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「人生にリセットボタンはねえんだ!!」 「最近のゲーム機にもリセットボタンねえよ!!」 「えっ。じゃあ人生にセーブ&ロード機能はねえんだ!!!」 「最近のソーシャルゲームにもそんな機能ねえよ!!!」 「えっ。えっ。じゃ、じゃあ人生に課金システムは」 「あるよね」 「うん、あるね」 私の長男(8歳)は、「リセットボタン」という機能を知らない。 以下、既出議論かもしれないが、気にせず話を進めることにする。 ゲームに対してあまり興味や親和性をお持ちでない中高齢の方が、「リセットボタン感覚」「リセット感覚」という言葉を若者批判・ゲーマー批判の種として用いることは、今でもそれほど珍しくはない。Web上ではあまり見なくなってきているが、一時期のゲーム脳議論なんかでは頻繁に引き合いに出される内容であったし、「人生にリセットボタンはない」というお説教を、私はつい最近、この耳で直接聞いた。 しかるに、みなさ
いつものことですが、こういうのを可視化する意味もあるかと思って、整理も兼ねて書いてみます。一般化する気は特にないです。 長男、8歳。小学二年生。 ちょっと前から気になっていたことですが、長男は「頑張らなきゃいけないことに対するハードル」が高い気がします。 ポイントは、大きく分けて二つです。 ・サッカーのリフティングなど、練習すれば出来そうなことについて、(出来るようになりたい、という意志はありそうなのに)何かと理由をつけてやろうとしない。 ・学校の宿題や片付けなど、出来るけれど時間がかかりそうな(面倒な)ことについて、同じくなかなか手をつけようとしない。 早い話、「努力が必要なこと」について、始めるまでの精神的障壁が高いようです。いや、面倒なことが後回しになり勝ちなことなんて大人だって一緒ですし、いざ始めれば集中力はあるんで結構あっという間に終わるんですが。 やればすぐ出来るんでそんなに気
基本的には、 ・「してはいけないことをした」場合、叱る ・「しなくてはいけないことをしてない」場合、待つ 様にしている。 私のやり方である。正しいのかどうかはよくわからない。というか、正しい叱り方などというものはこの世に存在せず、その時その時で適しているかどうかがあるだけなのだろう。だから、常に、「この叱り方は正しいんだろうか」というのは考えるようにしている。 いつも通り、そのうち自分で読み直して得るものもあるだろうということで、今日あったことを書き残しておく。 しんざき家の長男は7歳、小学一年生。長女次女は双子で、いずれも来月3歳になる。 今日、私が仕事から帰ったのは21時前だった。いつもなら、奥様・長男長女次女は既に入浴を終えており、寝る前に合流して一緒に寝るタイミングだが、その時はまだ皆リビングにいて、若干不穏な空気だった。どうも、3人でハッピーターンを食べて、包装袋をその辺にまき散
最初に結論を書いてしまうと、言語に「乱れ」なんて存在しない、少なくとも非難されるようなものではない、というのが私のスタンスです。 多分、同じ研究をしていた人は大体そうなんじゃないかと思います。私の研究室で「日本語の乱れだ!けしからん!」という考え方の人を観測したことは一度もなく、「なんか新しい口語用法だ!レポートのネタになる、逃がすな!!」って人ばっかりでした。 この記事の目次は下記の通りになります。 1.書いている人の立ち位置 2.国語学ってなんですか 3.で、「日本語の乱れ」ってなんでしょうね 4.「正しい日本語」とかいうものを商売のタネにする人達があんまり好きじゃない 順番にいきます。 1.書いている人の立ち位置 私は文学部出身でして、日本語日本文学、その中でも国文学ではなく国語学というものをやってました。古い日本語から新しい日本語まで、「言語としての日本語」について研究する学問です
長男(幼稚園年中)と話していた際、ふと気付いたこと。よく考えてみればごく当然のことだったのだが、今まではっきりと認識出来ていなかったので、ちょっと書きとめておきたくなった。 子供たちや奥様と一緒に、風呂に入った時の話である。 我が家の風呂は、比較的早風呂である。とはいえ、風呂に入りながらも色々と話す。 息子さんとばしゃばしゃお湯をいじりながら、私はなんとはなしに、「今日、幼稚園で何があったー?」と聞いた。この時、彼は「もう、そんなにいろいろ聞かないでよー」という嫌がり方をしたのである。 ん、色々? 私が聞いたのは、「幼稚園でどんなことが起きたか」という一点だけであり、別に「色々な質問」をした訳ではない。そして、この質問をする前にしていた話は、お風呂で遊ぶおもちゃについての話であり、特段何か質問をした訳でもない。 実は、この質問に対して息子さんが難色を示すのは、初めてのことではない。いつもは
そもそもユーザーに対する情報提示窓口が、たかが二桁の数字液晶といくつかのランプしかないというのは一体どういう了見なのか、と問いたい。 ユーザーに対する情報は本来ログビューワ等で可視化するべきだし、それがダメならせめてlog4jなどのlogAPIによってログファイルを吐き出せるようにしておくべきだ。数字窓に「E4」などと表示されても、一体いかなるエラーが発生しているのか我々にはさっぱり分からんではないか。 入力するべきコマンドが幾つかのボタンによって隠蔽されているというのも、かなり重大な問題である。ユーザーは自分がボタンを押すことによってどのようなコマンドが発行されるのか、「スタート」であるとか「すすぎ」であるとか「脱水」であるとか、「ボタンの下に記載されている数文字」という非常に少ない情報量による判断を強いられる。洗濯物を洗う為に「スタート」を押せばいいのか、「予約開始」を押せばいいのか、
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