丸一日、一緒にいるとものすごく疲れる。なんかおかしいのかな。一生一人で生きていくわけにもいかないしな。他人と一緒に過ごす時間が多い人は超人じゃないか。 大人になればそういう超人になれるかと思っていたが、いつまで経ってもなれないもんだな。疲れるというか体に違和感が張り付く感じ。別人の服を着ているようだ。 さらに一日かけてゲームとネットで違和感を回復する。
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丸一日、一緒にいるとものすごく疲れる。なんかおかしいのかな。一生一人で生きていくわけにもいかないしな。他人と一緒に過ごす時間が多い人は超人じゃないか。 大人になればそういう超人になれるかと思っていたが、いつまで経ってもなれないもんだな。疲れるというか体に違和感が張り付く感じ。別人の服を着ているようだ。 さらに一日かけてゲームとネットで違和感を回復する。
これは面白そう。読まねば。 でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相 作者: 福田ますみ出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2007/01/17メディア: 単行本購入: 3人 クリック: 175回この商品を含むブログ (48件) を見る→★『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』(福田ますみ 著新潮社/1,470円)【→bk1】【→amazon】 クレーマー保護者の虚言によって、彼は史上最悪のいじめ教師に仕立てられた。 「早く死ね、自分で死ね!」 2003年6月、全国ではじめて「教師によるいじめ」と認定される事件が福岡で起こった。問題の小学校教師は、担当児童を自殺強要や暴力でPTSDによる長期入院に追い込んだとされ、「殺人教師」とまで報じられた。 だが後に、一連の事実は、児童両親によるでっちあげだったことが明らかになる──。 子供は善、教師は悪という単純な二元論的思考に陥り、550人もの大
最近、友人たちとの距離感が分かりづらい。あらゆるヲタ話がネタとしてしか扱われないことが、僕の中で妙に引っかかってる感じ。しかし、友人たちの立場の方が賢い、というか楽しいだろうし、僕も実際ごく一部を除いては、これまでずっと乗ってきたし、それで僕も楽しかった。そんな中でも、自分の中で大事にしておきたいな、という感じのヲタ方面の作品があって、そしてそれを僕が好きなことは皆知っているもんだから、僕が話に絡むと、大概そっちに行ってしまう。カラオケに行っても、「あれの歌、歌えよー」などと言われたりするのだが、その結果が嘲笑だと分かるから、とても辛い。その辛い気持ちがもうどんどん膨らんで、こないだなんか、飲みに誘われたのに、そして参加したくせに、ろくに喋ることもできなかった。カラオケにも行ったけど、一曲も歌わなかった。 ここまでくると、ただ単に合ってないだけなのかな、とも思うが、どいつもこいつも個人とし
1. 「異説・日本経済―通説の誤謬を撃つ」は1992年に日本経済新聞社より刊行されたインタビュー集。よくわからない主張がたくさん並ぶ中、ひときわ目を引いたのが八田達夫さんの都市開発推進論でした。 今では忘れ去られた議論ですが、バブル期には「この地価に根拠はあるか?」が話題となっていました。八田さんは市場を差し置いて「適正価格」を口にするようなことはしない。ただ、その主張を私なりに読み解くなら、かつての東京都心部の地価は、必ずしも不適正だったとはいえないとお考えではないか、と思われます。 同書刊行当時、私は中学1年生。新聞やテレビニュースの好きな子どもでしたが、地価については本音と建前が違いすぎる、という印象がありました。地上げ屋を憎々しげに描くニュース報道に喝采を送る人々が、「うちにも地上げ屋が来てくれないかなあ」と嘯く。嫌がらせに屈した一家に「ごね得」の悪罵が飛ぶ。 土地供給が少ないから
