ボラティリティ、即ち価格変動性が急上昇しています。株価、為替、国内、国外。あらゆる資産の値動きが、とても激しくなっています。ひとつ特徴的なのは、流動性の高低と、ボラティリティの高低が、通常は逆の関係にあるのですが、今回はそうとは限らないことです。 即ち一般的には、マーケットが大きく動く時でも、流動性の高い資産(新興国の為替や株価に対して主要国のそれや、個別株に対してインデックスなど)のボラティリティは低く、流動性の低い資産の方がボラティリティは高いのですが、今回は双方のボラティリティが同じであったり、或いは逆転したりしています。 これは偶々ではなく、今回の騒動の仕組みと関係のある構造的な理由からだと思います。世界中の投資家のリスク管理が進み、どこかで損が出てリスクが高まると、益を出すなりリスクを下げるために、何かを売る(或いは買い戻す)。全体の損失、或いはリスク量が大きいので、流動性の低い
●はじめに 資本主義経済は競争原理を土台としており、必然的に格差を生むシステムであります。 したがって、経済発展を遂げても格差はなくならず、また新たな格差が生じるという問題があるのは必然です。 格差問題はその国の経済的成熟度にもより、多様多面多層な様相を示し、地政学的な要素が関わる地域間格差だけでなく、地域内における社会階層の固定化や資産・所得の格差拡大など、ある閉じた地域内の所得格差も地理的ポイントに深化した格差問題なのであります。 つまり「一人当たり県民所得」にこだわった前々回の私のエントリーで扱ったのは、多様多面多層な様相を示す格差問題の中で、「地域(所得)間格差」だけにスポットを当てたものであり、例えば東京都在住でもその閉じた空間にさらに、地域内格差や社会階層格差がある点にはふれていません。 しかしその「地域(所得)間格差」においてすら一部「シンクタンク」やメディアの論説ではそのよ
1873年ビクトリア朝時代フランス人が発明したスチームパンク風味の1輪車です。スペイン人が残した19世紀の古い資料から、ブルゴスに住む男性が全部ひとりで手作りしました。 ブロンズの主輪は樫の木を彫ってモデルを作って、そこから起こしたようです。動体の機械パーツは力のかかり具合に応じ様々な合金鋼を使い分けてます。 サドルのサスペンションバーも適度な弾力が得られるまでキンコンカンコン、丹念に鍛造しました。車輪サイズは6.16フィートで、そこに238歯の内節(238-teeth inner segment)がついてます。 先人の知恵とテクニックに機械学と工学の原型を見る思いがしますね。拡大フォトは以下のスライドショーでたっぷりどうぞ。 競売は1万3000ドルから(米時間8月15日終了)。 [eBay via Boing Boing] -JESUS DIAZ (原文/翻訳:satomi) 【関連記事
こんにちは。藤沢Kazuです。 もう、すっかり怪我も治ってきて、元気いっぱいです。 今日も鬼のように仕事がはかどりました。 セクースネタはアクセス数を急増させるものの低俗な2チャンネラーをブログに引きつけてしまうと言う諸刃の剣と言うことを百も知りつつ、ついつい日記に書いてしまいました。 反省しております。 しかし、最大4万アクセス/日を超えた時はさながら暴風雨の中にいるような気がしました。 なんか、私の記事のいくつかが最近、メジャーサイトで引用されているようです。 私の稚拙な記事を引用してくださったことに、あらためてお礼を申し上げます。 閑話休題。 前回の「携帯スキャンダル」による恋愛市場のクラッシュは結果的にはヘッジファンドによる積極的な市場間裁定取引により数日のうちに吸収され、金融市場への波及は食い止めることが出来ました。 近年の歴史的な低ボラティリティ環境は相当に強固なようで、この程
「関東では右側をあける」とか、「関西では左側をあける」とか、地域差もよく指摘される「エスカレーター」の乗り方。 急ぐ人のために片側をあけておかないと、なんとなく舌打ちされたり、邪魔者扱いされたりすることも多いけど、それが近年、変わってきていることをご存知だろうか。 「エスカレーターで歩くのは危険ですので、手すりにつかまり、ステップの黄色い線の内側にお乗りください」 などのアナウンスが、デパートや駅などでされるようになってきているのだ。 かつて「エスカレーターを『高速』にする理由」という記事内で、「メーカーがエスカレーターの追い越しを原則禁止している」と書いたことがあったが、一般的には、ほとんどの駅のエスカレーターで、今も「片側あけ」が行われている。 「片側をあけるのが常識」という考え方と、「片側をあけるのは危険」という考え方の間で、マナーが揺れているようにも見えるけど……。これっていつから
昔土曜日に子どもがミュンヘン補習校へかよい、私が送り迎いをしていた頃のことである。補習校図書館で授業が終わるのを待っていた私は一番上の棚にある「日本の原爆文学」・全15巻に好奇心をひかれて、その何巻かを手にとって読むようになった。 ■徹底的に抗戦する ある日、私は第15巻「評論・エッセイ」で長岡弘芳の「原爆文学と戦後ナショナリズム」のなかで著者が引用している次の一節を読んで仰天する。 《、、、突然誰か発狂したのではないかと思われるほど大きな声で「このまま敗けられるものか」と怒鳴った。それに続いて矢つぎばやに「今さら敗けるとは卑怯だ」「人をだますにもほどがある」「何のために今まで辛抱したか」「これで死んだものが成仏できるか」いろんな表現で鬱憤が炸裂する。病院は上も下も喧々囂々全く処置なき興奮状態に陥った。日ごろ平和論者であった者も、戦争に厭ききっていた者も、すべて被爆この方俄然豹変して徹底的
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