インターネットではジェンダーバトルが繰り広げられている。 自分の好き嫌いが第一である。 マイファーストであるわけだが、たまたま自分の好き嫌いと法律や著名人の発言などが一致した時は我は正義という顔をする人がたくさんいる。 性犯罪を擁護するつもりはないが、痴漢なんかそうだろう。 悪いことだが、死刑にしろとか言っている人を見ると唖然とする。 多分だけれども、みんなが美男美女ならこんな問題もっとシンプルに解決するのだろう。 セックス出来たら、こんな面倒な揉め事は起きないし、美男美女に何か言われても嫌な気持ちにはならない。 頑張れば恋愛ができると確約されていれば大抵の人間は、性的魅力を感じる人間に面倒ごとを起こそうとしないだろう。 容姿やらで無理だと思うから揉めるのだ。 ジェンダーの問題は結局は経済や容姿の格差でしかない。 そんな気がしてくる。 自分は不細工ゆえに傷つけられた経験がたくさんある。 顔
ある日、紅葉を見に来た母親と食事をした。 隣のテーブルではカップルが食事をしている。 カップルは賢くは無さそうだが、容姿の偏差値は高そうだ。 何となく嫌な予感はしたが、カップルの会話から自分の通うレベルの低い大学の最寄り駅が聞こえてきた。 あぁ、同じ大学の輩なのだ。 彼らは近くのテーブルで食事をしているアングロサクソンの家族の子供を可愛いと言っている。 人種差別的というか、容姿を重視する輩ではあるということは確かだ。 自分は明らかに怒っていた。 それはカップルが自分よりも見てくれが良いことが99%、1%は彼らの人種差別的というのか何かを感じたからだ。 恐らく、自分は人種差別に怒ったというのではないのだろう。 自分の中にある白人の子供の可愛さと言うものの正反対の特徴を持つ自分の容姿が醜いと言われた気になったのだろう。 これは確実なことで、自分が中学、高校、大学で孤独であり、就職も苦労しそうな
資本主義以降の世界を想像することが出来ない。 今まで、いろいろな人達が資本主義は崩壊すると主張してきた。 しかし、そんなことはなかった。 売るものがないとなると、金融に手を出したり、もはや電子データで粗利率が高そうなスマホゲームで稼いだりと意地でも延長していく。 街を歩いていても、みんな消費社会を謳歌しているようだ。 着飾り、化粧をして、胸を盛り上げたりして性的魅力を高めている。 それを永遠と続けて行きたいようだ。 しかし、教育ローンを抱える人間は石を投げれば当たるくらいになっているとか聞く。 金融緩和を続けて、資産を持つ人間が潤う一方でこのような状況が産まれるのは良いことなのか。 そんなものを抱えても、顔が良ければ幸せなのだろうか。 大学を歩くと、顔が良い人間が幸せそうに見える。 そう思うと、経済格差は広がったほうが良いとも思う。 容姿が醜い自分には教育ローンがないということをアドバンテ
最近、母親と紅葉を見に行った。 今年は早くから冷え込んでいたせいか、紅葉も10月の中旬には見頃を迎えていた場所もあったそうだ。 そんな中で、有名な紅葉スポットでもライトアップをしている場所は人がたくさんいたりする。 場所が場所だからか、着物を着て歩いている若い女がたくさんいる。 レンタルだろうか。 海外からの観光客も多いが、日本人の女も沢山いる。 そんな、若い日本人の女の集団を見た。 みんな顔が悪くなくて、セックスには一切困らない顔だ。 彼女たちというのは、恐らく難しいことなんか考えていない。 考えるはずがないというのだろうか。 万が一にでも、高偏差値な大学に所属していたとしても消費社会を中心とした社会のメインストリートを順調に歩こうとするはずだ。 自分は格差論について考えていて、いかに卒論テーマに落とし込もうかなどと考えていたが本当はそんなことなどしたくないのだろう。 貧富の格差がどうの
ボジョレー・ヌーボーを飲んでフランス気分でいる。 父親にビジネス書を読めといわれたので、ひねくれて遠藤周作作の王妃マリー・アントワネットを読んでいる。 ビジネス書は苦手だ。 王子や騎士が姫を救う話ではなくて、虐げられていた者が姫を処刑するフィクションが必要だと感じる。 日本のアニメや漫画といったフィクションを見ると権威主義なものばかりである。 主人公が上級国民だったり、特殊能力がある奴ばかりだ。 古典の時間に光源氏が出てくる源氏物語や在原業平が活躍する伊勢物語に苦闘していたが、昔から日本人は権威が大好きなのかもしれない 政治や経済においてもそんな傾向である気がしてならない。 まぁ、イギリスの魔法の話もそんな感じだったりするからヨーロッパも似たところがあるのかもしれない。 しかし、そんなものは血筋も能力もない自分には合わない。 顔が悪い自分からしたら、イケメンの王子が姫を救うなど嫌味でしかな