おじゃま VS の難度 HARD のステージ 9 まで来たけど、この先がどうにも勝てんな。攻めの姿勢でいってもなかなか攻めきれないっていうか、全然攻撃できてるかんじがしない。8 から 9 へは「粘ってたら相手が勝手に死んだ」ってかんじの勝利だった。これは勝ちとは言わない。パッドだともうちょっと攻撃つながるはずなんだけどな。タイミングかなー。それとも全般的にスピード速くなってて対応できていないのか。やれることが増えたので目配りしてて指先が逆に遅くなってしまっているのか。ここからさらに 10 へ行ってそれをクリアしなければならないわけだけど、今回どうも届かんかもしれんなという気分が…。 夜半からあかねへ行って、サークルクラッシュ現象話と自称サバサバ系女子話と姐御肌女子話などをした。このへんはべつに新しい話でもないというか、たぶん一定周期でループしている話題なので、そろそろ Plagger にや
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 競走馬の調教師である藤澤和雄さんのお話には、「人を育てる」「能力を引き出す」といったことがらについて深い示唆があった。藤澤さんの調教で特徴的なのは、それぞれの馬を目いっぱい走らせて鍛えるのではなく、実力の劣る馬も強い馬と一緒に走らせる「馬なり」の方法にあるという。 それぞれの馬が競走しているのではなく、一緒に走っている。しかもその時に、実力が劣るものが強い馬と一緒に走ることによって、実力を引き上げてもらえる。強い方が先に行ってしまうと、弱い馬は走ることから脱落してしまう。人生でもそういうことはたくさんある。 その視点から見れば、能力別学習(学級)などは問題がある。そこで脱落したものはオレはだめなんだとあきらめてしまう。一緒に走っていると思えば
学問の世界にも科学主義がある。学問の世界で科学主義はいいことだと思う人がいるかもしれないが、学問の社会性という視野を欠いているので、その見地は汚染されているとみるのが普通の見方だ。 同様に、教育にもその見地をほとんどそのまま引き継いだ科学主義がある。これはいろんな形で現れる。本日は、その一つについて。 食育と称する教育が推進されている。そこで、農文協が食育の試みに補助金を出す制度がある。学生がこの応募書類を持ってきた。 その説明やこれに応募する側に、典型的な科学主義がある。 食物の栄養バランスを子どもに教えるプログラムを考えることになっている。 あくまで、三食バランスよく食べる栄養学的な根拠を教える、それだけなのだ。 食品の安全性、不規則な食事となる社会的原因、食料生産が環境破壊をもたらしていることなどは、視野の外に置かれている。だから、リアリティに欠ける学習となる。 すると、最後は、上記
Kazu'Sが感じたことを遠慮無しに書き込む為のBlog。気分が悪くなっても知りません(笑) 自己責任で。 基本アニメレビュー。「シムーン」「RED GARDEN」。最近はひたぎ蕩れでミナ蕩れです。 ■[娑婆世界]「視線の暴力」に関する、なんとも歯切れの悪いエントリー 異性の為以外のファッションはあり得るのかという話からの流れらしい。そんなの、あってもなくても大して変わらなくて、どちらでもあっても外に出れば相応に見られる可能性があるということを認識した上で、それでも実行するならおおもとがどちらであったとしても、結果として同じことなんじゃないの? って気がします。 評価されることは絶対に避けられないという指摘は全くその通りだと思う。で、それをキモいとか言うなら、死ぬか、山奥で一人で暮らせ、さもなきゃ引き籠もってろ。で終わりです。 つまり、理解できないのは、なんでそれが罪なのかって部分。別に罪
現在の放送法の考え方は完璧に性善説に立っていて、正直者が馬鹿を見るようにできている。正直に捏造を申告した関西テレビには厳しい処分が下り、嘘を貫き通すTBSは捏造でなく誤報として軽い処分になっている。 これは問題ではあるが、だからと言って、総務省が強制的な調査を行い一方的に処分できるようにすることにも問題がある。 マスメディアには政府を監視する役割があり、時には完全な証拠が得られなくても疑惑を報道することが必要な場合もある。だから、総務省の監督は他の省庁とは違い間接的な役割に留めるべきだ。TBSの問題についても、この局の問題単独でなく大局的に見るべきであり、強制的な処分が前例となることは将来に禍根を残す。 しかし、当然のことながら、この方法が機能する為には、マスメディアの側にジャーナリズムとしての良心が求められる。いざという時にグレーのまま告発を行なう為には、日頃から、自社の報道に対する検証
管理人からのメッセージ 2009年度採用準備で当Blogの内容を活用するため、関係者のみへの公開とさせていただきます。 アクセスありがとうございました。
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