飯縄権現に対する信仰は各種縁起や祭文により微妙に描写のされ方が異なる。 信濃国の飯縄山が戸隠山の山麓の一部であるように、飯縄の修験道は、戸隠修験の傘下におかれていた[1]。とはいえ、その発端は飯縄山にあったと思われ[2]、"飯綱信仰は、戸隠信仰より古い"とも言われている[3]。 根拠として、そもそも飯縄山で修行していた学問という行者が嘉祥2年(849年、異文では嘉祥3年)に戸隠山の開山を行った事実が挙げられ、遅くとも鎌倉時代・室町時代の文献にはこの記述がみられるのである[注 1][1][3]。 天福元年(1233年)には[注 2]、飯縄大明神が戸隠の住職のところに現れ、自分は"日本第三の天狗なり。"と名乗ったと、上で触れた室町の文献、『戸隠山顕光寺流記并序(とがくしさんけんこうじるきならびにじょ)』に記されており[3][6]、続けて「..願わくは此の山の傍らに侍し、(九頭竜)権現の慈風に当