長男である男特有の問題で「跡取りを作る」と言うモノがある 童貞=年齢でそろそろアラサーになりかけてる俺は結婚はしなくていいや・・・と言うのが本音なのだが 古い風習にとらわれてる親戚の爺さんや婆さんからは毎年「結婚しないの?」「跡取りがいなくなると墓を守れなくなる」と言われる。 そしてもう10年以上、正月で会うたびに言われている。 そろそろ諦めて欲しいけど死ぬまで諦めるつもりはないだろう。 ごめんよ、生殖能力のない長男でな。 俺の代で家の血は途絶えるけど永代供養とかちゃんとやるから許してくれ。
![男だけど新年に「結婚しないの?」と言われる](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1638cdb5807a4788e4ba3c1109a984166e095fc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2Fimages%2Fog-image-1500.gif)
実家に帰ると、今までどれだけ現実というレールから逃避してきたかがわかる どれだけ今の日常が間違っているかを再確認できる しかしそのレールに戻る気もしない そもそもこの田舎に敷かれたレールの上に幸せはない 錆びたレールはただそこに佇み、今の私を間違っていると指摘するだけだ 私だって好きで間違っているわけではない 今が正しいだなんて思っていない ただそのクソみたいなレールを甘んじて受け入れることができないだけだ そうして現実も、今の日常もすっかり嫌になってしまって 毎度のごとく死にたくなってから またクソのような日常へ戻る せめて伴侶でも居ればこの気持ちは安らぐのだろうか そう思うが、きっとそれも間違いを生むだけなのだろう こうして私は今年も間違いを重ねていく
何度も大きな病気と手術を繰り返し、その都度不死鳥のように復活して帰ってきたおばあちゃん。春先から体調を崩してたけど、心のどこかで今回も大丈夫なんじゃないかなと思ってた。 どんどん弱るおばあちゃんが心配で、去年は10回くらい実家に帰って顔を見せた。もうすぐ初ひ孫に会えるからねと伝えると、おばあちゃんも笑って少し元気になった。 でもだめだった。寿命だったんだ。ひ孫の顔を見る少し前に亡くなってしまった。 最初は実感がなかった。けれど正月実家に帰った時、生まれて初めておばあちゃんが出迎えてくれなかった。 「よく来たね。お腹すいてないかい?」会うたびに必ず言うあの言葉は、もう二度と聞けないんだ。 悲しい。辛くて涙があふれてくる。 亡くなる間際に「おばあちゃん、いままでありがとうね」と伝えたら、朦朧とする意識の中「どういたしまして」と、目を閉じながら笑って返してくれた。 あれで終わりになってしまうとは
お年玉を50万円以上貰ってるくせに少ないと文句をネットに書いてる子供がいるらしいけど 基準どうなってるんだ?? 自分だと、昔のことだから細かくは覚えてないが、二桁万円を超えることはほぼなかったような気がするから 相当驚いてるんだが、自分の周りが相当貧乏だったってことか?親戚のおじさんに普通に年収1000万円超えの人もいたけど、 普通は特筆すべき金持ちの親戚的な認識じゃなくて、もっとうじゃうじゃいるものなの? 金持ちの親戚が多少いるとはいえ自分自身は底辺だから、「一般家庭」とやらに於ける基準がよくわからん
帰省してきた。当方、東海某県。 男3人兄弟なんだけど、昔から末っ子の私だけポンコツだった。 勉強も中途半端、何をしても二番手以降のポジション。 おかげで、めちゃくちゃ勉強できた兄貴達と比較されてきたっけ。 親は「あんたは何でお兄ちゃん達と違(略…」ってやつ。 んでもね、ポンコツなりにコツコツ働いたらなんとか会社で昇進できたよ。 1万人規模の会社で、上位10%が課長、そこを乗り越えて上位5%の部長になれた。 ポンコツでも苦渋舐めて社畜と言われても働いてみたら、なれた。 その事を親と兄貴達に報告したら「よくやったな、がんばったな」と。 やっと、やっと認められた気がした。 母親も喜んでいた。 優秀な兄貴達に一方的にコンプレックスを抱いていたのは、私一人だったのかもしれない。
実家を離れたからこそ、家族の問題が見えてくる。父がモラハラ気味に母を縛ろうとしているように感じる。自分になにかできないだろうか。 正月で一年ぶりに帰省した。不満は多いけれど、両親のおかげで自分は人並みに幸せな学生時代を過ごさせてもらったと思っている。就職して5年近く経ったが、この短いやすみで実家に帰ったときだけは、自分が子供時代に帰ったような安心感を感じる。それと同時に人は誰もが必ず年老いていくということをふと思い出すと、この家族もいずれバラバラになって自分が一人になるのだろうという不安感も感じる。 母は比較的自由人である。しかし、子供だった自分を精一杯育ててくれた。(変な味付けの)ご飯をつくり、(埃が積もってきた頃に)掃除をし、洗濯をしてくれた。そして母自身が些細な趣味を持ち楽しんでいるように見えた。月に1−2度趣味の集まりに出かけ、飲み会に行った。そんな日は帰りが日付を回ることもあった
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く