タグ

ブックマーク / koyasu.jugem.jp (2)

  • 教師力?何だろ | KOYASUamBLOG2

    「教師力」というこれまた、分けのわからない「力」が各所で使われるようになってしまった。おそらく、「人間力」のアナロジーで使われ出しているのだと思う。 そこで気になるのが、尾木直樹の『教師格差』で使われている教師力。 まず、こののタイトルの「教師格差」という意味が不明だ。 17ページにその意味の規定に近いらしいことが書いてある。 「授業力やコミュニケーション能力、社会的常識の低い”ダメ教師”も増えている現実を思うと、心が痛みます。中略。多くのすぐれた教師たちが、情熱をもって子どもたちの教育にあたる一方、”教師崩壊”も進行するーーこれは、もう”教師格差”の出現と言えるのではないでしょうか」 「教師崩壊」という言葉も意味不明だがともかく、授業を展開する力に差があったのは以前からのことで、改めてそれを「教師格差」と言われると、「格差社会」という流行言葉にのっただけの煽りの言葉に見える。 「ダメ教

    教師力?何だろ | KOYASUamBLOG2
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/06/25
    塾の講師と学校の先生の比較というのは面白そうだ。塾も場所に寄るかもしれないけれど勉強だけのところというわけでもないようです。
  • 枠内の科学主義 | KOYASUamBLOG2

    学問の世界にも科学主義がある。学問の世界で科学主義はいいことだと思う人がいるかもしれないが、学問の社会性という視野を欠いているので、その見地は汚染されているとみるのが普通の見方だ。 同様に、教育にもその見地をほとんどそのまま引き継いだ科学主義がある。これはいろんな形で現れる。日は、その一つについて。 育と称する教育が推進されている。そこで、農文協が育の試みに補助金を出す制度がある。学生がこの応募書類を持ってきた。 その説明やこれに応募する側に、典型的な科学主義がある。 物の栄養バランスを子どもに教えるプログラムを考えることになっている。 あくまで、三バランスよくべる栄養学的な根拠を教える、それだけなのだ。 品の安全性、不規則な事となる社会的原因、料生産が環境破壊をもたらしていることなどは、視野の外に置かれている。だから、リアリティに欠ける学習となる。 すると、最後は、上記

    枠内の科学主義 | KOYASUamBLOG2
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/05/15
    うむ、あれだ。子守唄を歌って等々の現実離れしたあれ思い出しました。
  • 1