父親にビジネス書を読んで欲しいというが、読みたいというものがない。 自分はビジネスというものには向いていなかったようだ。 恐らく、自分が顔がいい女なら自撮りをSNSにアップロードしたりしていた。仕事というものには熱意はない類の人間だろう。 仕事を通して自己実現をしなければいけない雰囲気が世の中にはある。 自分が就職活動直前ということもあり、自己実現という言葉が目に入っているというのもあるだろう。 しかし、なにか就職というものが自己実現の材料でそれ以外はないというような雰囲気だ。 キャリアがどうのとか、就活から抜け出してもそんな感じである。 所詮は労働なのに大げさに語りすぎではないかと感じる。 大学ですら、そんな感じであるから何ともいえない。 偏差値が低い大学だから仕方がないのだろう。 自分はいつだって自己実現はできていないが、仕事で出来るものではない。 ただ、顔が良くなりたいのに労働もクソ
経済格差が限界に達しているらしい。 モノを売るにも、人々の消費できる量は限られているのでマーケティングに力を入れて苦心しながらやっていたりする。 課金ゲームの隆盛は消費社会の極みを見せられているのかもしれない。 大金持ちは資産が数兆円、そして毎年莫大な額の配当や報酬などを受け取っていたりする。 そんな中で、困窮する人たちがたくさんいる。 私たちは経済格差がない社会を想像するのが難しくなっている。 おそらく、経済格差が少ない社会というのは中学校、高校見たくなるだろうと感じると震えだす。 もちろん、学校というのは場所や私立公立でも違う。 そして、現在では如実に経済格差が出ているという話もある。 しかし、自分が通っていた中学高校が偏差値が高くて受験をして入ってくるということでなんだかんだ格差が少なかった。 みんな、郊外のベッドタウンに住んで父親はリーマンみたいな世界である。 そんな高校での格差と
家で読書をしたあと、外でフラフラになりながら食事をしていると隣にはパリピーみたいな男2人と女ひとりがいる。 話を聞く限りとても頭の悪そうな大学生たちである。 ずっと飲んでいたようだ。 おそらくであるが、頭のいい国立大学の人間ではない。 私立でも自分が通う頭の悪そうな大学のチンパンジー学部にいそうだ。 女は当たり前だが化粧をしている。この顔なら大学生のうちは寵愛を受けているだろう。 自分が読んでいた本は資本主義と格差に関する本であったが、彼らは別にそんなことを気にしていないだろう。 考えたことすらなさそうだ。 恋愛をして、消費社会の中で楽しく自己実現をするのだ。 そう思うと、自分が本を読んでいるのも馬鹿らしくなってくる。 自分は顔が悪いから本を読んでいただけで見栄えがよければウェイとしている人間である。 貧富の格差というのは、あった方がマシなのかもしれないとも思い始める。 自分の親が小金持ち
カネで学歴が買えるみたいな記述がネットでは散見されるが、そうは思わない。 自分がそうだが、恐らく親が家庭教師などに数千万円つぎ込んで入れたのが、一般入試で関関同立の底辺学部だから何だったのだろう。 薬の副作用で吐き気はするし、想像以上に勉強が出来ないために家庭教師も諦める程だった。 AOを使えるほどの目指せるほどの何か大人を目眩ましできるような経験はなかった。 そして、そもそも成績が悪かった。 進学校に行ったのが悪かったのか、周りができる中で自分は出来なかった。 おまけに体調も容姿も良くないものだから最悪だった。 就職の時期になり、自分は低い学歴なんだなと感じる。 どうすれば、カネで学歴やマトモな容姿が買えるのか教えて欲しい。
相続税は資産にしか課税されない。 それは当然なことだと考えられている。 しかし、容姿や能力に対しても相続税をかけるべきではないかと考える。 それは、自分が無能であるからであるのは言わずもである。 ただ、明らかに課税が必要ではないか。 すでに所得による課税で容姿や能力への実質的な課税はできていると言う人がいるだろう。 しかし、それだけではQuality of lifeの公平さなどを保証できない。 保証する必要がないと言う人もいるが、自分は容姿が醜いからする必要がある。 定数化できないと言う人がいるが、容姿に関してはすでに可能になり始めていると考える。 最新iPhoneの顔認識技術やDeep learningなどを見る限り、セックスに有利な容姿などを判断できるようになっている。 相続税をかけるべきだろう。 しかし、一番は自分が容姿が良くて慶應大学でも進学できたら良かったのだろう。
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