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京都のゴミ大学と増田に関するNettouochiのブックマーク (991)

  • https://anond.hatelabo.jp/20160117220505

  • コンビニの帰り道に女に警戒された

    明日は朝早くからテストがある。 正直、勉強は微塵もしていないので徹夜になるし、寝過ごしてテストを受けられなくて単位を落とす可能性まであるからタチが悪い。 前日の真夜中には事をコンビニまで買いに行った。 その帰り道、容姿がいい、性的魅力に溢れる特権階級に属する恐らく同じアホ大学の女が自分の前を歩いていた。 どうやら、自分に対して警戒しているようだった。 こんな醜い者に襲われたら、女はとても屈辱的なのだろう。 世の中の人間は、容姿の醜い自分に対して警戒している女を絶対的に肯定するのは自分は分かりきっている。 別に自分は襲う気なんかない微塵もない。 ただ、警戒されるだけあぁ自分はキモいんだなと思うし、世の中は自分のような醜い人間を大切にはしないということを頼んでもいないのを自分の脳に叩きつけてくれる。 掲示板の美容整形板を見たら、自分のような肌はあまり良くならなそうだ。 クリニックのページを見

  • 生まれ持っての特性についてネットでやゆするようなことをしてはいけない

    表題はネットご意見番の1人として知られる中川某の文章から。 実家で母親が読みもせず積み上げているだけの東京新聞で見かけた記事にあった。16日付けの朝刊だ。 「ネットで何が…」と題し、その週にネットで話題となった物事を採り上げる連載記事だ。 その日の記事では古市某の「ハーフは劣化が云々…」発言を話題としていた。 ネット放送で津田某と中川が、古市の発言を題材に話し合い、炎上を防ぐ結論として出たのが表題の言葉だそうだ。 補足して「それは、人種、性別、身体的特徴などに加え、『努力でどうにもならないもの』『自己責任ではないもの』といったことだ。」とある。 果たして当にそうだろうか? まやかしはやめていただきたい。綺麗事を言わないでいただきたい。 だってそうだろう? 容姿の良くない者への揶揄は探すまでもなく、そこらじゅうで見付かるではないか。そして全く炎上していないではないか。 それどころか皆が一緒

    生まれ持っての特性についてネットでやゆするようなことをしてはいけない
  • 京都市のバス停

    京都市のバスというのはロケーションシステムが確立されていて、どこのバス停にバスが居るのかというのがバス停の表示板を見れば分かる。 今日は自分は、京都駅に行かなければ行けない用事がありバス停の表示板を覗いたのだった。 すると、自分の顔が写った。 他の誰よりも顔の肌が汚くてグロテスクだったのだ。 赤みや、抉れた跡や、脂がにじみ出ていたりする大きな毛穴やら、白い膿やら、酷いクレーター。 たぶん誰よりも自分は肌に時間をかけているし、精神も削がれてきたし、嫌がれてきた。 元はといえば持病の治療でこんな肌になり、ありとあらゆる気力が削がれ北区のバカ大学に来たのだ。 身長も伸びなくて172cmで止まったのも同じような理由だ。 自分の顔を不意に見てしまうと、ありとあらゆるものへのやる気がなくなるのだ。 見たくない。 大学だって、父親の会社のお手洗いだってどこだって自分の肌を見ないように手を洗う。 顔を見る

  • 容姿がキモい金持ちが、妊婦のために搾取されていいのか?

    先日、どうしようもない大学でフェミニストの講師と会話をした。 「救われない弱者」と「救われる弱者」の線引をどうするのかと聞いたら、どんどんそれには規制を重ねて弱者を救っていくなどという話をした。 講師は闘いは終わらないようなことを言っているし、規制ごときで格差がなくなるとは思っていない。 そして、美醜についてはすべての授業について触れていたから、ウェブのよくわからない人たちよりはずっといいと思っている。 しかし、自分には疑問もある。 一概に何が弱者なのかというのは難しいものだ。金なのか?容姿なのか?疾患なのか?性的嗜好か? 容姿が醜い誰からも優しくされない金持ちが、妊婦のために搾取されていいのか。 妊婦というのは今まで、妊婦になる前から恋愛的に恵まれてきたことが大半だ。 優しくされ続けてきて、キモい人間には優しくなんかしてこないし、する予定もない。 腹の中の子どもは選り好んだ男とセックスし

    Nettouochi
    Nettouochi 2016/01/24
    以前にも何度か出てきたジェンダー論の講師とのやり取り、向こうは知識豊富で口も達者だろうから体よく丸め込まれてる感あるなぁ。詳述されてないからあくまで憶測だけど
  • 暴力でしか注目してもらえないのだからテロは仕方ない

