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ヨーロッパに関するToTheEndOfTimeのブックマーク (2)

  • 『剣と清貧のヨーロッパ』/佐藤彰一インタビュー

    筆者(右端)とM・ザンクフランス碑文・美文アカデミー終身事務局長(左端)、P・トゥベール教授(フランス学士院にて) 十字軍に端を発する騎士修道会、アッシジの聖フランチェスコらによって創始された托鉢修道会。この全く性格が異なる2つの修道会について詳細を明かす『剣と清貧のヨーロッパ』を刊行した佐藤彰一さんにお話を伺いました。 ――書は、『禁欲のヨーロッパ』、『贖罪のヨーロッパ』につづく三作目となりますが、書で触れられている時代、修道制のあり方の特徴や、前著までの時代との違いについてお教えください。 佐藤:今回出版した『剣と清貧のヨーロッパ』は時間軸としては、主に12世紀から14世紀までを扱っています。この時期はヨーロッパの歴史的展開にとって極めて重要でした。今日まで続く「十字軍思想」が、一つのイデオロギーと化して、ヨーロッパのキリスト教徒の間に浸透して行く過程が、この時期開始したのです。

    『剣と清貧のヨーロッパ』/佐藤彰一インタビュー
  • 欧米はいつ世界を支配したのか〜ヨーロッパって? : どーか誰にも見つかりませんようにブログ

    以下、下田淳著『「棲み分け」の世界史』(NHKブックス)に沿って、諸問題を眺めていきます。 先ず【ヨーロッパ】というものの登場は、いつ、どんなものであったか? ヨーロッパをヨーロッパとして語るには、広く世界全体を認識している事が全体になりますよね。北があって、南があって、東があって、西があって、その上で、アジアやアフリカを意識して、ヨーロッパというものが格的に意識されることになる。 これは日の話でも同じですよね。「倭人」というのは中国大陸側からの呼称であり、倭に住む者を指していた。「倭」は地域名だったのでしょうか。やがて「倭国」という呼称が使用された。しかし、察するに当の倭人は自分たちの帰属国を「ヤマタイ」とか「ヤマト」と名乗っていた。或る時、何らかの理由で国号を「日」に改めたと通知した。おそらくは「日の(もと)の方角だから」という意味であり、これは「朝陽が鮮明だから」という意味合

    欧米はいつ世界を支配したのか〜ヨーロッパって? : どーか誰にも見つかりませんようにブログ
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