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無断リンク禁止問題における天王山はここにあるのではないでしょうか。 ここで「消滅させる」という言葉は象徴的に使っていて、より詳しく表現すると「言及されても構わないと自分自身で納得できるように対策をとる」ですけど。 ある意味、「不手際は直せばいいだけじゃん?(という自分に甘い態度)」対「不手際は晒されるべき!(という他人に厳しい態度)」みたいな構図になっているような気もします。 言及レス 申し訳ないですが、トップページよりお入りください」 とでるように、ちょこちょこっと設定変えれば問題解決ですよ。 http://d.hatena.ne.jp/oredoco/20080509/1210339503 トップページから入る入らないレベルの話を扱っているのではないのですけど。 wwwの世界ではリンクが前提で世界が構築されているのに、 くっぱさんくっぱさん - ネットランダム改 リンクが前提はいいので
前回の記事で「公開」という行為の概念について(あるいは、他人のなした公開という行為について)、人によっては過剰な前提をおいて解釈しているのではないかということを書いたのですが、そのあたりについてもうちょっと詳しく考えてみたいと思います。 まずはじめに、たたき台としての「公開」という概念として、 特定の手順を踏めば誰でもそれに接することができるようにすること としましょう。あくまでもたたき台ですので、前提条件が少ないという意味でより原始的な概念をどなたかから提案していただけたら、そちらに変更して議論を進めることにやぶさかではありません。現状では、例えば、その本を売っている書店で自分のお金を払えば誰でもそこに書かれている内容に接することができる、ウェブでそのサイトのURLを自分で指定すれば誰でもそこに書かれている内容に接することができる、というようなイメージです。 さて、ここで気になるのが、「
コメント欄ではタグも使えないしある程度の文章を書くのに向いていないのでエントリーにしました。 匿名希望さん ぉお!期待してまつ^^。 現在、くっぱさんの主張は主なものしか書いていませんが、他にもいろいろあるので随時補足していくつもりです。いかんせん量が多い^^;。いつ終わることやら。 lastlineさん お疲れ様です。ちなみに、僕はまだ続けてます(笑) 凄い…というか、パワーがある^^;。 SBM経由でくっぱさんがまだ何か書いていることは把握していたんですが、正直、WWWとは何の関係もない単なる常識の話になった時点で終わったと思っています。備忘録にそもそもの始まりから遡ってまとめたのを見れば明らかですが、くっぱさんの主張はもはやリンク禁止がどうのこうのとは関係のない話になっているんですね。 今回のちゃんちゃんさん及びその支持者の主張を読んでもらえればわかるように、彼らは「他人の何ら問題の
(この暫定版は新しい版に改定されました。最新版は当ブログサイドバーの「リンク集」から参照ください。) リンクをした人は、リンクをされた人から「リンクをやめろ(さもなければ俺を納得させろ)」と要求されたときに、以下の3つの中から自身の責任のともに自由に1つを選択することができる。(A)リンクをやめる。(B)相手を納得させたうえでリンクをする。(C)相手を納得させることなくリンクを継続する。 (C)を選択することは、「相手を不可逆な状態に陥れることになる可能性があるにもかかわらず、その行為をその人を納得させることなしに実行しても構わないと自分の価値観に基づいて一方的に判断し、それを実行した」という事実を生じさせる。 相手からのリンクについて納得していない人は、以下の3つの中から自身の責任のもとに自由に1つを選択することができる。(a)リンクされたコンテンツを書き換えたりウェブから削除する。(b
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
自分のサイトの生ログを解析して、 直リンクしてほしくないページへリンクしているサイト、画像への直リンクしているサイトを見つけ出して .htaccessで直接指定して弾くのが日課。 RSSリーダーからの画像直リンクが一番ウザイ。 オンラインブックマークもかなりウザイ。 携帯からのYahoo検索は、アドレスにランダムな文字列を使ってくるからウザすぎる。ログを汚されるので元から弾いてしまった。 海外のフォーラムは画像の直リンクが酷い。パスがかかってて会員以外が入れない仕様で確認もできない。丸ごと弾いた。 そこまでする自分きめえwwwwwwwwwと思うけど、やめられない。 弾いたサイトを後から見に行って、無言でリンクを消していたり 「あれ?画像が表示されませんね^^;」とか誤魔化しているのを見ると、ざまーみろと思うのだ。 自分のネタを他人に好き勝手には使わせたくない。 ユニークアクセスが3000を
