陽炎型駆逐艦(かげろうがたくちくかん)は、大日本帝国海軍(以下「海軍」)の一等駆逐艦[16][2]の艦級である。全19隻が建造された。一番艦である陽炎の沈没後、書類上不知火型駆逐艦(しらぬいがたくちくかん)と改定された[17]。 次級の夕雲型駆逐艦と合わせて甲型駆逐艦と呼ばれる[18]。 1937年(昭和12年)からの第三次軍備補充計画(通称③計画)で15隻[19]、1939年(昭和14年)からの④計画で4隻が建造された[20]。軍縮条約の制限に縛られず、復元性能・船体強度にも留意した[14]日本海軍の艦隊型駆逐艦の集大成といえる駆逐艦[21]。第1艦(陽炎)が1939年11月に竣工[19]、最終艦(秋雲)が1941年(昭和16年)9月竣工[20]。太平洋戦争では新鋭駆逐艦として第一線に投入され、終戦まで生き残ったのは夕雲型19隻、前身となった朝潮型10隻と合わせて全48隻中雪風ただ1隻で