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2018年9月30日のブックマーク (2件)

  • 「樹木希林さんはギャラ求めず、取材中の食事代まで払ってくれた」不登校新聞編集長が明かす (1/7) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

    樹木希林さん(不登校新聞提供)この記事の写真をすべて見る 樹木希林さん(不登校新聞提供) 30日に告別式が行われる女優・樹木希林さん。その生き様や口にしてきた言葉がこれほど胸に響くのはなぜなのだろう。10代、20代の不登校・ひきこもり当事者とともに、樹木さんに3時間のインタビューをした『不登校新聞』の編集長・石井志昂さんが追悼の思いを込めてつづる。 *  *  * 「人生でずっと励ましになるだろう言葉の数々でした」 女優・樹木希林さんのインタビュー記事を『不登校新聞』に掲載した直後、読者の方からそんな感想をいただきました。 私たちが樹木希林さんに取材をしたのは2014年7月24日。がんを克服するのではなく「引き受けていく」という樹木さんの死生観は、きっと不登校やひきこもりなど、生きづらい私たちに響くものがあるのではないか、と思い取材をお願いしました。 取材までのやり取りも、樹木さんは噂どお

    「樹木希林さんはギャラ求めず、取材中の食事代まで払ってくれた」不登校新聞編集長が明かす (1/7) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)
  • 9月末で60歳定年退職しました - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    当社の規定により満60歳で定年退職をした。長いようで短かった会社員生活も一区切りだ。自分のプログラマとしての会社員生活を振り返ってみる。無駄に長いし結論はないのでお忙しい人は飛ばして欲しい。 9月末なのでブログ界隈では退職エントリーがそこかしこに書かれると思うが、その中で自分の退職エントリーを連ねることにどれほどの意味があろうか。もちろんないのだが、それでも多くの書き手の年齢を考えると満60歳定年退職というところに若干の希少価値を見出せなくもない。 1984年に大学院修了して以来、プログラマとしてのキャリアを重ねてきた。大学時代の同期でプログラマとして就職したものは皆無だ。当時、工学部の同期はメーカーに就職するのがほとんどで、大手家電メーカー、自動車メーカー、電力会社などなど、当時の誰でも名前を知っている人気企業に就職するものが大半だった。 その中で、日ディジタルイクイップメント(DEC

    9月末で60歳定年退職しました - 未来のいつか/hyoshiokの日記