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世の中は、科学で全てが証明出来る程、簡単には出来ていないと思うのですけれど、どうなのでしょう。疑似科学的なものを信じる信じないも個人の自由じゃないんですかね。それじゃ駄目なんですかね。 http://d.hatena.ne.jp/ululun/20070112/1168588977 よく見かける意見だが、こういう意見を口にする彼らは科学が不完全だから疑似科学を信じているのだろうか? 「科学で解明できないことがある。科学で全てが証明出来るというわけではない」ならば「疑似科学を信じても良い」のだろうか。逆に「疑似科学がうさんくさい」ならば「科学が完全である」といえるだろうか。 そんなバカな話はない。なぜなら、両者はまったく関係ない事象だからだ。疑似科学は科学に偽装し、科学の権威を利用して証明できないことを真実のように言いふらし利益を誘導しているだけである。 科学が完全だろうが不完全だろうが、そ
2007年01月14日03:30 カテゴリValue 2.0 信じる自由の費用負担 「信じるも信じないも個人の自由」から、抜けている視点が一つある。 煩悩是道場 - 科学的根拠が無いものを信じてはならないのか 世の中は、科学で全てが証明出来る程、簡単には出来ていないと思うのですけれど、どうなのでしょう。疑似科学的なものを信じる信じないも個人の自由じゃないんですかね。それじゃ駄目なんですかね。 騙された場合に、そのコストを誰が支払うか、という問題だ。 もし「信じるも信じないも個人の自由」を全面的によし、とすると、やはり「騙された時のコストは、信じたものが全て支払うべき」だとなるのではないか。当然詐欺罪というのも成立しないし、名誉毀損などとんでもない、ということになる。「信じるも信じないも個人の自由」を標榜する人は、「騙された場合も他者を一切責めません」という旨も同時に表明しておくべきなのでは
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