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ブックマーク / sumita-m.hatenadiary.com (9)

  • 「女性専用席」 - Living, Loving, Thinking, Again

    『産経』の記事なり; 図書館にも女性専用席 ホームレス対策…「不公平」の声も 8月30日9時25分配信 産経新聞 東京都内の図書館で、女性専用・優先席を設ける動きが広がっている。現在のところ、23区内220館のうち8館で実施。女性専用車両の痴漢対策というよりは、主な理由がホームレス対策だ。「安心して使える」「使いやすくなった」と歓迎する女性の声もあるが、男性からは「不公平だ」との声もある。(安岡一成) ■苦肉の策 台東区の中央図書館。今年4月からフロアの一角に設けられた「女性専用席」に女性が2人腰掛け、料理雑誌を読んでいた。周りの棚にはファッションや子育てなどの女性向け雑誌が並ぶ。 いつも利用しているという主婦は(58)「ホームレスがいっぱいで利用しづらかったから、女性専用席は悲願だった。おかげで落ち着いて読めるようになった」と話す。 台東・荒川の両区には日雇い労働者やホームレスが多く滞在

    「女性専用席」 - Living, Loving, Thinking, Again
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2008/08/31
    "そんなこと言ったら、子どもや生活保護を受けている人は図書館に入れなくなってしまうではないか。さらに、その地域の外に住んでいる人は全員図書館から閉め出されてしまう"(ほんま
  • 救うのではなく隠蔽すること - Living, Loving, Thinking, Again

    大野左紀子「弱者を救う「押しつけ」」http://www.absoluteweb.jp/ohno/?date=20070914 ここでいう「押しつけ」とは高校の制服の「押しつけ」だが、制服(「押しつけ」)が「弱い立場の人々を救っている」機能について、 学校の制服は、家が裕福な生徒も貧乏な生徒も、見かけ「平等」にするものである。ファッションセンスのある子もない子も、制服さえ着ていれば、見かけ「平等」でいられる。学校の制服制度は、制度という「押しつけ」によって、そういう「平等性」をもたらす。全員が毎日自由な私服で、明らかに貧富の差やセンスの差がわかる環境で、何も感じず勉強だけに集中することは難しい。私がその立場だったらたぶん気に病んで、「なんで制服がないの? そしたら皆一緒で余計なこと気にしなくていいのに」と思うだろう。 一律制服だったら、かえって素材の差(美醜)が際立ってしまうから、ルックス

    救うのではなく隠蔽すること - Living, Loving, Thinking, Again
  • You Don't Know What Love Is - Living, Loving, Thinking, Again

    Last Date アーティスト: Eric Dolphy出版社/メーカー: Polygram Records発売日: 1991/07/01メディア: CD購入: 1人 クリック: 16回この商品を含むブログ (43件) を見る http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20070124/p1 曰く、 あとブクマには書かなかったんだけど、「同級生の男子を好きというのと芸能人を好きというときの「好き」はどう違うのか」というのもあります。これもわからん。私も学校時代にはよく同級生を好きになったものだが(安易)、なんかこう「触りたい」とか「話したい」はあったとしても「眺めてキャーキャー」「眺めてうっとり」みたいな域を出てなかったような気もするし…芸能人にキャーキャー言うのと同じじゃん。それ恋愛か? 直接この話とは関係ないのだが、私たちの振る舞いには特定の対象に向けられたもの

    You Don't Know What Love Is - Living, Loving, Thinking, Again
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2007/01/26
    "「片思い」は「一般的には」「入れない」というなら、日本の〈忍ぶ恋〉という伝統*2が全く忘却されていることになる"小谷野先生!(違う
  • 自足性についてのメモ - Living, Loving, Thinking, Again

    多分、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060505/1146837401やhttp://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060502/1146581845とも関係しているか。 自足性或いは非手段性を巡って、 ■[aberrations of youth]文化的優劣について なんというか酔っ払って書いてるんでその議論の正確性とかやらはとりあえず置いといてここ最近考えてたことを書いとくとする。 いわゆるオタクとか非モテファッション論の特殊性についてである。それが脱オタにしろ非モテを固持するにしろ、彼らがファッションを語るときにその脱目的性(つまりはファッションやオシャレってのはただ楽しいからするという観点)が捨象されるという特徴がある。どちらの立場にしろ、ファッションという文化をモテるための手段という点でしか議論されてないのが非常に不思議

    自足性についてのメモ - Living, Loving, Thinking, Again
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2006/05/11
    (あまり内容が(略
  • 「難しい」ことが問題なのか - Living, Loving, Thinking, Again

    市民運動的なことを推進する人が敬遠されるのは、サヨク的なことがかっこ悪いとか怖いとか運動の重要性や主張の中身に疑問があるとかいうのもあるだろうけど、その人たちの「語彙」にも原因があるんじゃないかなあと思うことがある。そういう運動やってる人には当たり前の概念や知識が他の人には必ずしも共有されてないのに、共有されて(て)当然という前提で語っちゃうから、そこの時点で意味不明というか、偉そうというか… http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20060428/p2 この引用はあくまでも取っ掛かりにすぎないのであって、以下ではkmizusawaさんを批判しようとするわけではない。枕にするだけというのは却って失礼か。 たしかに、「そういう運動やってる人には当たり前の概念や知識が他の人には必ずしも共有されてないのに、共有されて(て)当然という前提で語っちゃうから、そこの時点で意味

