年末といわれても色々と搾取や格差について考えてしまうものだ。 紅白歌合戦でワイワイできる人がいるわけだけど、自分は受信料について思慮をめぐらす。 恐らく、自分の容姿が良ければこんなに捻くれたりはしなかったのだろう。 おとといは母親とタワーマンションがあるところを歩いた。 スーパーで買い物をするためだった。 年末なのに大量の人間がいる。 こんな時期なのに都心で我が子の自転車の練習に付き合う父親がいる。 観光客なわけがない。地元の人間だろう。 彼らは帰省をしないのか。親戚は東京近郊に住んでいるのか。 年末なのにファミレスは激しく混雑している。オシャレ風味な喫茶店も其々の小さなガキを抱えて澄まし顔でいる集団がいる。 マウンティングでもしているのか。 セックスに困らなそうな小綺麗な大学生もいる。 スーパーでは恐ろしく顔の綺麗な女の子が両親と買い物をしていた。 彼女は少なくとも暫くの間は恵まれて生き
昨日は、母の荷物持ちとして都内のスーパーに行った。 都心のタワーマンションが建つ場所まで歩いた。 そこにスーパーがあった。 見てくれのいい子供が家族といた。 大人になった時の顔は分からないが、彼女は暫くは幸せに生きるだろう。 外に出ると、子供の自転車の練習に付き合う父親などがいる。 彼らは帰省をしないかもしれない。 年末なのにファミレスは混んでいるし、オシャレ風味な喫茶店も其々の小さなガキを抱えて澄まし顔でいる集団がいる。 我が子というギャンブルに近い投資について話し合っているのか、自慢という槍を投げ合っているのか。 何というのかファミリー層や、そこらへんに住んでいそうな見てくれのいい大学生を見ると考えさせられるものだ。 とてもじゃないが社会問題において人々が手を取合い問題を解決していけると思えないのだ。 社会問題を解決するには、他の意見が違くとも人々が共に立ち向かう必要がある。 しかし、
スマホが人々の支配を簡単にする気がしなくないと重い風邪にうなされる年末に思う。 自分の通う低偏差値の大学の授業で後ろに座ると、大抵スマホを弄っている。 一部の女は手鏡を見て自分の見てくれを気にしている。 よく、野党は経済格差について訴えるべきだと主張する人がいるが彼らがそんな話を理解できるか怪しい。 彼らにとってスマートフォンさえあれば、経済格差も気にならなくなるのではないか。 娯楽は無料で手に入る。 センセーショナルなまとめブログを見て野党はダメだと刷り込まれる。 女に関して言えば、まともな見てくれがあればネットで承認を簡単に満たせる。 権力にとってみれば、安上がりに溜飲を下げてもらえる最高の道具だろう。 自分は、そんなもので満足できない性格なのかもしれない。 まぁ、それはとっても高尚な理由があるのではなくて容姿が醜いから女に相手にされないだけだったりする。
今日は、どうも熱っぽい。 喉に違和感があり、扁桃腺が腫れるのではと戦々恐々だ。 お正月はゆっくりと読書をして、おせちを食べて過ごしたいのに。 最近、親から生前贈与を受けた。 昨年も生前贈与を受けていて、口座の残高は優に1000万円を超えた。 運用をどうするかなどと考えるが、就活も重なり資本主義やカネというものを信じることが出来なくなる。 世界的にも売れるものがなくなっているし、技術革新も止まっていそうな世の中で破綻するような気がするのだ。 根拠はなく、無理がありそうだという感性が言っている。 そんなもので最近は、SPIの勉強もせずに卒論も気にせず資本主義の行き詰まりを指摘する本を読んでいる。 どこまでも、限界があるシステムを分析するが容姿の格差はなくならなそうだと感じる。 フェミニズム等の運動を見ても、どこか容姿格差で疑心暗鬼になって上手くいかない面が出ていそうだ。 恐らく、資本主義の次の
最近、祖父母の家に行った。 お年玉をもらった。 祖母とニュースを見ていると、まぁ政治の話題が出てくる。 自分は与党ははっきり行ってダメだというと、本当にそうやなぁと返してきた。 武器を買ったりしている、憲法観などから戦争をやるのではないかという不安が強いのだろう。 ただ、従姉妹は自民党に投票したらしいと祖母が不安そうに言った。 まぁ、現状に何も困っていないのだろう。 何しろ元気有り余る女子大生で、顔も悪くはないから男も集ってくるだろう。 変に色々と何か考えたりしない。 就活も何も困らないのだろう。 そう思うと、やはり自分は特殊なのだろう。 自分の容姿が醜いから与党を支持しないと言っても間違いではない。 就活が近づき感じつことがある。 何もしていないが、どんぐりの背比べ的なものだろう。 だいたい見てくれと学校で選ばれるものだ。 自分という人間は争うもくそもないのだろう。 容姿が良くなって大き
