タグ

ブックマーク / www.sinseihikikomori.com (11)

  • ドタオートチェスのこと、人生のこと、Eスポーツのこと、本当に困っていること、誰かに助けてほしいこと。

    ドタオートチェスについてはこれまで散々語ってきたが、それはビデオゲームの話だった。今日はビデオゲームの話ではなく、僕自身とドタオートチェスの話をしたい。なぜ関わることになったのか、なぜ関わり続けているのか、何を目的としているのか。その辺の話である。 どうしてこういう話を突然書く気になったのかというと、先日しめじという私に懐疑的な人に通話でアドバイスを頂いたのだが、「完全な異常者だと思ってたが思いのほか普通だった」と言われたのは、おそらくその辺に原因があると思ったからだ。つまり、外部から見れば行動原理が理解出来ないということなのだろうと思う。それは尤もな話だ。僕は僕のような人物をインターネットで見た事がない。唯一無比ではないにせよ、かなり特殊なケースだろう。大きく外れた例外値なのだから、その点において紛れもない異常者なのだが、「異常者だと思っていたがそうではなかった」と言われたので、何かを書

    ドタオートチェスのこと、人生のこと、Eスポーツのこと、本当に困っていること、誰かに助けてほしいこと。
    Re-KAm
    Re-KAm 2019/05/15
    “インターネットでくだらない、それでいて最高な文章を書き続ける人間なんて、大抵現実世界ではろくな人生を歩んでいない”
  • 池内恵とインターネット。人生は誰かを悲しませない為にあるんじゃない。

    今日も今日とてインターネットをしていると、池内恵がインターネットと戦っているのを目にしてしまい、とても悲しい気分になった。ぼくたちは、その人生の全てをインターネットに費やし極めた、インターネットの名人だから、インターネットと戦うことが、どれほどまでに不毛であるかを知っている。知り尽くしている。知り尽くした上で、インターネットと戦って負けたり、インターネットと戦って消耗したり、そんな毎日を過ごしている。それが自分の人生なんだと、自分の人生を受け入れている。そんな人生が存在するのは仕方が無いし、そんな人生があったって、別にいいじゃないかって思っている。だって、インターネットはそれ程までに、最高にたのしいものだから。インターネットは人生に値する。けれども、同じ事を池内恵がやっているのを見てしまうと、とても悲しい気分に陥る。僕は池内恵じゃない。池内恵なんだから、もっと他にやることがあるだろって思っ

    Re-KAm
    Re-KAm 2018/05/15
  • インターネットがつまらない楽しくない面白くない。

    インターネットにはいろんな人が居るって言うけれど、素敵な人が居ない。面白い人が居ない。たとえば懸命にインターネットを続けて、楽しい人、面白い人、素敵な人をやっとの事で発見しても、素敵な人はインターネットには興味がない。なぜなら、素敵な人は素敵なものが大好きだから。素敵な人が素敵なのは、素敵な人と暮らし、素敵な人と働き、素敵なものをべ、素敵な人生を楽しんでいるから。インターネットは素敵じゃないので、素敵な人はインターネットをしない。素敵な人は気まぐれで始めたインターネットをすぐやめて居なくなる。 インターネットで繰り広げられるのは、つまらないくだらない人間が触れ合いを求めて手を伸ばし、素敵な人や素晴らしい人を消耗させて、インターネットから追い出して弾き出す光景。くだらないつまらないインターネットを支配する、巨大な人民の集団が地響きを立ててうなりを上げるブルドーザーと化してインターネットの広

    Re-KAm
    Re-KAm 2016/04/22
    “素敵な人は気まぐれで始めたインターネットをすぐやめて居なくなる。”
  • 不可視ゲームと可視ゲーム。