    「難しい」ことが問題なのか - Living, Loving, Thinking, Again
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2006/04/29
    (この文章自体が(特に後半)難しい件について
  • 恋愛は能動的な経験ではない - Living, Loving, Thinking, Again

    奥田碩といえば、今や自動車というよりも「ゲーム」問題の専門家として有名になっているわけだが*1、恋愛についてもお詳しいらしい。「フラれ考 傷つきたくない、告白しない 未経験の若者急増中」と題する『毎日新聞』の記事*2には、「 「フラれた経験のない若者が多い。勉強の偏差値だけでなく、人生の偏差値を高めるべし」。日経団連の奥田碩会長(73)が、講演などで時々披露する失恋のススメだ」とある。たしかに〈大きなお世話〉だろう。 さて、この話を枕に振ったLeiermannさんのhttp://d.hatena.ne.jp/Leiermann/20060206/p1とそれに関連したhttp://d.hatena.ne.jp/Leiermann/20060208/p1であるが、そこには源的とも言える勘違いが存在しているように思える。また、その勘違いはあの奥田碩も多分共有しているように思える。 ここで述べ

    恋愛は能動的な経験ではない - Living, Loving, Thinking, Again
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2006/03/17
    "恋愛は、意志に関わらず、生起するかもしれないし、生起しないのかも知れない。そんなの、私を含めた誰も知る筈がないのだ。"
  • ファッションと共同体その他 - Living, Loving, Thinking, Again

    Leiermannさん*1からコメントをいただいたので、早速http://d.hatena.ne.jp/Leiermann/20060112/p1についてコメンタリーをさせていただくことにしたいのだが、その前に回答になっているかどうかはわからないが、Leiermannさんのコメント*2にリプライを試みることにしたい。 まず、「何の前提もなく「母親がださい服を与えているなら、いやでも反抗せずにはいられない」と書かれていますが、誰にとっても「だささ」という感覚は存在するとお考えになられている理由は何でしょう?」ということですけれど、これは先ずjournalism-1さんの論を私なりに承けてのことだということをお含み下さい。私が思うに「だささ」の源は〈外部の視線〉です。この意味では、誰もが「目の見えない人」と同じ位置に立っていることになる。ことの良し悪しは別として、〈親の影響〉が相対化されるのは

    ファッションと共同体その他 - Living, Loving, Thinking, Again
  • 最も怖いのは同胞であり隣人であるということ - Living, Loving, Thinking, Again

    東大震災時に朝鮮人が虐殺されたことについて、kechack*1さんは「安全マキャベリズム」ということをいっている。「デマを流布した人には朝鮮人への憎悪があった可能性が高いが、それを信じて自警団を結成して虐殺に加担した人は、安全マキャベリズムに駆られ理性を失ったのであろう」。「 関東大震災に於いては、朝鮮人を殺すことで1%でも自分たちの安全が担保さると信じた人間が虐殺をしたのである」。 これについて思うのは、最大のリスク要素は「朝鮮人」というよりも〈日人〉*2ではなかったかということだ。或いは、山七平歿後もしつこく生き長らえている表現を使えば〈空気〉。虐殺に荷担しなければ、自分が「朝鮮人」ということになり、今度は自分が虐殺される側になってしまう。この恐怖の方が強かったのではないかと思う。そもそも日人/朝鮮人を視覚的に区別する特徴があるわけではない*3。だからこそ、「じゅうさんえんごじ

    最も怖いのは同胞であり隣人であるということ - Living, Loving, Thinking, Again
  • 「個人的な」ことが「社会」化されること、それは「政治的」であり、政治の消滅でもあり - Living, Loving, Thinking, Again

    kmizusawaさんの「個人的なことは政治的なこと」*1から、少し長い引用をする; どんな生き方するかとか何をべるかとか恋愛するかしないかとか性格だとかコミュニケーション能力だとか「やる気」だとか身だしなみとか健康管理とかどこに住むかとか子ども生むとか生まないとか… そういった来「そりゃー社会のあり方の影響も受けているかもしらんが人それぞれでいいも悪いもないだろう」(そしてどんな選択であっても幸せに生きていける社会がベスト)と思うようなことに対して、マスコミや政府の御用学者たちが「皆が幸せな社会を作っていくためにも(もしくは個人が幸せであるためにも)こうあるべき理想の姿」というのを出して、そうでない人に対して「援助」とか「アドバイス」とか「指導」とかいう名目であれやこれやと介入する。彼らが提供してくる「理想」はそれ自体は決して「悪い」ものではないが、「悪い」ものではないだけに、個々の

    「個人的な」ことが「社会」化されること、それは「政治的」であり、政治の消滅でもあり - Living, Loving, Thinking, Again
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2006/02/13
    なんで社会学関係の人って文章が(以下略
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