ブックマーク / asagiri1.hatenablog.com (13)

  • 再開と文章を書くことについて - 物語好きのブログ

    しばらくの間諸事情が重なりブログから離れていた。やっと落ち着いてきたということもあり、継続を再開しようと思う。今回は書けなかった憤を晴らしていきたい。 離れていたとはいうものの、心のどこかにブログで文章を書きたい意識があった。頭の中で文面を展開し推敲を重ね、忘れたころにまた同じような文章を構成している自分がいた。 最近までは誰かの指示、あるいは目に見えぬ流れに突き動かされ、ブログ外での文章を書くことが増えて少し嫌気がさしていた。それはそれで受け入れてはいるはずなのだが、どこか「自由」からかけ離れている感覚が脳裏に影を潜めているのだ。 一応、ブログを書き始めて少ししてから日記も書いてはいる。しかし日記だけではあまり満足がいかない。ブログと日記とで少し楽しみ方が変わるからだ。 日記ではどちらかといえば自分の抱くかなり強い苦しみや、ネガティブな感情を主に書き、ブログではどちらかといえば少しだけ

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    SIRUHA
    SIRUHA 2015/08/09
  • スマートフォンを使うスマートではない人 - 物語好きのブログ

    人間は自ら作り出した道具の道具になってしまった 作家のヘンリー・デイヴィッド・ソローが残した言葉が最近になって、身にしみる。 スマートフォンの普及により、多くの人がかんたんにインターネットとつながれるようになった。 今ではグーグル会長のエリック・シュミットが発言した「インターネットは消える運命にある」の真意がなんとなく僕にもわかりつつある。 ことわざに「灯台下暗し」とあるが、同様の状況になるのだろう。 あまりにも身近にありすぎてインターネットそのものが盲点となり、世界から溶けて消えていくのだ。 スマートフォンは便利だが危険でもある。なぜなら、人と話すのに疲れたら電脳の世界に逃げることができるからだ。 僕の友人の中に、僕と話していたり遊んでいたりしても絶対にスマホを触らないやつがいる。その友人は僕のことを思ってくれているのか、ただスマホに興味がないのかはわからないが、僕の中では共に過ごす時間

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    SIRUHA
    SIRUHA 2015/06/16
  • ブログを始めて半年が経過した - 物語好きのブログ

    半年が経過した。ものすごく嬉しい。 ブログを始めた当初は正直ここまで継続できるとは思っておらず、できて数ヶ月、最悪1週間くらいとタカをくくっていた。 どういったわけかもう半年だ。継続できる要因として更新ペースがまったりしているのも要因にはあると思う。書きたいときに書き始められ、終わりたいと思えばいつでも終わらせることができる自由さが、僕には合っていた。誰かの指示でやらされていたのなら、とうの昔に終わっていただろう。 誰かからの反応があったのも継続できている要因に入る。 他のブログさんにも書いてあったが、アクセス数云々より、純粋なコメント、はてなスター、コメントつきのブックマークのほうが嬉しさがあった。おそらく、そこに「人」が感じられるからだろう。当分先の予定にはなると思うがアクセス数も気にしながらやっていくつもりもある。今は好きなように書かせてもらうが。 考えていること 記事をストックしよ

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    SIRUHA 2015/06/03
  • 言葉と人 - 物語好きのブログ

    「君の伝えたいことはわかる。理解できる」 この言葉にどれほどの真意があるのだろうか僕には疑問だった。 そういった「言葉と人」についての関連と考えを、少し書きたくなったので書いておこうと思う。 「なぜ人は自分の考えを理解してくれないのか」 おそらく大抵の人はそんな思いを抱いたことがあるはずだ。 相手に理解してもらうためにどれだけ言葉を尽くそうとも、相手には決してとどかない虚しさ。 逆に相手が伝えたかった内容が自分には伝わっていないというのもよくある話で、また自分にとっては伝わっていると思っても、それを間違った意味として受け取り誤った解釈を引き起こしているというのもよくある。言葉というのは必ずといっていいほど誤って伝わってしまう。 人と人がなぜわかりあえないのか―――理由は様々だとは思うが、一つに言葉に混じる「ノイズ」が関連している。 言葉は不完全だ。どれだけ懇切丁寧に言葉を尽くそうとも、相手

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    SIRUHA
    SIRUHA 2015/05/25
  • 世界と言葉 - 物語好きのブログ

