「敵は本能寺にあり!」。戦国武将の明智光秀が向かったのは、対立する戦国大名の軍勢ではなく、京都の本能寺にいた主君の織田信長でした。有名な「本能寺の変」です。何度も歴史ドラマや映画で描かれたシーンですがどうして光秀は信長を討ったのか?「信長にいじめられたから」「天下を狙ったのでは」。その動機については、今もさまざまな意見があります。 そんな中、新たな研究成果が今月発表されました。光秀が本能寺の変の10日後に書いたと見られる直筆の書状が見つかったのです。見えてきたのは、歴史の教科書を書き換えるかもしれない、新たな歴史のストーリーでした。 (津放送局記者 三野啓介) 光秀による突然のクーデター。その動機は大きな謎とされ、諸説が入り乱れています。 まず、代表的なのが信長からの仕打ちに個人的な恨みを抱いたからだとするもの。信長が「はげ頭」と光秀にあだ名をつけてばかにしたとか、大勢の前でどなりつけて恥