会話を得意だと思ったことがない。 いわゆる陽キャの人々と話すとどこか気を張ってしまい、オタクと話すとほとんどの時間を聞き役に回って終わる。会議の後には自分がちゃんと役に立てたかいつも心配になるし、気が休まるのは数少ない友人と何も考えずぽつぽつと話をしている時ぐらいだ。 しかしこうして見ると、ひとくちに「会話がうまくない」といっても相手や場面によって苦労の種類が全く違う気がする。この違いはなぜ生まれるのか、自分はなぜアジャストに苦労するのかを考えて、この間ある結論に辿りついた。 つまり会話とは、用いる言語こそ同じだが「潜在的に何のゲームをやっているか」が相手や場面によって異なる競技なのだ。 たとえば陽キャの者たちにおける会話は「協力系音ゲー」である。ポップンのボタンをひとりひとつずつ割り当てられて、然るべきタイミングで定型の音を出すことが求められる。ゴールはひとつの曲を上手に演奏しきって連帯
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