とりあえずただ好きなんであって 諸々の評価と世間のシガラミは横においておきたいし なるべく記憶とか、特に辛い気まずい記憶なんかは引きずりたくなくて 話して触りたいけど冷たい目で嫌そうにされたりなんかしたら生きてけないから なんか時空と切り離された30分が存在して欲しいってそういう気持ち 自分の記憶にも残らなくていいから
いつも思うんだけど、男ってチンコあるやつばっかりじゃん? そりゃいつものはてなー様は「主語がでかい」ってクソブコメ垂れ流してきそうだけど チンコに限っては主語がでかいというより、チンコがでかいかどうかの問題。 で、女って絶対にチンコないの。もうイヤになるよね。 女がいなきゃ子ども産めないでしょーとか上から目線。バカじゃね? 女がいても男いなきゃ子どもいめないし、そもそも生殖においては平等だろうが。 むしろ女は1年に1人(妊娠期間10ヶ月として)しか子ども産めないけど、 男は機能的には1年に何百人でも子どもをはらませられる。 この生殖機能の違いから、男が女を食わせるという社会習慣が生まれるわけで 男が労働市場で優先されてきたのって自然状態だったんだよ。 ま、これからは男女混合でいかに職場を回すか考えないといけないけどな。 でも、チンコない男もいる!っていうバカもいるかもしれないけど、 チンコ
2016 - 02 - 26 小保方晴子さんの中2の時の読書感想文「ちいさな王様が教えてくれた 大人になるということ」 メモ書き 小保方晴子さんの手記を読み始めたばかりですが、 第2章を読んでると、『赤毛のアン』で出会ったアン・シャーリーや『あしながおじさん』で出会ったジュディ・アボット のような、自然体で、 とても発想豊かな女性だなぁぁというのが、個人的印象ですね。 その、小保方さんの中2の時の読書感想文の全文を見つけたので、ちょっと、メモ。 ちいさなちいさな王様 作者: アクセルハッケ,ミヒャエルゾーヴァ,Axel Hacke,Michael Sowa,那須田淳,木本栄 出版社/メーカー: 講談社 発売日: 1996/10/18 メディア: 単行本 購入 : 2人 クリック : 52回 この商品を含むブログ (83件) を見る 青少年読書感想文県コンクール 中学校年第3類 「ちいさな王
にゃおにゃおにゃお!! もう限界だにゃん!!! 人間生活が!会社が! にゃあああああ! DJになりたいですうううう!モテたい!構われたい!!!!!!!! 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ボクわ思い出します。7月の高架下が入道雲を切り取ってた夏の日でした。。。。 お昼寝をしちゃって、一日をムダに過ごしたボクは、15時ごろかな、 なんとなく秋葉原に行って。なんとなくMOGRAに行って。 まあ、MOGRAってのはクラブ、正直おれはオシャレピーポーだから クラブとかもいくの。無印良品がお気に入りのブランドだぜ。 ファッションの話も今度しようか。アシックスの靴下とかも好きだ。 そう、まあ、ちょっとかなりビクビクしながらクラブに行ったワケ。 したら、たーくさん知らない人がいて。 超かっこいい音楽がガンガンなってて(この時はヤマノススメ2期のOP) お酒を飲んでくだ
最近某タレントが高校の制服を盗んで捕まったけれど、この手の犯罪、ある種の性犯罪というのは、薬物中毒のようなもので、多分本人の意志だけでスパッとやめられるものでもないんだろう。 性犯罪のすべてがそうだというのではないし、「魔が差して」というのが多いと思うけれど、世の中には一定数、シャブ中とか制服盗む中とか痴漢中みたいな人たちがいると思う。 自分でも「もうダメだ、やめないと」と思っていても、もう制御しきれないような人たちだ。 これがもし、純粋に性的な志向・嗜好の話だとしたら、そんなものは当人の勝手であって、好きにやってくれ、ということになる。それすらも好きにさせてくれない人たちは大勢いるけれど、その場合は「俺の町」を手放せない人たちの方が「俺の町」中毒なので、今回は置いておく(正義と「この世界」と理神論、そして大山のぶ代)。 で、ある種のタイプの人たちは、SMクラブでお姉さんの靴を舐めたりする