    暴力でしか注目してもらえないからテロは仕方ないと思ってしまうものだ。 テロは一般市民が犠牲になるから良くないなどという論理を振りかざす人がいるが、別に一般市民が誰かに対して間接的に暴力を振るっているかもしれない。 というのも、日常生活を幸せそうに送っているだけで、その人に対して暴力になることだってある。 金を稼ぐこと、大学に苦労なく行くこと、顔がいいこと、社会的に守られる立場であること。 妊婦なんていい例だろう。男を選り好んでセックスして、幸せそうにして、好きでなっているし、なれるのは特権なのに体調が悪ければ皆がしかたないとか言う。 傷つけられたら、妊婦が悪くても腹の中の子どもの命を大義名分にして妊婦が守られる。 そのくせ、都合が悪くなれば堕胎をして、なんだかんだ擁護される事が多い。 なんだかんだ妊婦になる前から割りとなにやっても許されるような特権を得ていることは確かだろう。 そんな人間と

  • 「ビューティフルピープル・パーフェクトワールド」 感想

    映画系の授業のテストのために大島渚やらを見なければいけない。 その後は一度大阪でテキトーに転籍の面接を経験して、神戸大学への編入なんていう叶いそうにもないことに向けて勉強をダラダラするつもりだ。 今いる学部の最大学閥チックな大○○○卒の教員共は頭が悪く、長いものに巻かれるクズばかりだから○○学部から抜けたいといえば抜けたい。 ところで、容姿格差というものが存在していなければ、SEALDsはもっと上手くいく。高校生デモも上手に行くだろう。 安倍晋三だって簡単に倒せると思っている。 何が人々を不信にさせて倒せないようにさせているかといえば、それは性的格差、容姿や性別の格差だろう。 政治運動も日頃の生活も何もかもはセックスからであると思っているし、大島渚の作品もぼんやり見ているとそう言いたそうな雰囲気だ。 容姿格差がなくなれば世の中は良くなるのだ。 容姿というのは人々を分断させているし、人々の主

  • https://anond.hatelabo.jp/20160108204257

  • 整形できる見込みがなくなった

    ジェンダー論のレポートを絶賛執筆中である。一文字も進んでいない。 自分の受けているジェンダー論の講師は例えキモくても、カネがなくても病気でも確かな生き方をしていくべきだという主張をしている。 バカ大学の倫理哲学か経営への転籍のために、成績を稼がなければいけないからレポートもテストも時間をかけてまじめにやらなければいけないのだけど、やる気がいつも出てこない。 を一文字も読む気力が出てこない。 結局、どこに転籍しても容姿がキモくて、カネを払わない、言葉からの関係によるセックスは出来ないし、迫害されるのだろうと考える体がプルプル震え激しい無力感に襲われるのだ。 冬休み中、都内の実家に帰ったのだけど、母親も心配したようだった。 母親と買い物しているときも、「あいつらセックスしているな」とか自分はブツブツ言ってるようだし、高給を稼ぐ容姿の良くない父親と新年早々に口論になったのは「カネの無力さと性的

  • https://anond.hatelabo.jp/20160107190307

    Nettouochi
    Nettouochi 2016/01/23
    フィクションの中ですら相手を思いやる増田の優しさ
  • https://anond.hatelabo.jp/20160106104443

  • レポートを書く気が起きない

    レポートをやる気が起きない。 正月休みは都内の実家でMacBook Proを目の前にぼんやりしていたら一日が終わった。 参考図書も読む気が起きない。 所詮自分は、勉強なんて出来ないと感じた。 しかし、容姿が悪いからこんなゴミ大学の底辺学部に入ってしまった。 とにかく、転部をするためにまともな成績を取らなければならないのだ。 まともな容姿をしていたらセックスして楽しんだりそれ以前に高校時代も勉強をがんばれたんだろうなと思うと、ますますレポートを書く気力はなくなる。 京都に戻ってきたけど、レポートを書く気力は出てこない。 前日に持病の主治医にあまり容姿の改善に前向きな回答が得られなかったことに、何やっても無駄な感じだ。 街の人間 若い夫婦やその子供が最近は恋愛結婚からか皆顔がいいので、外に出るだけで色々奪われる。 転部に成功しても、美男美女が楽しくセックスしているだけだから結局どうにもならない

    Nettouochi
    Nettouochi 2016/01/23
    「とりあえず、TS系の同人誌でオナニーするしかない。」
  • 幸せな人が不幸になって欲しいのは当たり前 見ている自分がますます不幸になる

    今日は病院に行った。母親も付いて行った。 持病があって定期通院している。 何故、ギリギリまで京都の馬鹿大学の近くの部屋に行かずに都内の実家に残ったのかというのはそういう理由だ。 特に問題がなかったのは良かった。 いや、最悪だったかもしれない。 持病の治療のせいで顔が脂やらニキビやら跡やらの凹凸だらけで非常に汚い。そして赤みまで帯びている。 母親は主治医に容姿がキモいことを気にしていると相談したのだった。 思い返せば、容姿が悪くて気力もなかった。 高校生の時容姿のことを嫌という程言われてきたが、受験勉強なんて前向きにできなかった。 顔のいい女の子は「受験勉強つらい」とか言って泣いて慰めてもらって、皆の応援もあり慶應大学や早稲田大学に受かった。 自分は「容姿が悪くて、体も悪くてつらい」で泣いても誰も慰めてくれないし、応援もないし、明るいキャンパスライフなんて最初からないので気力など微塵も出てき

