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ブックマーク / uumin3.hatenadiary.org (8)

  • アメリカの偏見 - uumin3の日記

    かつてウィスコンシン州の小さな町に住んでいた頃―一九六八年のことだった―わが家の長男は太っている故にかオリエンタルであるためか、人目につく存在であったらしい。親しい友人や隣人たちから、私はこの子のことについて、よく注意を受けた。 「前菜に山のようなサラダをべさせるのよ。お昼ごはんに温かい料理なんて作ってやる母親の方がまちがっているわよ」 「いいじゃないの、この人は乳を飲ませる赤ん坊がいて、自分だってべたいのよ。それよりもあの子に別な楽しみ、スポーツの楽しみを教えるのがいい」 「とにかく、あまりおいしいものを作っちゃあだめよ」 友だちの会話は、太った子を細くするために、生活の改善を勧めるものだった。ある日、私は近所の主婦から、真剣な説得を受けることになった。その人は長身で美しく、東部の生れであると語るその物腰にも、気品が滲み出ているような女性だったが、自らのことはおせっかいであるとへり

    アメリカの偏見 - uumin3の日記
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/11/27
    口に出すのがアメリカ、出さずに「~さんちのーーくん、……よねえ」「あら旦那さんも……よぉ」「奥さんがXXだからかしらねぇ」っていうのが日本。って違うかも…
  • uumin3の日記-自死という責任の取り方

    松岡農林水産大臣の自死には驚きました。ただ第三者としての第一感は、初老の男性にみられる突発的な自殺、最近言われるようになってきた男性更年期の心身失調によるそれではないかというものでした(参考)。ご冥福を…。 現在、45歳から65歳までが初老期とされています。62歳の松岡氏はまさにその中にいます。統計による中高年男性の自殺率は人口10万対で50以上。これは同年代の女性の三倍以上にのぼり、明らかに有意な多さを示しているとされます。資金管理団体の光熱水費の処理問題や緑資源機構の官製談合事件などの説明責任が問われてはいましたが、今の時点でそれだけで自死を選ぶというのはどうにも唐突過ぎるように思えました。 これに絡んでは、夏の参院選が近づき、自民党内からも辞職を望む声が出てきていたというのが何より影響したのではないかなと個人的には感じます。「敵対する側」からの攻撃には強気に出られても、「友軍からの攻

    uumin3の日記-自死という責任の取り方
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/05/29
    うーん… 責任を取ったのかなぁ… 償う… うーん…。
  • 2007-05-14

    G★RDIASで、「女性が哲学に惹かれない(らしい)のはなぜ?」という刺激的なエントリーがあがっています。お書きになったkanjinaiさんは「大学進学率が男女半々くらいになってきて、文系諸学科では女性の比率がむしろ高くなってきているが、心理学、社会福祉学、言語学などに比べて、哲学は女性から人気がない。」とお感じのようですが、これに対する裏付けはどんなものでしょうか。 ここで触れられているのは、日哲学会の男女共同参画WGというものの男女共同参画推進に関するアンケート結果報告 (2006年3月)という公表データです。 そのアンケート集計から工夫すればちょっとした情報が出せます 全会員1775名中、寄せられた回答は136名であった。内訳は、男性会員103名(男性会員の6%)、女性会員33名(女性会員の22%)である。 ここから推計すると、2006年3月の時点での日哲学会会員の男女比率は 全

    2007-05-14
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/05/19
    おもしろかったー。なるほどねー。
  • 2007-05-02

    ちょっと昨日のエントリーは一般化が過ぎましたか…(笑)まあ「何であれ基礎が大事、というのは当なのか?」という問題提起がしたかったので、その意味ではいろいろ考えていただけたようで、良かったという感じです。 こういう一般論を見たとき、ちゃんと反論する気になるときはやはりそれぞれが自分の知る分野のことを頭に思い浮かべて、そこから違うと思ったりするのでしょうし、確かにそれなりに「基礎」が重要と思われる分野もあるということでよろしいかと…。ただ、そこのその分野の「基礎」はどういうものなのかという問いに、それを知る人が二人いれば二通り、三人いれば三通りのイメージはあるんじゃないかという気もします。大まかな「基礎」についての了解はあっても、決してそれが確固としたものではないということは言えませんか?(←まだ言うか) 何につけ「基礎」とおっしゃる方の背後に、私は「きちんとした積み重ね」イメージがあると思

    2007-05-02
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/05/02
    ふむふむ。なるほどね…。ちょっと違ってたかー。学ぶ課程を樹形図1つで捉えちゃってる見方を問題提議した、って感じかな…。
  • 2007-05-01

