高さが取り上げられることがある。 自分も若者であるが、物事に反対すると嫌われる風潮などある種の個を否定する全体主義な傾向があると感じる。 それもあるだろうが、それだけではなさそうだ。 ある理由で他学部の人間との交流が多い左派的な友人は、みんな恋愛とバイトのことしか興味がないらしい。 小銭と交尾のことしか興味がないのは随分と呆れる。 おそらく、政治や経済など興味もなく、知らないだけなのだろう。 小銭と交尾に一生懸命で大きなものを無視し続けることは良いことなどない。 いずれ、とてつもない損害を被る可能性がある。 彼らは今ありきであるが、自分だって
最近、自分は雑誌を読んでいる。 週刊誌、経済誌 雑誌ではないが新聞もだ。 正直、ウェブよりも関心が広がる印象がある。 文章も校正を得ているから、しっかりしている。 自分の通う大学のレベルもあるのだろうが、友人の関心の幅が狭い。 おそらく、幅を広げるチャンスもないのではないかと彼らが弄るスマートフォンを見て思う。 これは後悔することになるのではないかと思ってしまう。
レポートなど作業をしている時にアニメなどを垂れ流している。 そうすると、何となく最近のアニメというのは主人公が権力側にいるのではないかと感じてしまう。 こういう作品は消費者に向けて作られている。 つまり、今の若者の物事の考え方というのが反映されていそうだ。 権力を盲信して、気持ちよくなる。 あぁ、今の若者ではないか。 内容的に反権力な作品を作るというのは難しいというのもあるのかもしれない。 とりあえず、作り手は戦中のように国家による検閲があるわけでもなく、統制経済下でフィルムを入手するために忖度する必要もないのは確かだ。 自発的に権力に服従してしまっては将来的にも良くない気がしてならない。 レポートを書き終えて、就職活動云々が来年に迫っていることを深く考える。 慶応に行った顔のかわいい高校の時の同級生は楽して会社に入るのだろうとか思ってしまう。 権力のペットとして楽しく生きてゆける羨ましさ
創作物が人々に影響を与えることは少ないのかもしれない。 最近そう思う。 よく、萌え系の表現規制だけは騒ぐ人が創作物が人々に与える影響はないと主張する。 そうでないと、暴力やわいせつ系の表現の規制の口実になりかねないからだ。 彼らのいう通り、創作物が人々に影響を与える可能性は低い気がしてならない。 それは、政治的なものである。 クリエイターが今までリベラルな内容で様々な映像やらの表現の試みを行ってきた。 しかし、現在では右傾化している。 ウェブをみたら、ネトウヨとかいわれる人たちがたくさんいる。 最近では、知的アピールをする感じの人たちが「野党はダメだ」と冷笑する様も目につく。 創作物が人々に影響を与えることはないのかもしれない。 それよりも時代に創作物が忖度しているのだろう。
ウェブを見ている暇なんかないのに見ていると、「野党は経済政策がダメ」だと言う意見がある。 書いている人は、自分が知的だと感じるのかもしれない。 ただ、殆どがふんわりと「緊縮=野党 ダメだ」という意見だけでしかない。 果たして、緊縮ではないとする与党の経済政策は素晴らしいのか。 札刷って、225社の株でも買って、日経平均を吊り上げているだけではないのか。 家計調査の家庭の消費支出やらは落ち続けているなどという。 何というか、これもふんわりとしているが一般庶民は福祉政策などを注目した方がいいのではないか
今日は夕方の授業が休講だった。 そのため午後一の授業が終わったあとに国会前の共謀罪反対のデモに行くか行かないかで迷っていた。 デモによる世の中へのインパクトなどは期待していない。 自己満足だ。 今行かないと、後で自分は後悔するかもしれないと思ったのだ。 結局、自分は京都から新幹線に乗って国会前にいたのだった。 参加して、良かった。 多くの人々が共謀罪の恐ろしさを知らずに賛成しているという。 それも事実だろう。 しかし、内容を知っていても大丈夫だと思ってしまっている人もいるのではないか。 与えられるもので、満足できてしまうからだ。 よく、アニメ好きに2次創作などの観点から表現の自由を訴えたり、同人即売会が可能であるということから集会結社の自由の尊さを訴える人がいる。 しかし、アニメ好きは表現規制や集会結社の自由を奪われても平気なのかもしれない。 というのも、彼らは所詮は消費者でしかないのだ。
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