(この暫定版は新しい版に改定されました。最新版は当ブログサイドバーの「リンク集」から参照ください。) 無断リンクをされても相手に文句を言える筋合いにはない。(ウェブにおいて相手は無断リンク行為をする自由を制限されていないし、自分がウェブを利用しない自由も制限されていないから。つまり、自己責任。) 無断リンク禁止宣言のなされたサイトへの無断リンク行為は、「その行為をすると本人が望まない不可逆な状態に相手を陥れることになる可能性を認識しているにもかかわらず、相手ではなく自分自身の判断で、相手に問答無用にその行為をなした」という事実を生じさせるという意味で、相手を問答無用に殺す殺人行為と共通性をもつ。(「不可逆な状態」とは、無断リンクによってそれまでそのサイトの存在を知らなかった人が、そのサイトの存在を知ってしまうと、知らなかった状態に戻すことはできないということ。「相手ではなく自分自身の判断で
「ウェブサイトAで書かれている無断リンク禁止宣言はおかしい」、という記事Bに対して、「お前のやっていることは嫌がらせだ! 無断リンクを禁止しても、他人からとやかく言われる筋合いは無い!」と、Bにリンクをして反論する記事Cがあったりするわけだけど。 結果的にCはBを介してAへのリンクをしていることとなり、知らない多くの人に自分のサイトを読まれたくないというAの意図を無視している事になるんだけど、そのへんどうなのよ? Comments: 2 #3339 cibo URL 2007-09-29 Sat 22:06 A本人から苦情を投げかけられたなら、頭を下げるしかないでしょうね。それ以前の段階のお話と言うなら、Aに配慮した手段を取るか、そうでないかというお話でしょう。何れにしても、貴方のその切り返しは非常に卑怯なやり方の様に私には見えます。 #3340 えっけん URL 2007-09-29 S
「私は、私と仲良くできる人とだけたくさん出会いたいし、このサイトを見てキモイと思ったりバカにしたりするような人には、私のサイトを見てほしくないのです。」 これが私の考える、「無断リンク禁止」の、技術的に手の施しようがない条件。これは極端な場合と思いますが、無断リンク禁止を言う人の感覚は、これに近いのではないかと思います。 Webに何かを公開しているということは、誰かと関わりたいという欲求があるわけで。 そんでもって、「リンクするなら連絡して」っていうのは、興味を持ってくれた人と関わりたいという欲求があるわけで。 そこんところの敷居は下げておきたいと思っているのではないだろうか。 晒されて嘲られたくないというのは別に無断リンク論者に限った話ではなく、まあやめてくれと。 居丈高な奴は気に入らない、ってのは分かる。 が、同じ事はリンク自由論者にも言えること。居丈高に「リンク自由が常識」といわ
リンクされることが、 ・心理的に解せる ・心理的に解せない っていう部分がそもそも設計時に考慮されてないのが問題なのかも。 心理学とか社会科学とかその辺の知見が反映されたWWWの構築が大事かもしれませんね。 セマンティック・ウェブってその部分が重要になる気がします。 たんなる、HTML文書の論理的な接続だけで語れなくなってきているということは。 プロトコル(http)そのものをどうにかして、これを考慮した拡張ってできないものなのでしょうか。
「エスカレーターの片側を開けるべきか否か」と「無断リンク禁止」を同時に見ているととっても不思議。片方は「マナーだ!文化だ!」で押し通して、もう片方は「これは設計理念だ!」で押し通そうとしているように見える。もちろん、一つの法則で全てを決めていいというわけではないけれど。これが空気とか多数決とかで決まってしまうようなら、風習とはなんといい加減なものかと思ってしまう。そして、一度決まってしまった風習に対してはいくらでも利点を見出す人が出てくるのだろう。 とか何とか言いながら、私は片側を開けることには反対で、無断リンク禁止はいくらでも主張していいし、それは尊重されるべきだと思っている。どうせ風習なんてそんなもんさ。
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