血(縁)、女(性)、家(族)。アルモドバルの映画の基調をなすこれらの要素は、今作においても欠けてはいない。むしろ、盟友カルメン・マウラとペネロペ・クルスの母子関係を軸に、徹底して「男」を排除した家系図を描き出すこの映画は、『オール・アバウト・マイ・マザー』(1999)や『トーク・トゥー・ハー』(2002)などよりもはるかに過激な仕方で上記の三項(血/女/家)を結びつけているようにすら見える。けれどもそれ以上に、この『ボルベール』は「幽霊」の映画であり「回帰」の映画である。ひと言でそれを「ルヴナン(revenant)」──すなわち、「幽霊」にして「回帰するもの」──の映画、と言い換えてもいい。そもそもこの『ボルベール』というタイトルは第一義的に「帰ること」を意味するスペイン語の動詞にほかならないが、これをアルモドバル自身の故郷でもあるラ・マンチャ地方への「帰郷(volver)」としてのみ理解
グラム・ロッカーやドラッグ・クイーンの闊歩するマドリッドの夜の世界から現れたペドロ・アルモドバルは、1980年の長篇デビュー以後あっという間に「ポスト‐フランコ、ポストモダン」*[1]のスペインを代表する映画作家となった。そのアルモドバルの新作『オール・アバウト・マイ・マザー』――作品中で『イブの総て』が引用されるのだから『母の総て』と訳すべきではなかったか――は、ほとんど非の打ち所のない完成されたメロドラマである。『バチ当たり修道院の最期』(何という邦題だろう!)や『欲望の法則』のような旧作に見られた変態(クイアー)性が薄れたのを嘆く声がないわけでもない。その代わりに、観客すべてを楽しませようというサーヴィス精神に満ち、それを磨き抜かれたテクニックとセンスで実現してみせたこの新作は、映画が大衆芸術であるかぎりにおいて到達し得る最高の水準を軽々とクリアしている。去年のカンヌ映画祭でも一番人
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