俺は今40歳なんだけど、俺が子どもの頃の中高年の話、例えば「バナナは高級品だった」とかに相当するくらい昔話感の強い昔話っていうと何があるかな。「携帯電話はなかった」とかだとちょっと弱い気がするんだよね。
コロナ関係では色々無茶な主張があったが、無茶の横綱は「陽性でも陰性でも感染してるつもりで行動すべきなんだから検査してもしなくても一緒」ってやつだよな。「人は泥棒をすべきでないから泥棒はいない前提で考えてよい」というのと同じ論理構造だよこれ。まともな教育受けた人の議論とは思えない。
今狭い歩道を歩いていたら、後ろから来た爺さんの自転車が俺の右腕にハンドルをぶつけて声もかけずに去って行った。さすがに説教くらいはしてやろうと思い「おい」と呼び止めたが無視(爺さんだしあまり大声は出さなかったから単に聞こえてないかも)。危ないなー。
医療界の中の人で受験女性差別を擁護する人が散見されるのは、業界内の規範が一般的な倫理や法に優越しまっている状態で、これは色々な小社会で見られることだが、本質的にはヤクザとか日大とかと同じです。
何か法クラが口々に「弁護士は正義の味方じゃない」の類の主張をしてるけど、それも表層的な見方じゃないかね。依頼者の権利とか裁判手続とか弁護士倫理とか、弁護士が従うべきルールの隅から隅まで正義がビルトインされてるので、まともに仕事してる限り弁護士は正義の味方にならざるを得ないでしょ。
俺は原則として人に死ねと言ってもよい(ただし関係性により例外的に言ってはいけない場合が生じる)という立場。だから安倍死ねなども勿論どんどん言ってよい。俺のことも気に食わない人は死ねと言っていいよ。死ねと言われて死ぬわけでもなし、何も困らないからね。
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