  • 金を稼ぐ理由が分からない

    正直、金を稼ぐ必要が自分にはよく分からない。 おそらく自分は裕福な家庭だろう。 都内の中心に実家があるし、皆が仕送り5万円でやりくりしているなか、自分は12万円も振り込まれる。 アルバイトなんかする必要がない。 毎日、思い立ったら電車なんか乗らないで気軽に皇居マラソンができて、母親は百貨店で好きなほどとは言わないが、大抵の料品なら好き放題買い物をしても問題ない。 こんな生活が実現しているのは父親が「普通」よりも稼ぐからなのだけども、自分は金を稼ぐ必要性が分からない。 結局、金があっても病気は治らないし、馬鹿大学では元々や病気の治療などありとあらゆる複合的要因で容姿が悪くて惨めだ。 いくら稼いでも、惨めなのは変わらない。 父親が死んだりしたら、金がなくなってもっと惨めになるのだろう。 しかし、惨めなのは変わらない。 今の若者は欲しがらないとかいう言説がある。それは嘘で若者にはお金がないから

  • https://anond.hatelabo.jp/20160102010841

  • 弱者は強者になってはいけないのか

    一度、転部願を取り下げた。 明日には再提出するつもりだ。なぜ、そのようなことをしたのかというとカリキュラを見て、転部に成功すると卒業が非常に大変だということが発覚したからだった。 時間のゆとりがなくなるし、卒業ができなくなるかもしれないし、他キャンパスも結局容姿が良い人間が楽しむだけの場所で、編入というものを視野に入れた時に勉強時間がないのではないかと感じたから取り下げた。 しかし、万が一転部に成功したら今のアホ大学で毎日編入の対策をやってくれるようなものだから、再提出をして、父親の通っていた神戸大学やらの編入への希望を持つしかないと感じた。 自分が、受験に上手くいかなかった理由に結局のところ容姿があった。 勉強以外のところで、自分はあまりにも精神的リソースを使わなければいけなかったのだ。 肌が物凄く気持ち悪いから、キモがられて、そんなに能力がないから何時だって虐げられていたのだ。 結局、

  • 弱者も差別に加担しているのだから、差別に苦しむのは仕方がない

  • 「京都のゴミ大学」だとなんだか語呂が良くない気がしたので何かもっと呼びやすい名前は無いか

    「京都のゴミ大学」だとなんだか語呂が良くない気がしたので何かもっと呼びやすい名前は無いかと考えていたら「京都産廃大学」というシャレを思いついたんだけどこれだと京産大をdisってるっぽくなっちゃうのでボツ。

    「京都のゴミ大学」だとなんだか語呂が良くない気がしたので何かもっと呼びやすい名前は無いか
  • 整形を勧められることがあるが、整形が出来ないのだ

    今いる学部が苦痛で転籍願を提出した。 面接と成績と志願動機で転籍の合否は決まるらしいのだけど、どこでも自分は容姿が醜く苦痛だろう。 転籍について年収数千万円の父親と電話で相談したら、父は関関同立から神戸大学に編入した人間が存在することを知り、遠回しに自分の母校への3年次編入を勧めてくるのだった。 「そんなに良いとは思わないけど、どうか? もちろん今のままでも良いと思うけど 転籍してもいいと思う」と。 すごく良いのだろう 六甲 凌霜会。 予備校の入試直前の偏差値は英語が44で、国語が72 しかし漢文抜きである。 英語100(TOEIC)、専門100 小論100の神戸大学の編入試験に通るわけがないのだ。 ただ、一度話を聞いてしまうと、今の大学が一層酷く見えるものだ。 父親が神戸大学で自分がバカメイカンなのは屈辱でしかないのは確か。 そして神戸大学に行きたくなる。チャンスは強引に留年し続ければ何

  • 好き嫌いからの差別は救われない

    好き嫌いからの差別というのは、基的に救われない。 いくら、法律やらで縛ったところで内心は差別するだろう。 どうせ、お前ら差別するんだろなどと被差別者が主張すれば、「個人の好き嫌いの問題だ」とか「それが現実的だ」などと救いのない話をする。 そして、持てる者に媚を売る。 下手したら、持てる者が「持てていてもそうでもない」などと話し、皆その通りだなどと同調する。 結局、彼らは差別をしているのだ。 被差別者というのはだって当は自分だって差別したいと思っている。 しかし、差別すると自分の立場が無くなってしまうのだ。 当は自分が差別される場所が嫌いで、同じような被差別者が嫌いで、持てる者が好きなのだ。 しかし、どう足掻いても持てない者というのは、どうすればよいのだろうか。 それは、現実的などというのでなく、理論上でだ。 そのような人たちには救いがあるのだろうか。 自分は被差別者だが、救いはない。