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ブックマーク / globalizer-ja.hatenablog.com (3)

  • 教育行政の無責任体質と「教員不足」 - グローバル引きこもり的ブログ

    どうも、全国の小中学校で教師の数が足りなくなっているらしい。 どれくらい足りないかというと、700人ほど足りなくなっているらしい。 この「足りない」ということの定義がどのようなものかは知らないが、おそらく700人分の授業が「自習」とか、そういう感じになっているのだろう。 そうだとしたら、仮に平均的なクラスの人数を30人とすると20,000人ほどの生徒が授業を受けていない状態だということで、まあ、大きなニュースといえば大きなニュースかもしれない。 www.nhk.or.jp では、なぜ教師の人数が足りないか、というと、これは少子化を見越して教師を臨時採用の教師に置き換えているからである。 もし、正規採用で教師を採用した場合、今後少子化が進んで教師が余ったとしてもそれらの教師はクビにできない。 なので今、教育行政は、教師を少子化が進むにつれて自由にクビにできる臨時採用の教師に置き換えている。

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    REV 2017/07/09
    とりあえず、「格差解消」って誰かがいうと、低い方に合わせるという意味になるオチに
  • 国語の授業で「山月記」をどう取り上げるべきか - グローバル引きこもり的ブログ

    先ほど「山月記」関連に関するエントリーを2つ書いたが、山月記というのは国語の授業でどのように取り上げられているのか気になったので調べてみた。 ものを書くことを好む人が多いのか、どうも国語教師というのはネットをやる人が多いようで、検索をすると「山月記」の授業に関しても膨大な量のエントリーが見つかる。 それを見ていて改めて思うのは、「山月記」を授業で取り上げるというのは結構難しいなあ、ということだ。 まず、「山月記」が李徴のような人間を煽りまくる目的で書かれたという側面があるのは間違いないだろう。 文学の世界では、今も昔も李徴のような人間には事欠かないわけで、中島敦に李徴のような生き方を批判する意図があったのは間違いない。 中島敦には書くことがなくなったのに作家という肩書にしがみつく職業作家を批判した一文があるが、職業作家に対する認識がこれなのだから、李徴のような生き方をしている者に対する認識

  • もし受験生のときに「地元で進学したら月に十万円あげる」と言われたら、どうする? - グローバル引きこもり的ブログ

    ネットをやっていると時々、奨学金を使って東京の大学に進学したのはいいけども経済的になりたたず、苦労のあまり健康を損ねて退学に追い込まれそう、みたいな話を聞く。 誠に気の毒な話だ。 人間には同じ人間でも金銭に関するセンスがある人とない人がいるわけで、金銭のセンスがある人ならば色々な方法で効率的にカネを節約する&カネを稼ぐことで東京の大学に進学しても無事に卒業できるだろう。 しかし、もし家が貧乏で支援が一切期待できない状態なのに、普通の家庭の出身者のような気分で学生生活を送るとしたら、これはとんでもないことになるのは間違いない。 こういう金銭に関する嗅覚みたいなものは受験勉強みたいに努力すれば手に入るというものでもないので、奨学金を使って進学した学生のいくらかは破滅することになっている。 僕は普通に親のカネで大学に進学したので(というか進学する以外の選択肢が全くないような人生だったので)こうい

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    REV 2017/06/26
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