    うにゃーが面白いと書かれていたので遊んでみたけど全然面白くない。 遊んでも、遊んでも、一体どこが面白いのかまったく見えてこない。 面白くない点ばかりが目に留まる。 いつからか、見たいと願うものはまったく見えないのに、 見たくないと思うものばかりが見えてしまうようになった。 良くない事。目が腐っているのだろう。 ゲームゲームゲームの話。 僕が生まれるよりも前、全てのゲームは可視ゲームだった。 ちょうど将棋や囲碁のように、可視化されたルールのもと、一目で全てを見渡せるだけの小さな世界の遊びが提供されていた。 その時代の流れの続きの中で、可視ゲームは長い間栄え続けた。 ドンキーコングでは、自分、敵、ラスボス、助けるべき姫、と全ての情報が1つの画面に詰め込まれ、一瞬で全てを見る事が出来た。スペースインベーダーでは、自機、敵の数、弾、スコア、防護壁といった全てを見る事が可能だったし、ドアドアもバ

    Re-KAm
    Re-KAm 2015/12/12
    おもしろかった
  • わーい、はてなブックマーク出来たよ-!

    明日の真性引き篭もりhankakueisuuこそが 最高の真性引き篭もりhankakueisuu。 そんな意味不明な思想を満たす為、そしてまた、古いエントリーの方が面白いという現実から逃避する為に、過去ログへのリンクすら決して貼らないブロガーだったのに、何の因果か、どういう風の吹き回しか、10日ほど前の真夜中に、「さくっとスクリプトを書いてはてブ数順の過去ログの一覧でも作ろう」と企て、目標期限を一週間後の18日の午前1時くらいに設定したところまでは良かったものの、主に僕の責任ではなく、なんとなく気が進まないとか、そういった完全に外部的な理由により、目標期限を4日もオーバーしてしまったのだけれど、日付変更線の向こう側はまだ、5月18日の午前1時だという事で、ちゃちゃっとスクリプト作って動かして、ぎりぎりセーフで間に合った。滑り込みセーフ。誰がなんと言おうと、今日は5月18日。はい論破。 ◆

    Re-KAm
    Re-KAm 2015/11/07
  • 生きる機械

    夢や目標のようなものはあるけれど、夢も目標もなくて、恋い焦がれるようなものはあるけれど、恋い焦がれるものはない。正しい人間という幻想の型に、自らの周りにある手頃な事象を投げ込んで、掌で押し固めれば自らが、まるで幻想の中にのみ存在する正しい人間のような形になる。形にはなれど、熱はない。形にはなれど、心はない。ああ、いやだいやだ、これこそが、まさにそれだ。僕には何も存在しないという自らの状況を書き記す事がブログであると勝手に決めたのではなく、ただ一日のうちの数時間をブログを書く事に費やす事がブロガーであると自分が勝手に決めたからというだけで捏造されるエントリー。ブログを書こう、ブログを書こうと考えながら、当に頭の中で考えているのは、おなかがすいたという事なのだ。おなかがすいたならばおなかがすいたと書くのが誠実さであり、おなかがすいたを巡る葛藤があるならばそれを書くのが自然なこと、おなかがすい

    Re-KAm
    Re-KAm 2015/09/15
  • 恐竜は、なんで、石を呑むの。それもう胃の中の石器時代やん。

    チンパンジーが石器時代に突入どうこうってのをインターネットで見かけたけれど、そんなものより草の恐竜が消化の為に石を丸呑みにしてた事の方がずっとやばいと思う。だいたい、石を呑もうと思いますか?思いませんよね。だって石ですもん。おいしくないですもん。しかも石を呑まないと消化出来なくて死ぬ。「石を呑むと消化出来なくて死ぬ」のではなく、石を呑まないと消化出来なくて死ぬ。石が生命線。石を呑む事が生きる道。なんで?おかしくない?普通石を呑もうとは思わないよ?なんで恐竜は石を呑むの?「それはね、胃の中で石同士を擦り合わせて植物を消化するためです」いや、だからそうじゃなくて、なんで石を呑むって決めたの?頭のおかしな恐竜だけが石を呑むんじゃないですよ。みんな呑むんですよ。草恐竜はみんな石を呑むの。おかしない?ブロントサウルスとか、直径50センチの石呑むんですよ。明らかにそれもう、石でしょう。草じゃないで

