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ブックマーク / wallerstein.hatenadiary.org (5)

  • 違星北斗は同化を強く指向したか - 我が九条

    Mukkeさん(「」)経由。 あー,このひと,アイヌコミュでも大活躍してるなー。「アイヌとして,日人への同化を強く志向した違星北斗さんという素晴らしい方」(原文ママ)という表現を見た時には殺そうかと思ったよ。 多分「このひと」が依拠したのは違星北斗の次の文だろう。 吾人は自覚して同化することが理想であって模倣することが目的ではない。 あるいはこれか。 「日臣民として生きたい願望」であるのだ。 この文は違星北斗が創刊した雑誌『コタン』創刊号の中の違星北斗の「アイヌの姿」という論説の一部である。しかしこれはまさに「都合のいい所を切り出した」だけのものであるのは、「アイヌの姿」の文章を読むだけでも「このひと」の言う「アイヌとして、日人への同化を強く志向した違星北斗さんという素晴らしい方」というのが全くの嘘であることが分かる。 私は小学生時代同級の誰彼に、さかんに蔑視されて毎日肩身せまい学生

    違星北斗は同化を強く指向したか - 我が九条
  • 松浦武四郎をどうみるか - 我が九条

    松浦武四郎は「北海道」の名付け親である。1844年から6回蝦夷地に渡っている。そして蝦夷地の詳細な調査を行い、その中で和人によるアイヌへの残虐行為を告発したことで知られる。 水戸藩のバックアップがあったこともあり、いわゆる「勤王の志士」扱いをされることもあるが、明治維新の時に就任した開拓大主典に就任し「蝦夷地」を「北海道」に変えたことで知られるが、わずか半年で辞任した。開拓使がアイヌの生活基盤を破壊した場所請負制を継続したことに抗議したためとされる。 松浦武四郎の評価も時代に翻弄された。明治時代前半には評価されなかった。一つには彼の実地調査には過ちが多かった、ということも事情の一つだが、彼のアイヌに対する和人の残虐行為の告発があまりに生々しく、実際にアイヌへの残虐行為に携わった人々がまだ存命で、しかも彼らがそこで得た資金を元手に社会の中枢に昇っていたことも関係していたと思われる。 関係者が

    松浦武四郎をどうみるか - 我が九条
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2008/08/30
    北海道人・松浦(あとで
  • 珍しいことではない - 我が九条

    伊吹文明文部科学大臣「大和民族がずっと日の国を統治してきたのは歴史的に間違いのない事実。極めて同質的な国」(2007年) 麻生太郎総務大臣「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日のほかにはない」「今は(世界各地で)人種、地域、宗教でいろんな争いが起きている。日は一国家、一文明、一文化圏で、そういう国はあまりない」(2005年) 鈴木宗男衆議院議員「(日は)一国家、一言語、一民族といっていい。北海道にはアイヌ民族がおりますが、今はまったく同化されておりますから。」(2001年) 平沼赳夫衆議院議員「小さな国土に、一億2600万人のレベルの高い単一民族できちんとしまっている国。日が世界に冠たるもの」(2001年) 中川義男参議院議員「(日は)小さな国土に、1億2千6百万人のレベルの高い単一民族でぴちっと詰まっている」(2001年) 山崎拓元副総裁「一民族、一国家、一言語の日の国の

    珍しいことではない - 我が九条
  • 間違っている論理展開 - 我が九条

    間違っている論理展開によって人びとは容易にだまされる。ここでは具体例を挙げて間違っている論理展開について考えたい。人をだます時には論理展開の約束事を破って己が望む解を導き出す。そしてそれは一見論理的であるだけに容易にだまされてしまう。この稿をそうするに当たっては以下のエントリを参照した。「間違っている論理展開」と「わら人形論法」に耐性の無い人々 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか。非常に勉強になったので私自身のメモのために自分流に事例を置き換えて考察したい。 まずは間違っている帰納的論理展開。帰納的に論理を展開し、解を導き出すには「適切な事例の選択」が必要である。以下は恣意的な事例選択により、間違った解を導き出した例。 うらやましいほど優雅に生きた平安貴族も、じつは短命でした。貴族の代表である歴代天皇の寿命を見てみると、平安前期には54歳だったのものが、中期には44歳、後期には33歳とじつに

    間違っている論理展開 - 我が九条
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2006/11/07
    (いまよんでられんので
  • 長浜幼児刺殺事件 - 我が九条

    まずはnamnchichi氏のご意見2006-02-20 - the OYAKONEWS@Hatena::Diary。 グループ登園と安全の確保は何ら関係がない。なぜなら、来は親が自宅から幼稚園まで子供を送り届けるものであるから。親同士の助け合いとか、コミュニケーションと称して幼稚園が親たちに手抜きをそそのかしていたのではないか。 たかだか500メートルほどの田舎道を車で送迎というのも、違和感を覚えた。 さらに付け加えるならば、スクールバスの導入をけちっていたのではないか。確かに塾でもスクールバスを導入できるのは限られている。私がかつてバイトしていた塾でもスクールバスの要望はあった。しかし生徒数が少なくてアウト。かなりの人数にならないとペイしない。運転手の人件費とバスの整備費だけで数百万かかる。私が今バイトしている大学のスクールバスも(自粛)バスに委託運営している。スクールバスは金がかか

    長浜幼児刺殺事件 - 我が九条
    TakahashiMasaki
    TakahashiMasaki 2006/02/21
    "社会科学・人文科学の分野で決して口にしてはならない言葉がある。「素朴な道理」とか「本能」だ。それで説明すれば何でも説明できる。"memo
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