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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (6)

  • 子どもが惰性でゲームやるとか、ないわー - シロクマの屑籠

    先日、Books&Appsさんに「惰性でゲームを遊ぶような姿は子どもにみせないし、子どもがダラダラ惰性でゲームやっていたら止める」みたいな記事を投稿しました。 そしたらtwitter側にたくさんのご批判が集まって、うわーマジかー、と思いました。 「惰性でゲームを遊べないのは地獄」「カジュアルゲームをないがしろにしている」といったご批判が結構あったのです。 私は、そこらのおじさんおばさんが通勤電車のなかで暇つぶしとしてゲームをやるのは否定しませんし、例えば、ソーシャルゲームのデイリーミッションに集中力を割いてもしようがあるまいと思っています。 しかし、子どもが「暇つぶしとして、惰性で」ゲームを遊ぶことには、やはり不自然で不健康な印象を禁じ得ません。ゲームに限ったことではなく、子どもが遊びを「暇つぶしとして、惰性で」遊ぶこと自体が、望ましくないし、なんだか不自然なことのように思えるんですよ。

    子どもが惰性でゲームやるとか、ないわー - シロクマの屑籠
    Re-KAm
    Re-KAm 2016/09/07
    この人の文章、この人の願望だったり価値観を、さも正当性があるかのように見せかけるの上手だよな。見るたびにイライラしてしまう。
  • 「はてな村」を変えた『はてな村奇譚』 - シロクマの屑籠

    私がはてな村村民として認められていないと思う3つの理由 - orangestarの雑記 なんか、私の手許にジグソーパズルのピースが揃ってしまったので、『はてな村奇譚』が果たした歴史的役割について一村民として意見を述べます。興味のある人だけ読んでやってください。 はてな村奇譚上 作者: 小島アジコ発売日: 2015/08/20メディア: Kindle版この商品を含むブログ (1件) を見るはてな村奇譚下 作者: 小島アジコ発売日: 2015/08/20メディア: Kindle版この商品を含むブログ (1件) を見る 私が新参だった、十年前の「はてな村」の記憶からお話しましょう。 もともと私はウェブサイトでオタクの社会適応について文章を書いていましたが、はてなブックマークが実装された2005年頃から「はてな村」方面から批判されるようになりました。「非モテ vs 脱オタ」論争に巻き込まれていった

    「はてな村」を変えた『はてな村奇譚』 - シロクマの屑籠
    Re-KAm
    Re-KAm 2015/10/08
    いい話っぽい。ほんとにいい話なのかはよくわからない
  • 「強さ」や「用心」がなければ「自由なネット」は成立しない - シロクマの屑籠

    はてな村で、ようやく自由になれたと思ったら、周りには誰もいなくなっていた。 - いつか電池がきれるまで id:fujiponさんへ。 リンク先、拝読しました。私は、fujiponさんは「はてな村」の古参とおぼしき複数のアカウントに嫌悪感を持っていらっしゃると推察しています。だから、リンク先の仰りようはある程度納得できますし、実際、fujiponさんのはてなダイアリーに否定的なブックマークコメントが大挙し、はてなスターが飛び交っていたことも記憶しています。 私自身、fujiponさんのはてなダイアリー記事に「これはナイーブだ」「ネット娑婆世界に対する甘い識見だ」的なコメントをつけたことがあるので、ひょっとしたら、fujiponさんに「グルになったはてな村の連中のひとり」という印象を与えていたかもしれません。 でも、実際に「グルになったはてな村の連中」はどれぐらいいたのでしょうか? 私も、日常

    「強さ」や「用心」がなければ「自由なネット」は成立しない - シロクマの屑籠
    Re-KAm
    Re-KAm 2015/10/05
  • 「書かされている」人々 - シロクマの屑籠

    ネットのみなさん、当にたくさん文章をお書きになりますね。 SNSLINEはいつも大盛況で、ブログも新しい書き手がたえません。「小説家になろう」みたいな場所や動画配信なども含め、大勢の人が表現に時間を費やしています。 みなさん、そんなに「書きたい」んですか? そこまで頑張ってアウトプットして、友達や見ず知らずの人のリアクションを得たいのでしょうか? いつでもどこでもフリック入力に熱をあげ、信じがたい数の人々が文章や動画のアウトプットに入れ込んでいるのを眺めていると、なにか、正気の沙汰ではないような気がするんですよ。なにかを書きたくてたまらない人が存在するのはわかるし、10人に1人ぐらいいたって不思議じゃありませんよ?でも今の世の中はそうじゃなくて、誰も彼もがPCやスマホを使って「書いて」いるんです。SNSLINEに矢継ぎ早にポストしている人、ブログやfacebookによそ向けのテキスト

    「書かされている」人々 - シロクマの屑籠
  • きっと、スマホ的感性の時代がやって来る - シロクマの屑籠

    近頃の通勤風景を眺めていると、新聞を読んでいるのは四十代より上ばかり。雑誌を手にしている人も珍しくなりました。 三十代より下の男女が手にしているのはもっぱらスマホです。ゲームもスマホ。小説もスマホ。音楽もアニメもスマホ……。あらゆるサブカルチャーコンテンツをスマホで楽しんでいる景色を目にします。 そういう風景を眺めていて思うんですよ。「ああ、将来のサブカルチャーは、こうやってスマホを覗き込んでいる人達と、その感性に牽引されていくんだろうなぁ」と。 若い頃にどんなメディアに親しんでいたのか・どんなメディアでサブカルチャーを愛好していたのか――これって、すごく重要だと思うんです。20世紀に各ジャンルの漫画が円熟を迎えられたのは、それぞれの初期の名作に親しんで育った人達がいればこそ。アニメやゲームにしても、80〜90年代に一生懸命にテレビにかじりついていた人が沢山いたから、クリエイター側にも“パ

    きっと、スマホ的感性の時代がやって来る - シロクマの屑籠
    Re-KAm
    Re-KAm 2015/03/04
    スマホを使い始めてから、コンテンツとの接し方が断片的になったように思える
  • シロクマの屑籠

    anond.hatelabo.jp 「郊外都市には文化が無い」、というタイトルの文章がはてな匿名ダイアリーを読んだ。 タイトルが、なんだか大きな釣り針だ。ただし、この名古屋近郊に住んでいる筆者はあるていど誠実だ。というのも、 この街の文化と呼べるものに触れ合った記憶が無い。 生まれも育ちもここなのに郷土史とか一切知らねえ。 名古屋やその近郊に文化が無いと言い切っているのでなく、名古屋やその近郊の文化を自分は知らない、と書いているからだ。 たとえば自宅と職場とショッピングモールだけを往復している生活をしていたら、自分の暮らしている場所の文化についてロクに知らないこともあるだろう。交通網が発達し、地域共同体への依存度が低いニュータウンで暮らしていれば尚更だ。 それについて、名古屋を街歩きした時を思い出しながらちょっと書いてみる。 名古屋近郊の住宅地には文化が[無い|ある] まず、名古屋近郊のg

    シロクマの屑籠
    Re-KAm
    Re-KAm 2015/02/06
    趣味は人間観察を突き詰めていくと、こうなるのかもしれない
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