後輩がちょっと会って話してやってくれ、と頼んできたので、日本の公立中学の教師で、目下日本人学校に派遣されている若い人にあって散歩したり夕食を食べながら半日おしゃべりした。雑誌やネットでその様子を知ることはできるけれども、新任から5年、悪戦苦闘してきたそのディテールをことこまかに聞いたのは実にはじめてなので、とてもおもしろかった。また、日本人学校での教育に関しても、自分の二十年以上前の補習校経験と比較しながら、あー、先生の立場ってこんな感じだったのだろうな、といろいろなことを思い出した。 日本の公立中学の問題に関しては、机を投げつけられて、打撲ではなくどうせなら骨が折れれば傷害で訴えることができた、とかストレスでこんな病気に、あんな病気に、などなかなか過激な話があるものの、だったらなぜ教師を続けているのかということをきくと、小さなことで生徒に「ありがとう」といわれたときのうれしさや、渡航寸前
生涯集めた貯金をソウル市江西区庁に奨学金として寄託したファン・クムジャさんと、ファンさんと実の親子のように親しくしている社会福祉士のキム・ジョンファンさん(左)とキム・ミヨンさん(右)。 ソウル市江西区登村洞の賃貸マンションに暮らす日本軍慰安婦被害者のファン・クムジャさん(84)が生涯にわたり集めた4000万ウォン(約290万円)を2006年11月、江西区庁に奨学金として寄託し、話題を集めたことがある。そのファンさんが奨学金の寄贈式を終えた翌日から再び貯金を始め、2年後の今月7日、3000万ウォン(約210万円)を奨学金として寄託した。 4日夜、2年ぶりにファンさんの小さなマンションを訪問すると、イシモチを焼く香ばしいにおいが鼻をくすぐった。「もっと早く来ればよかったのに。今日は福祉館の人がイシモチを5匹も持ってきてくれたの」。丸い目と少女のような微笑みは2年前のままだった。 今回再
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