撮影:平尾健太郎 実は美術関係者が特に驚いているのだ。現役バリバリどころか世界のトップレベルで活躍しているアーティストが10年ほどの間にこれだけのコレクションを築けるものなのかと。村上の作品には興味がないとか、村上の作品のどこがいいのかわからないとまで言っているアンチたちも「あのコレクションは確かにスゴい」と認めざるをえない様子だ。 しかもジャンルは、古美術では絵画も彫刻も陶芸も。現代美術作品は日本人作家、海外作家問わず。現代陶芸の作家には支援者的な立場で接し作品を集めている。さらにアンティーク家具や古道具がある。たとえば古雑巾、使い込まれたコーヒーフィルターなど。 日本国内での大規模個展は現在、森美術館で開催中の「村上隆の五百羅漢展」が2001年の東京都現代美術館での「召喚するかドアを開けるか回復するか全滅するか」以来14年ぶりなのだがその間、むしろ彼の活躍は世界に目を向けた目覚ましいも
Inc.:文章をもっと速く読めたらいいのにと思うのはもっともなことです。本を全部読んでしまう前にその本の優れた推薦文が発表されてしまうからというだけでなく、大成功をおさめた人たちの多くが、立派な人間になる確実な道は、熱心な読書家になることだと主張しているからです。 しかし速読ができれば、多忙な生活の中でも読書量を増やせると期待しないでください。それは現実世界ではほとんど超能力に近い感じがしますが、悲しいかな、最新科学によれば、不可能であることがわかっています。 これは、速読に関する科学を包括的に考察した結果導き出された結論であり、最近『Psychological Science in the Public Interest』誌に発表されました。研究チームは、信じられないほど速く文章を読めるようになると標榜しているテクニックやアプリに焦点を当てて、何十年にもわたり研究を続けてきましたが、残念
※キャンペーンは終了しました。たくさんのご応募、ありがとうございました。 第2回の「私とブログ」お話を伺うのは、ブロガーで作家の寺地はるな (id:haruna0109) さんです。独特の文体で多くの読者から支持されている「悩みは特にありません。」をはてなブログで書き始めたのは2014年の3月。同年の12月に小説「ビオレタ」で第四回「ポプラ社小説新人賞」を受賞し、2015年6月には同作の単行本が発売され、小説家としてデビューしました。 小説家になったあとも「生活は変わらない」と話し、仕事と育児を両立しながら、空いた時間でコツコツと小説とブログを書き続けています。今回のインタビューでは、ブログを始めたきっかけや、文章を書く際に意識していることなどを話してくれました。 また本記事では、2月に発売された寺地さん2冊目の単行本『ミナトホテルの裏庭には』のサイン本プレゼントを実施します。応募方法は記
「美人すぎる学者」としてちまたで評判の気鋭の脳科学者、中野信子先生(写真)に取材でお目に掛かる機会があった。最新の脳科学の知見で説明できる人間の摩訶不思議について、いろんなお話を伺ったのだが、興味深かったのは「日本人らしさ」が脳科学的にある程度説明できるという仮説だった。中でも日本の「ネットの炎上」がなぜ、あんな風になるかという説明が面白かったのでご紹介したい。 2008年東大院博士課程修了。フランス国立研究所を経て、13年から横浜市立大学客員准教授、東日本国際大学教授。「脳内麻薬 人間を支配する快楽物質ドーパミンの正体」(幻冬舎)など著書多数。最新刊は中野 剛志氏、 適菜 収氏との共著「脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克」(文藝春秋) ネットサーフィン(死語?)をしていると、あちこちでいわゆる「炎上」を目にする。今年に入ってからも、某タレントの恋愛とか国民的アイドルグループの解
社会のひずみ 両親とも出稼ぎに出て取り残された「留守児童」は、保護者不在のなか近所の大人から性的暴行の被害を受けたり、あるいは勉強に身が入らず退学してチンピラに身をやつしたりと、大きな問題になっている REUTERS 今や世界的な映画監督となった中国のチャン・イーモウだが、その初期作品は『紅いコーリャン』『菊豆(チュイトウ)』『あの子を探して』など農村を舞台にした作品が多い。貧しく、もの悲しい光景に胸を打たれた人も多いのではないか。 中国農村は今、どうなっているのか。百年一日のごとく変わらぬ顔を持つ一方で、ステレオタイプのイメージとは異なる姿も存在する。 【参考記事】農民がショベルカーを「土砲」で攻撃する社会 都市住民の琴線に触れる「農村残酷物語」 2016年2月8日の旧正月当日、あるネット掲示板のスレッドが爆発的な話題となった。書き込み主は上海人の女性。農村出身の男性とつきあっているが、
文/岡本亮輔(北海道大学准教授) 「特徴のなさ」が特徴の世界文化遺産 沖縄県南城市に「斎場御嶽(せーふぁうたき)」という場所がある。御嶽とは琉球の宗教伝統で「聖地」を指す言葉だ。斎場御嶽は歴代の王が巡礼した琉球王国最高の聖地である。2000年11月には沖縄県内の首里城などの城跡と共に世界文化遺産に登録された。 斎場御嶽があるのは、那覇から車で40分ほどかかる南城市だ。決して行きやすい場所ではないが、観光客が増えたため、現在では500メートルほど離れた地域物産館に駐車場が整備された。観光客は物産館にある券売機で200円払ってチケットを購入する。 さて、駐車場から10分ほど歩けば御嶽に着くが、すぐに入場というわけにはいかない。南城市観光協会のスタッフにうながされ、御嶽の入口に作られた建物で、すべての観光客が御嶽の歴史と観光にあたっての注意点をまとめた短いビデオを見せられる。 御嶽は聖地と言った
土と生きる豊かな暮らしは、あの日、一変した。福島県須賀川市で農業を営む樽川和也さんは、東京電力福島第一原発の事故後まもなく父親を自死により失った。田畑も放射能で汚染された。東京で20日公開のドキュメンタリー映画「大地を受け継ぐ」で苦悩を訴えている。もう取り戻せない、償うことなどできない現実を聞いた。 ――事故から5年。いまの状況を教えてください。 「放射能は、こっちの中通りにも降りました。田んぼも畑もビニールハウスも、みんなやられて、うぢらは職場を汚染されたんです。だけど、東電は資産への賠償をしたわけでもねえ、放射能を取り除いたわけでもねえ。ただ、5年の月日が流れただけ。たーだ被害かぶって苦しんで、うぢらはいったい、なあんなのって」 「精神的な慰謝料として事故の年に8万円、翌年に4万円はもらいましたよ。ただ、それだけ。12万円で、あとはもう黙ってろ、自然に放射能さがんの待ってろっつうことで
東京電力福島第一原発事故で全住民が避難している福島県浪江町は、再び事故が起きた場合、国が定めた避難指示を出す放射線量の値より低くても町の判断で避難指示できるとする避難計画案をまとめた。隣接する南相馬市も国の避難指示前に避難指示を出せる計画を作った。福島県も両自治体の意向を尊重する。国の指針通りの計画ではうまく避難できない可能性があると判断した。 福島の事故後、国は原子力災害対策指針を改定。福島第一、第二原発を含む各原発30キロ圏にある135市町村に対し、指針に基づいて新たに避難計画を作るよう求めた。 指針は、原発で大事故が起きた場合の対応として、5キロ圏はすぐに避難する一方、浪江町のような5~30キロ圏は、まず屋内退避する。毎時500マイクロシーベルトに達したら数時間以内に避難し、毎時20マイクロシーベルトでも1日以上続いた場合は1週間以内に避難することを求めている。高齢者らは避難する方が
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