もともとは歌謡曲の歌手としてデビューしたという夏木。その時つけられたキャッチコピーを聞かれると、「ありました、『マグネットの女』っていうの」と笑い、「みんなを引き寄せるみたいな」と理由にも触れた。 そんなデビュー時、彼女のプロデュースを手がけたのが作詞家の阿久悠。もともとあまり個性がなかったという夏木に対し阿久は考え込みながら、「ヨーロッパの女優さんみたく売るか」とセクシー路線で売り出されたという。 そして阿久の作詞による『絹の靴下』がヒット。その頃はNHKからテレビ東京まで全局の歌番組に出た後、夜行列車に乗って各地のキャバレーでも歌っていたのだとか。だが病気を患い3か月休養。復帰したときにはまったくテレビの仕事がなく、キャバレー回りのみ。夏木は「そこから“うなぎ下がり”です」「トンネル時代」と振り返っていた。 現在も女優、歌手、舞踊家と幅広く活躍する夏木だが、「私ね、歌うときは牛肉食べた