最近何かと話題になっているはあちゅう氏(この人の名前を目にするのも疲れてきたから以後はイニシャル表記とする)について、セクハラ公開告発が自著の宣伝も兼ねてるのでは?なんて話もちらほら目にするようになってきた。 まぁ百歩譲ってそれが宣伝だったとしても、どうでも良い。 (どうでも良い、というのは、ここで論じたいのはこのことではないためで、ふざけるな、と言いたくなる問題ではある) ただ、「自分という生き方を武器にしよう」って主張はとことん気に入らない。 H氏の言うセクハラ案件をここまで大々的に公開告発することができたのは、本人のネームバリューや社会的影響力が非常に高いためであり、さらにそうした価値は本人の容姿に依存している部分が多分にあるだろう。 人間生まれた時から不平等なので、自分が容姿に恵まれなかったのは仕方が無いが、はっきり言わせてもらう。 「自分という生き方を武器にする」ことができるのは
フィクションはイジメを描けないと感じるものだ。 最近、梅田という街を歩いていて何とも言えない空虚さを感じた。 どこまでも、商業主義な感じだ。 そして、見てくれのいい人間が多く歩いている。 それ以外の人間は淘汰されたのか。 「いじめは楽しい」だから笑顔で行われる。 最近感じるが、この記事のとおりにイジメはやはり、楽しいから行われるのが事実だろう。 恐らく、いじめる側には休日には「関わる価値すらない」人間が学校の空間で同じになるから起こり得る。 こうなると、フィクションではイジメは描けない。 構造的な問題で描けるものではない。 自分の高校でいじめられていたのは、やはり容姿が醜い人間だった。 自分もそんなのだったから、酷い目にあった。 そう考えると、フィクションではイジメは描けないだろう。 基本的にはなんだかんだ美しさを求めるものだ。 そんなもので、リアルなものを描いたら、皆はみたがらない。 実
就活において、自分の学歴に負い目を感じざる得ない。 おそらく、就活というのを経験したことがないのでわからないが大体学生に差があるとは感じない。 多分、学歴やら容姿で選別されるのだろうと推測している。 自分は容姿も醜い。 街を歩いていると同じ年代の人間は肌が綺麗で顔が小さい。 中学、高校の時に持病が悪化して、その薬の副作用で何をやっても顔全体に吹き出物やらが湧き出て酷くボコボコになった。 おそらく、自分の顔を見ると気分が悪くなる人が大量にいるだろう。 自分も見ていて吐きそうになる。 その後、そんなことが抑えられる治療法が出てきて虚しいことといったらありゃしない。 そんな苦痛に満ちた、中学高校時代に間違えて進学校に通ってしまった。 東大にも割と入る高校だ。 容姿が醜いなかで、ひどい目に遭いながら学校生活を送るわけだが成績も悪かった。 大量に家庭教師をつけて、800万円くらいはかけたのではないか
街なかには大量に見てくれいい人間を持ち出した広告で溢れかえっている。 ネットで全く不毛なジェンダーに関する言い争いがあったとしても、どうやら消費社会は大好きな感じだ。 言い合っているが、本当は消費社会の中で楽しく生きたいというのが本音なところだろう。 洋服や化粧品の宣伝に関する批判がないところから、本音が漏れている。 自分も、消費社会を楽しみたいのだろう。 容姿が良かったら楽しめるのだろうなと感じる。 別に消費ができないわけではない。 スマホもマンション一室も持っている。 スマートフォンでSNSを見ると、ある著名人の肌が汚くて不快だとかいう書き込みが流れてくる。 自分も同じくらい汚い。 これは、どうすれば良くなるのか消費社会は提示してくれていない。 小金持ちの親が大学を通うために京都中心部にマンションを買ってくれてもだ。 容姿が良い人間が今日も明るい顔をして、消費をして、街を歩く。 殆どの
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