気合いでガシャガシャやっていた時代から脱却するため、システム部と協力して自動化・仕組み化を推し進めた結果。 生産性はものすごく向上。俗人性も減って、スキルが無い人間でも一定の成果が出せるようになった。 それから数年。 仕組みの一部が時代遅れになってきた気がするので、再度要件定義して改善しようとしたら、業務の裏側を言語化できる人が誰もいなくなっていた。 システムの中を解読しないと、何がどうなってこういう結果になっているのか誰もわからない。 人力でやったらこれこれこういう作業が必要になるからこの部分をこうやってシステム化した という経緯を知っている人は誰もおらず。ボタンを押したら結果が生成される、という認識。
もう駄目かもしれないけどもうちょっとだけ頑張ろうって思う 何回も何回も お前のせいだよって思うことだって何回もあるけど自分のせいだって思うことも何回もある 帰ってきたら部屋が散らかってて辛いって思うし2日前にスーパーで買ってきた食材が床で冷えてる お弁当作らないとお金ないけどキッチンに洗い物が溜まっちゃった もう200円しか無いけどたぶん大丈夫だしいつもなんとかなってきた 服ってなk投げ使ってないかな髪の毛だって切りたいしなんというか自分を整えたいよね 今を改善するためには今を頑張るしか無いんだけど誰かに認められたいしそのために努力はしなくちゃいけない けれども全然自信がなくてこの歳になるまで自信のつけ方ってわかんないまま来ちゃった たぶんそれは自分の努力がたりないせいでもっと死ぬ気で頑張ればきっと報われる そろそろ仕事変えたい職場変えたいけれどなんか頑張ろうって気が起きたり起きなかったり
人を殺した、ような気がしている。 正確に言えば、中学時代に自分の所属するグループでイジメていた子が少し前に自殺していたらしい。 中学2年の秋ごろから不登校になり、卒業式にも見かけなかった。 大学で地元を離れてからはすっかりその人の記憶はなくなっていたけど、成人式で地元へ戻ったとき話題に上がった。 地元の友達が教えてくれた情報によると、そのまま高校にも行かず、ずっと自宅でひきこもっていたとか。 中学の頃の印象からすると意外だけど、動画サイトで顔出ししていたこともあったらしい。垢はもう消されているけど。 自己弁護させてもらえば、自分はイジメの張本人ですらない。一緒に無視したり、周りで囃し立ててた側。 もちろん、法的にいえばイジメの張本人や自分が殺人罪や殺人幇助罪になったりはしないだろう。 当時の中学校の担任や校長もイジメと自殺の因果関係は分からないと主張するに違いない。 自分には何の責任もない
予定説(預定説、よていせつ、英語: Predestination)は、聖書からジャン・カルヴァンによって提唱されたキリスト教の神学思想。カルヴァンによれば、神の救済にあずかる者と滅びに至る者が予め決められているとする(二重予定説)。神学的にはより広い聖定論に含まれ、その中の個人の救済に関わる事柄を指す。全的堕落と共にカルヴァン主義の根幹を成す。 予定説を支持する立場からは、予定説は聖書の教えであり正統教理とされるが、全キリスト教諸教派が予定説を認めている訳ではなく、予定説を認める教派の方がむしろ少数派である(後述)。 予定説に従えば、その人が神の救済にあずかれるかどうかはあらかじめ決定されており、この世で善行を積んだかどうかといったことではそれを変えることはできないとされる。例えば、教会にいくら寄進をしても救済されるかどうかには全く関係がない。神の意思を個人の意思や行動で左右することはでき
今日の未明、どうにも眠れる気がしなかったんでなんとなくマックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をぺらぺらめくってたんですが、いや何故か妙に引き込まれて、結局今日一日で通読してしまいました。以前に頁を最後までめくってみたときは、それほど熱心に読めなかったんですが、いや今回はめちゃくちゃ惹かれるものがあったというか、頭に入ってくる感じがあったんですよね。苦悶の叫びをあげながら頭を抱えて読み進めている『古代ユダヤ教』より全然頭に入ってきた感じがある。せっかくなので要約チックなものを書き留めておこうかなと思います。 第1章 問題 1 信仰と社会層分化 プロテスタントの経済的成功 第1章第1節の導入部分で提起されるのが、「近代経済においてプロテスタントが上の方の地位を占めてないか?」という疑問。そこから踏み込んで、なぜプロテスタントが資本主義に適合的なのか?という問いが提出
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