    しばらく悩んでいた。自分の「感想という名の世界」を言葉にしていいのかという問題に。 一つ前の記事でも少し書いたが、作品の感想をそのまま言葉で表すことはできない。表現には限界があり、どう足掻いてもそれは分離され、独立する。 その現状―――自分が感じている感想と言葉とが、まったく同一ではない形状をしているのが悩ましかったのだ。 心の中にある感想の世界に形はなく、配列や方向性すら定まっていない霧のようなものだ。それは何も定まっていないが故に自由で、創造的ですらある。 言葉で表現される文章は違う。そこには一連の流れと語句の連なりが形としてたしかに存在している。さらにいえば、文章は流れる方向が一つだ。逆から読んでもそれは文章としてはまず成立しない。 言葉にするというのは、定義をしてしまうことだと思う。境界を作り、区切ってしまう行為だ。 こうして考えると文章がもつ自由度というものは小さい。 だから僕は

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    SIRUHA 2015/05/18
  • 自然の美しさと川の流れ「リバー・ランズ・スルー・イット」 感想 - 物語好きのブログ

    雨が地を固めやがて岩になった。それは五億年も前のことだ。 だがその前から岩の下には―――神の言葉があった 自然と芸術。それらは互いに相互しあい、限りない神秘を形成する。描かれるのは「完成されたものの美」だ。どこまでも美しく、永遠に消えぬ安心を与えてくれる。そこでは不変であるノスタルジックな幻想が人々を癒す。 しかし、人の世は芸術ではなく、永遠の命を持つことはない。 作「リバー・ランズ・スルー・イット」はそういった情感、感慨を抱かせる作品だった。いわゆる「エンターテイメント」性のある映画ではない。描かれるのは自然と調和。そしてその中を緩やかに流れ行く「川」である。 あらすじ 舞台は1920年代のアメリカにあるモンタナ。信念や性格、思考もまるで対照的な兄弟である兄のノーマンと弟のポールが牧師である父からフライフィッシングを通じて自然の偉大なる「川」と共に成長していく。 感想 どの作品にしたっ

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    SIRUHA 2015/05/11
  • 元祖怪獣酒場にいってきたので感想を書く - 物語好きのブログ

    ゴールデンウィークということもあり、友人3人と元祖怪獣酒場にいってきた。この怪獣酒場、普通の酒場とは違った趣向となっている。 実はウルトラマンに出てくる怪獣が集まる(という設定の)酒場なのだ。なかなかにカオスな空間だった。僕自身、怪獣についての知識が皆無に等しく、楽しめるのか不安だった。しかし、どこか昭和の良い雰囲気が店内に満ちていて今とは違う時代の雰囲気を存分に楽しめた。従業員のノリ(悪役の設定)もなかなかに面白く存分に楽しめて、なおかつ料理も美味しかった。 写真をブログに掲載していいとの許可をいただいたので、紹介も兼ねつつ日記として記録する。 (写真が上手に撮れていなかったので、そこは許してほしい) 僕の行った場所は大阪の難波のなんばグランド花月1Fにある。 店内 まず店内に入るには条件があった。 それは「怪獣の心」を持っているかどうかである。 もちろん僕たちは「怪獣の心」を持っていた

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    SIRUHA 2015/05/10
  • 走る - 物語好きのブログ

    神戸マラソンと大阪マラソンに応募した。 昨年の神戸マラソンに参加して以来、走ることに病み付きになっている。 昨年のフルマラソンは練習不足により酷い目にあった。完走はできたものの脚が3日間ほどまともに動かせなかったのが辛い。 しかし、走るのは楽しかった。 沿道からの温かい応援。どこまでも広がっていく爽やかな景色。呼吸はちっとも整わなかったし、脚は前に動かせなかった。それでも、いつまでも走り続けたいと強く願っていた。 またあの場所で走りたい。そう願うのは必然といっていいだろう。 当選確率は低いけれどもとりあえず二つ応募することにした。まあ当選しなくともどこかで走るのは決定事項のようなものなので、昨年の冬からそれなりにトレーニングに励んでいる。今日も10kmほど河川敷で走ってきた。心地良い。 目標タイムはこれといって決めてないんだけれども、サブ4あたりを達成できたらいいなと少し思っている。 走る

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    SIRUHA 2015/04/24
  • この桜をあと何回見ることができるだろうか - 物語好きのブログ

    「この桜をあと何回見ることができるだろうか」 桜の季節を迎えるたびに、何度もその想いが胸を貫く。 僕はこの景色の美しさを、どこまで追い続けることができるのだろうかと。 うららかな風に誘われるまま、僕は河川敷の斜面にゴロンと寝転んで、ずっと一人で桜を見ていた。「一人花見」である。 僕はこの「一人花見」を毎年やっている。 これがけっこう好きなのだ。友人にそう話すと「寂しいやつだな」と言われる。だけど、僕はその「寂しいやつ」を好んでやっているのだ。 もちろん、友達や知り合いと大勢で騒ぐ花見も好きだ。酒を飲み肩を組んで歌い、ワイワイと騒ぐ。それはそれで楽しい。しかし、どこか違和感を覚えているのも事実だ。 僕は思うのだ。大勢で騒ぐのは、寂しさを誤魔化すのと同時に、桜の美しさも誤魔化しているのではないかと。 だから一人で花見をするのにもそれなりの理由がある。 僕が「一人花見」をするのは、そこに確かな「

