ブックマーク / osakaeco.hatenablog.com (2)

  • 経済学者でないほうが、多分、きちんとわかる経済に関すること - 痴呆でいいもん

    えー、酔っ払ってます。 最近、不動産業界の若い友達ができてルンルンなんですけど、彼の周囲は熱い。そんで、彼の仕事仲間の金融関係の人達も熱い。この温度って、経済学に反映されていないように思うんですけど、どうですか、エントロピーですか、室田さんですか。(あー、酔っ払いはいやだ>自分) 経済学って多分、こういった意味での人間の温度って一定というか、捨象してますよね。熱い人の労働時間とヌルい人の労働時間は一緒。でも、暑さを知った人は、ヌルいとこだと、生産性落るんです、確実に。それで、ヌルい人はお金もうけする意欲がないんです。(それも全然いいんだけども) それで、もう、眠いんで、今日は終りにしたいので、唐突にまとめるんですけど、この温度って、何で自分が働いてんのっていう、根的だけど多分、とっても浅い問題と関っていると思うんですよ*1。経済学って、効用最大化とか、生存賃金じゃないですか。効用デカくな

    経済学者でないほうが、多分、きちんとわかる経済に関すること - 痴呆でいいもん
    Sucker
    Sucker 2009/02/17
    今の経済学では労働に対する自発的な志向を計算できない
  • 生について - 痴呆でいいもん

    前回、よっぱらって変なことを書いたけど、あそこで書いたことは、自分としては結構まじめに考えたいことだ。 構造主義的な立場のを、多少注意深くよめば、構造がどうして生じるか、あるいは、個人が構造の一つのはぐるまとして動くような主体となるかといった議論をするとき、個人の生としかいいあらわせない要因がからむことがわかる。ソシュールのラングとパロールを引くまでもなく、多くの主体からなる構造は個々の主体の行動によってささえられる。構造の分析自体は、その主体の行動の動機は説明できない。確かに、個々の主体が構造の歯車の一つとして行動することを前提としての構造の変動、生成、維持を議論する場合には、このような生という要因はとりあえず無視できる場合が多い。しかし、個人がどうして、構造の中の一つの契機として、つまり、主体として構造に参加するかについて考える場合に個人をそのような行動に導くものを考えざるをえない。

    生について - 痴呆でいいもん
    Sucker
    Sucker 2009/01/20
    "生存はよりよい生の必要条件なのだから、個人のよりよい生を尊重する立場は、優生学やジェノサイドには結びつかないはずである。"
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