【征韓論の発端】 岩倉や大久保が洋行し、西郷が政府を預かる間、外交上の大きな問題が浮上してきました。対朝鮮問題、いわゆる「征韓論(せいかんろん)」のことです。 元来日本と朝鮮は、徳川幕府の時代から親しく交際を続けていた間柄でしたが、幕府がペリーの来航を始めとする諸外国の外圧に屈し、和親条約や通商条約を結んだことにより、日本と朝鮮の関係は悪化し、事実上国交が無くなりました。その頃の朝鮮は、以前の日本がそうであったように外国との交際を一切断ち切り、鎖国政策を取っていたからです。 しかし、明治新政府が樹立されると、新政府は朝鮮との国交を復活させようとし、これまで日本と朝鮮の仲介役を務めていた対馬の宗氏を使者として、朝鮮に対して再び交際することを求めましたが、当時の朝鮮政府は、新政府の国書の中に「皇」や「勅」という言葉があることを理由に、国書の受け取りを拒否しました。これらの言葉は朝鮮の宗主国であ