亡くなった、というよりは失ったという感じがして気づいた。あー、やっぱ独自な人だったんだな、と。最後まで独自で通せたからいなくなった感も大きいんだな、って。 1989年、ソフトバレエでデビュー。美輪明宏の大ファンだった彼は、美輪さんの若いころにも匹敵する美少年として姿を現した(ちなみに大作曲家・編曲家である父・森岡賢一郎は美輪明宏のアレンジも手がけている)。ライブで言えば弾かないで見せるキーボーディストの誕生だった。ギターやベースと違ってパフォーマンスしづらい鍵盤楽器。でも時代は演奏の多くをコンピュータに託せる状況に入りつつあった。そこをうまく活用したのが森岡。音大の付属高校から音大に入り、かつ10代の頃から音楽の仕事をしていた彼だから、弾こうと思えば十分に弾ける。弾けるのに最低限のプレイにとどめてあとはパフォーマンスに専念する、という発想の転換。'90年のマドンナの大ヒット曲「ヴォーグ」で