![忘れられたゲーム史「パソコンゲーム」――元自作ゲーム少年・志倉千代丸が”シュタゲ”に込めた想い:ニコニコ自作ゲームフェス](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/a92346913f0b144389660a6db952a81354aadc62/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fresource.video.nimg.jp%2Fweb%2Fscripts%2Fniconico_tmp%2Fstatic%2FReKariOGP.png%3Fv%3D2)
第1回東京ゲームショウが開催されてから、今年でちょうど10周年。そこでこの10年、第一線で活躍されてきた各クリエイターに、「ゲーム業界の10年」をテーマにお話をお聞きしました。ぜひお楽しみ下さい。 二人目はセガのクリエイティブフェローを務め、プロペの社長でもある中裕司氏。「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」の作者として世界に知られる中さんが語る、テレビゲームの過去・現在・未来とは? ――今から10年前は何をされていましたか? 中裕司氏:セガサターンで「ナイツ」を発売した年で、年末には「クリスマスナイツ」も出しました。これらはメインプログラムを組みましたが、そこで僕のプログラマー人生は終了。ちょうどプロデューサーへ転向しつつある瞬間でした。 ――以降はプログラムは組んでいない? 中氏:メインプログラムはやってないですね。デバッグに付き合ったりする程度。会社的にプログラムを自分で組まずに面倒見てれば
▲ コナミ・パワプロプロダクションの谷渕弘統括プロデューサー。当初は「このチームで2〜3年、修行させてもらおうか……」という軽い気持ちで参加したが、今や「パワプロ」は13作のロングランゲームに大化けした ――第1回のゲームショウが開催された1996年には、何をされていましたか? 谷渕氏:入社して2作目でパワプロチームに入ったので、当時からずっと「パワプロ」を作ってます。 ――それから同じシリーズを作ることを、当時から予想していましたか? 谷渕氏:いえいえ! 全く思ってなかったです。私は2作目から参加しているんですが、当時、先行する野球ゲームがあったので、私たちはチャレンジャーだったんです。私としては「じゃ、このチームで2〜3年、修行させてもらおうかな」くらいに思ってました。 ――そのうち別のゲームに行く気だった? 谷渕氏:当時は「なんとか2」や「なんとか3」が、そんなになかった時代です。ス
完成したWiiを前にして、私は思うのですが、 ふつうにゲームの新しいハードを作ろうとしたら、 こういうものはきっとできないと思うんです。 なぜWiiは、こういうマシンになったのか。 どういう考えのもとにWiiというものはできたのか。 それを、この連載を通してお伝えしていきたいと思っています。 まず、プロジェクト全体を統括して見ていた竹田さんに訊きます。 いちばん最初に「こういうハードを作ろう」と思っていたときのこと、 そして、最終的に完成したWiiを見ての感想などを教えてください。 Wiiの開発が始まったのは、 ゲームキューブがリリースされてすぐのころです。 私たちは、ひとつのハードが形になると すぐにつぎのマシンを考え始めるわけなのですけど、 当然ながら、すべての部品や技術にイチから着手するわけではなく、 世の中にあるテクノロジーをベースにしていかなくてはならないんです。 というときに、
遊びながらリズム感をアップすることができる "ノリ感"ゲーム、『リズム天国』。 前回に引き続き、ゲームのプロデューサーである つんく♂さんにお話をうかがっていきますよ。 『リズム天国』 ゲームボーイアドバンス 任天堂 8月3日発売 3800円【税込】 ※『リズム天国』オフィシャルサイト つんく♂さんプロフィール 大阪府出身、1968年10月29日生まれ。 バンド、シャ乱Qのボーカルとして 活躍するかたわら、松浦亜弥、 "モーニング娘。"など数多くのアーティストの プロデュースを務める。 また、音楽だけに留まらず舞台や映画など、 さまざまなエンターテイメントを手掛ける 日本を代表する音楽家& 総合エンターテインメントプロデューサー。 ※つんく♂オフィシャルウェブサイト
(前編から読む) 前回に引き続き、スクウェア・エニックス社長であり、2006年5月25日にCESA(社団法人コンピュータエンターテインメント協会)の会長に就任した和田洋一氏にインタビューをお伝えする。専用のゲーム機に縛られた時代が終わり、現在は端末もメディアも選ばない業態になる移行期にある。前編でも語られた著作権問題の研究を進める一方で、新しいゲームを生み出すためには、企業経営のスタイルも変わっていく、と和田氏は予想していた。ゲームビジネスの「長期予報」、ぜひお読み頂きたい。 ――日本における著作権は、海外の法律をそのまま引用して作ってしまった。実態を追い掛け、追い掛けとやっている間につぎはぎになり、もう誰が読んでも分からないものになりかけていると聞きます。 日本だけではなく、各国ともそうです。みんなばらばらなんですよね。今こそが、著作権ということを考えるタイミングだと思いますよ。 そもそ
――和田社長の最近の発言をお聞きしていると、一番のキーワードは「ゲーム機産業からゲーム産業になる」という言葉だと思います。オンラインゲームならば、ゲーム機でもパソコンでもいい。マシンを問わずにコンテンツを受け取れるようになってきた。そんな時代に、ゲームを作る、あるいは遊ぶということは、どのように変わっていくのでしょう? ゲームはいま、産みの苦しみの中にある 「ゲーム機産業からゲーム産業になる」という言葉をキーワードとして捉えていただけるのは、非常にありがたいです。ただ、主役がハードからソフトになるということを申し上げているわけではありません。 いま、ゲームというコンテンツそのものが、産業として脱皮するための産みの苦しみにある。そういった現状認識を持ちましょう、ということを共有できればいいなと思っているんです。 ゲーム機産業というのは、特定のマシンを軸にしたビジネスモデルです。ハードを作って
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く