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歴史と皇室に関するTomosugiのブックマーク (3)

  • 悠仁さまが秋篠宮家の「家庭教師」半藤一利に問うた難しい質問 | FRIDAYデジタル

    はんどう・かずとし/昭和5(1930)年生まれ。東大文学部を卒業後、文藝春秋入社。専務取締役を経て文筆業に。『日のいちばん長い日』は終戦の日を描いたベストセラーとなり、映画化もされている。『ノモンハンの夏』『昭和史』『文士の遺言』など著書多数 「昨年、当時の天皇陛下の侍従から、『秋篠宮悠仁(ひさひと)殿下に、太平洋戦争はなぜ起こったのかを、わかりやすく話してください』という依頼があった。ですが、私は最初断ったんです。だって相手は小学校6年生の坊やですよ。そんな幼い子に単純明快に話せるようなことじゃない、無理です、と。だけど何度もお願いされて、じゃあさわりだけでも話しましょう、と出かけていったのが、8月15日でした」 秋篠宮悠仁親王は、まさに次代の天皇家を背負って立つ。その進講役として白羽の矢が立ったのが、昭和史研究家でもある作家・半藤一利氏(89)だ。秋篠宮家の”家庭教師”になったのが「

    悠仁さまが秋篠宮家の「家庭教師」半藤一利に問うた難しい質問 | FRIDAYデジタル
  • 「昭和天皇実録」に誤り5千カ所 宮内庁、両陛下に献上:朝日新聞デジタル

    昭和天皇の生涯を宮内庁が24年かけてまとめた「昭和天皇実録」で、天皇、皇后両陛下に献上した「奉呈」や、報道機関や研究者らに提供した内容に約5千カ所の誤りがみつかった。関係者が明らかにした。一般向けに出版する作業の過程で、日付や地名、人名など多くの誤りに気づいたという。宮内庁は確認を終え次第、正誤表を公表する方針だ。 実録は、宮内庁が天皇の日々の動静や発言の要旨などをまとめ、完成時の天皇に献上される言わば「公式記録」。昭和天皇実録の場合、87歳で逝去した翌年の1990年に編纂(へんさん)作業が始まり、2回の延長を経て2014年8月に「完成」し、現在の両陛下に奉呈が届けられた。 奉呈と同じ内容が掲載されたものが皇太子さまやほかの皇族方にも届けられたほか、報道機関に電子データで提供され、さまざまな報道で引用されている。また、情報公開請求に基づいて研究者らにも提供されている。 実録は完成後、

    「昭和天皇実録」に誤り5千カ所 宮内庁、両陛下に献上:朝日新聞デジタル
  • 天皇裕仁のワースト・オブ・クソ「思し召し」大会 - 読む・考える・書く

    特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 戦争終結は「もう一度戦果を挙げてから」(1945年2月)→東京大空襲、全国焦土化、沖縄戦 「海軍にはもう艦はないのか?」(1945年4月)→大和特攻、2時間で4千人戦死 沖縄をアメリカに売った「天皇メッセージ」(1947年9月) 戦争責任は「言葉のアヤ」、原爆投下は「やむを得ない」(1975年10月) こちらの記事へのコメントで要望を頂いた件、面白そうなのでやってみた。 昭和天皇裕仁のクソな「思し召し」と言えば、すぐ思い当たるのはつぎのようなものだろう。 特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 海軍特攻隊の生みの親と言われる大西瀧治郎は、必ずしも特攻作戦に積極的ではなく、これを「統率の外道」と呼び、こんなことまでしなければ戦えない状況になっていると知れば、天皇が戦争を止めてくれるだろうと期待していたと言

    天皇裕仁のワースト・オブ・クソ「思し召し」大会 - 読む・考える・書く
    Tomosugi
    Tomosugi 2018/08/17
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