    Re-KAm
    Re-KAm 2015/09/05
  • GTDを始めようと思って10年が経過した

    自分の人生に嫌気が差して、ちょうどその頃話題になっていた、GTD(Getting Things Done)を2003年の今日始めようと思った。なので、今日でちょうど、10年になった。それから僕は、ただの一日も欠かすことなく、GTDを始めよう、始めようと、思い続けている。あの日を境にして、僕の生活は、僕の日常は、僕の人生は、全てがGTDを中心に回るようになった。 GTDを始めようと思ったからには、もちろん、聖典(はじめてのGTDストレスフリーの整理術)も買った。ネット上には「あれは読みづらい」だとか、「翻訳してる奴の英語力どころか日語力にも疑問符が付く」、あるいは「とてもではないが値段に見合った内容ではない」といったふうに、ネガティブな評価が溢れている。けれども、それら聖典に対するネット上の評判は全て間違いだ。完全な間違いだ。インターネットというのは、馬鹿と暇人で溢れている。お天道様の光の

    Re-KAm
    Re-KAm 2015/07/03
  • 無限の想像力とアストロンを組み合わせた全く新しい格闘技

    アストロンを唱えると、肉体はなにものをも受け付けない鉄の塊になる。 しかもアストロンは確定で先制発動する呪文である。 なにものをも受け付けないという最強の防御魔法であるにも関わらず、一切の詠唱は不要であり、唱えたいと願った瞬間に即時発動するのである。王国に至る三叉路を循環する必要もなければ、空の戒めを解き放つ必要もなく、結合する必要も反発する必要も地に満ちる必要も無く、また我が身を喰らいて力と成す必要もなく、テクマクをエッサイムする必要もなければ、ティラクルをラミカルする必要もないのだ。おまけに消費MPは僅かに3。その額なんとヒャド1発分。好きなときに好きなだけ唱えまくれるレベルである。そんなアストロンであるが、今現在世間でどのような使われ方をしているかというと、初見の敵の行動を確認する為や、経過ターンに応じて行動パターンが決まっているボスの対処し難いターンをスキップする為などに使われてい

    Re-KAm
    Re-KAm 2015/07/03
    すごい
  • 普通の女子大生は、Google+で「日本一」になんかなっちゃいない。

    僕は悲しい。とても悲しい。 インターネットで生じている事実が事実として伝えられない。 岡田有花なる人物の手により、全ての記憶が改変されてゆく。努力とか継続とかいう些細で美しい自己啓発と、インターネットという未来が生んだ魔法のブラックボックスにより、全ての事実は抹殺されてゆく。歴史は書き換えられ、僕達1人1人が真実の心を持って懸命に生きてきたインターネットが汚されてゆく。いや、浄化されて行く。美しいものへと。素晴らしいものへと。小さく儚い、それでいて強い美談へと改変されてゆく。 僕はそういった行為を許すことが出来ない。そういった言葉を許すことが出来ない。インターネットは血で有り、肉であり、尚かつ魂である。インターネットは人間の全てである。痛みを悲しみを欲望を絶望を感動を興奮を全ての感情と汗と涙を飲み込んで降り積もった真っ白で真っ黒な九龍城である。混沌である。魔窟である。昨日もそうだったし、今

    Re-KAm
    Re-KAm 2015/01/22
  • 真性引き篭もり

    凄まじいものを見た。 この世界の片隅にである。 開始3分で「苦手なタイプのアニメだ」と強く思った。 僕はアニメにおける暴力描写が苦手なのである。 作中で兄は妹を殴り、兄は妹を罵倒し、兄は妹の些細な希望を踏みにじり、兄は妹に苦役を課す。挙げ句、この物語の主人公であるすずはすずで、望遠鏡で人の頭を繰り返し殴る。こういうのが、僕は大嫌いなのだ。 私達の生きる世界が暴力に満ち溢れている以上、フィクションに暴力が存在するのは当然である。冴羽りょうが人を拳銃で撃ったり、リナが魔法で人を焼いたりといった暴力は、フィクションに必要な暴力描写である。 僕が嫌いなのはそういう暴力ではない。 人と人との親密さを現す為に用いられる暴力だ。 アニメというカルチャーにおいて、暴力は親密さを現すための記号として用いられる。兄が妹を殴るのは、兄と妹が親密な関係だからだし、冴羽りょうが100tハンマーで殴られるのは槇村香と

    Re-KAm
    Re-KAm 2015/01/22
  • 1