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ブックマーク / khideaki.hatenadiary.org (2)

  • 人間の主観を客観的に理解できるか - 数学屋のメガネ

    主観と客観は対立するものとして現前する。主観は、ある個人の頭の中に存在するもので、その個人を離れて外に飛び出すものではない。それに対して、客観と呼ばれるものは、個人との結びつきを断ち切って、個人とは独立に存在するものとして対象化される。だからこそ、個人の単なる思い込みではなく、誰もがそれを同じように対象として認識できるので、その属性を誰もが認めうるような一般性を獲得することが出来る。 個人の好き・嫌いに関する感情は、客観性をまったく持たない主観だけの範囲で語られてもかまわないものだ。好き・嫌いという感情は、そのこと自体が悪いというような価値判断は出来ない。その感情が生まれてくるのはある意味では仕方のないものとして受け止めなければならない。 例えば、ある芸術作品が自分の好みに合っているという、好きという感情は自分の主観である限りでは、誰も間違えるということはないだろう。この、好みの感情は、個

    人間の主観を客観的に理解できるか - 数学屋のメガネ
    REV
    REV 2007/05/18
    猟奇殺人の頻度は増えているの?
  • 「反証可能性」について - 数学屋のメガネ

    sivad氏の「証明問題とニセ科学 」というエントリーに語られている「反証可能性」という言葉の理解の間違いを批判しよう。この間違いによって、彼がいかに科学と論理について質的な理解をしていないかが分かる。彼は、このエントリーで次のように語っている。 「ここで用いられているのは、まず与えられた命題を自明に真とし、そこにつながりそうな根拠?をかき集める・でっち上げるやり方です*3。自然科学にしろ社会科学にしろ、「科学」と名の付くフィールドではこれは最悪のやり方で、いわゆるニセ科学・トンデモ系の論者にしばしば見られるものです*4。科学においては、ある仮説が与えられた場合その「反証可能性」を検討し、その命題を反証できるような実験や調査を行います。その結果反証されなければ、その命題は一つ上の「確からしさ」を得るのです。ニセ科学論者の場合、これを「最初から間違いだと決め付ける行為」だとよくいいますが、

    「反証可能性」について - 数学屋のメガネ
    REV
    REV 2006/04/08
    観測も測定も記述も統計も困難な何かをどうやって科学で扱うのかな。人力検索はてな、でやればいいのか。
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