疑似科学と道徳 -下村文部「疑似科学」大臣の醜態より邪推する疑似科学信者の思考の傾向- というブログを読みました。 疑似科学に傾倒している人や所謂放射脳と言われう人たちの思考のパターンを分析しているのだけれども、 疑似科学信者は科学風の説と道徳を結びつけて論じて、科学的な妥当性がなくても、道徳的には善い行いだと結論づけるとしていた。 なるほど、そうだ。 先日、ブログで批判した体罰の会も生物学的な説と教育という道徳に結びつけている。 道徳など人間的な価値観を補強するために科学を用いるのは危険だ。 科学的なことであると宣伝されれば、大衆はそれが正しいものだと盲信してしまいやすくなる。 専門的な人間ならば、実験の妥当性や統計の偏りとか批判はできるだろうけれど 市井の善良な人ならばそのまま鵜呑みにしてしまうこともありえる。 なぜ科学に道徳を持ち込んではならないのか? 科学は人間かどうかなど関係なく
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