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    SIRUHA 2015/04/16
  • この曲を本気で聞いた者は悪人になれない「善き人のためのソナタ」 感想 - 物語好きのブログ

    「この曲を気で聞いた者は悪人になれない」このキャッチコピーが作の全てを物語っている。 舞台は社会主義がまだ浸透していた旧東ドイツとなる。現代の日とは異質かもしれない。しかし、そこに描かれていたのはどこの世界でも変わることのない人間の姿だ。社会に抑圧された人間が生み出す一つのドラマだ。 僕の中で作は傑作だった。というかかなり好みであった。 あらすじ 1984年の東ベルリン。国家保安省のヴィースラーは反体制の劇作家ドライマンと同棲相手の舞台女優クリスタを監視するように命じられる。ヴィースラーはドライマンの住むアパートに盗聴器を仕掛けた。しかし、ヴィースラーは盗聴器から聴こえてくる世界に、心が激しく揺れ動く。 感想 冒頭で描かれるヴィースラーはまさに「冷酷無比」の言葉がふさわしい。彼は教室で学生達に尋問のやりかたを教えるのだがその授業内容がえげつない。実際に行われた尋問のテープを流しなが

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    SIRUHA 2015/04/15
  • 生きるとは、物語を書くこと - 物語好きのブログ

    人は誰もが生きている上で物語を書いている。この「書く」という行為は決してペンで記述したりキーボードを打鍵するという意味ではない。 それは「日々を積み重ねていくこと」。笑い、楽しみ、怒り、悔しさや悲しみに涙し、喜びに心震わせる。そんな小さな日常。その時点でもう同じなんじゃないかと、物語を書いているんじゃないかと、僕はそう思うのだ。 そのありがたみがさも当然のようにあるから、それがとても大事な価値であることに気づいていない人もいる。失ってみて初めてその価値がわかるのだと理解していても、大事な価値に目を向けないのだ。 たしかに、日々を積み重ねていく行為が辛くて苦しいと感じるときもある。この世界では楽しいことなどなく、目新しい変化などなく、決められた時刻の電車に乗って、いつもと同じ日常を過ごし、変化がないまま自宅に帰る。ただ同じ日常の繰り返しでそこに意味を見出せないままだったり、あるいは人とは違う

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    SIRUHA 2015/04/13
  • 終わらない二月二日「恋はデジャ・ブ」 感想 - 物語好きのブログ

    「恋はデジャ・ブ」というタイトルだけ読むとただのラブコメものだと予想してしまいそうだ。しかし、作はタイムループものでもある。超面白かった。 不可思議な現象によって同じ日を繰り返すことになった主人公フィルが、自分を見つめなおし自分を変えていく物語。 カテゴリーで分類するのであればラブコメではある。だが作はそんなカテゴリーを軽々と凌駕し、観ている者に様々な問いかけを突きつける。それでありながら夢を与える内容となっており、素晴らしいの一言。 この映画が楽しめるのならば「ミッション:8ミニッツ」も間違いなく面白いのでオススメしておく。 あらすじ 気象予報士のフィルは同僚でありヒロインのリタと、もう一人の同僚ラリーと共に二月二日に行われる「グラウンドホッグデー」を取材するため田舎町に滞在することになった。フィルはそこでタイムループ現象に巻き込まれることになる。 感想 安定したストーリー展開で純粋

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    SIRUHA
    SIRUHA 2015/04/09
  • 物語について - 物語好きのブログ

    過去に書かれた僕の映画小説の感想を読んでみると、僕が「物語」に求めているものが何なのわかってきた。僕が「物語」に託そうとしていることが少しづつ浮かび上がってきたともいえる。 託そうとしているものは「潤い」だ。 つまるところ、僕は自分自身の空洞を「物語」で埋めたがっている。ようするに、自分に持っていないものを虚構に委ねているように見えたのだ。現実の世界で体験することができないモノ。それがなんであれ、伽藍洞な自分を埋めたがっている、隠したがっている。自分が「空虚」なんだと自分で理解してしまわないように。空虚な自分に卑屈になってしまわないように。 物語の世界はどんな人間でも逃げこむことができる素晴らしい世界だ。現実と虚構の狭間に広がる無限の世界。それは今もなお、僕を現実に繋ぎとめてくれている。 だが物語を求め続けても僕は決して潤うことはない。潤すことができようともそれは一時的なものであって、し

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