    世の中には何につけ「基礎」というものが大事で、基礎をやらずに応用はできないとか固く信じている人が多いように思えます。特に自分の知らない分野のこととか、お勉強関連についてそう思っている人が意外にも多いと見えるのです。私が一番そう感じたのは、学部の時から数年間やらせてもらった中学生相手の学習塾の講師の時だったかもしれません。父兄の方々とたまにお話すると、必ず皆さん「基礎をお願いします」とか「ちゃんと基礎が身につけば」とかいう話ばかり。どちらかというとばりばり進学のための塾というより補習目的で子どもたちが通っていた塾でしたから、まあそうおっしゃる方が多かったのは当然かもしれませんけど。そしてそういう方々には「大丈夫ですよ」と優しくこたえていた「人が悪い」自分がいました。 当は私は基礎がどうのこうのというのにあまり関心もありませんでした。それこそ基礎の基礎、漢字を覚えるとかアルファベットを覚える

    2007-05-01
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/05/02
    なるほどだー…。基礎……ああ、ひょっとすると、この場合の基礎っていうのは人の名前とか顔みたいなもので、あとは性格行動パターンとか口調とかとかは、ほとんどが応用の範囲なのかもしれにゃい。
  • 詐術2 - uumin3の日記

    (※下に追記あります) 先日の「道徳的詐術」関連です。女教師ブログのterracaoさんのところで「「人殺し」扱いされるのがそんなに嫌ですか。」というエントリーを見かけました。 1. 俺は人殺しじゃない、俺は人殺しじゃない、俺はひt(以下略 http://d.hatena.ne.jp/gordias/20070409/1176086019のx0000000000氏の文章を引いてるエントリ*1をいくつか読んで思ったこと。 みんな、必死の形相で、自分の《人殺し》性を否定してる。。。 必死すぎるよ。 《間接的》であれば、当然誰もが潜在的に「人殺し」だと思うんだけどなー。そりゃ、つらいのはわかるけど、事実として直視しなきゃいかんだろう。もちろん責任の取り方はいろいろ。全部の責任を負うわけじゃない。 というわけで、自虐力が落ちている! (←これ、言いたかっただけ*2) (以下略) どうでしょうか? 

    詐術2 - uumin3の日記
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/04/15
    うむむ、複雑すぎてちょっと混乱 他のと一緒にブクマー
  • uumin3の日記 - 道徳的詐術

    G★RDIAS:「当は、できるでしょう?」の原初的風景より たとえば、私がコンビニで200円のおやつを買おうとするという状況を想定する。 目の前に、募金箱がある。そこには「アフガニスタンの人達は、4人家族で200円あれば1日暮らしていける」と書かれてある。 それでも、その文字が目に入りながらも、私はおやつを買うとする。 このときに、私が「募金できない」と言うのは端的に誤っている、ということである。ただ単に私は「募金しない」だけである。 仮に、その200円がないために、アフガニスタンの家族がその1日を生き延びられず、死んだとしよう。すると、事実として「間接的ではあろうが、私は人殺しである」と言えよう。 私は、そういうことを「まずは」嘘をつつみ隠すことなく言おう、と提起している。 これは、「正論の倫理学」なら主張するであろう、「その200円を募金すべきだ」という主張とは全く違う。 ただ、私は

    uumin3の日記 - 道徳的詐術
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/04/14
    ふむふむ、おもしろいな。じゃ、200円あれば助かるからって渡すのが正当な行為かどうかだよねー。目の前にいるにしろいないにしろ。
  • uumin3の日記 - 騙されたら負けかなと思っている?

    私も誰かに騙されるというのは不快には思いますが、「騙される」ということに対して少々過剰な反応が多いのではないでしょうか? それは「対宗教」「対似非科学」「対アメリカ」「対中国」「対権力」「対マスメディア」…さまざまな局面で見られるように感じます。一見その立場が正反対のようでいて、実は「騙されないぞ」と過剰に構えているという点では同じような人たちが多くいるなあと。 これはその個別の問題、忌避の対象云々ではないところに何か同根のものがあると考えた方が面白いのではないかと思えてきています。 匿名ダイアリーでこういう記事がありました。 ■日人はなぜ「宗教に走ったら負けかなと思ってる」のか 日人に限った話じゃないのかもしれないけど、宗教という名前で一般的に連想されるのが、日常的な生活空間とは隔絶した“異界”の何かだった場合には、そういうことが起きやすいんじゃないかと思う。 逆に、実際にはまってい

    uumin3の日記 - 騙されたら負けかなと思っている?
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/02/17
    …なるほど。そう考えると、騙される人を責める形は、疑う作業をサボっているってことになるかもにゃ。いい視点ありがとうございます。
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